ご使用上の注意!

このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。

走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。

また、
掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も当方は
保証致しません。






令和元年台風19号被災林道報告
2
-1

Vol 2 /福島県/浜通り/南相馬地区/原町市、浪江町


 誰が呼んだか「林道パトロール」森林管理署と全くの無関係であり、勿論誰かに頼まれた訳でも無く、ただただ林道を見て回るだけのけったいなパトロールでございます。私、福島の林道を俳諧する自称福島の林道巡回員?のMRです。
 このレポは続編です(のでここは読み飛ばしもOK)が一応被災の簡単な目安として、
(A)被災してるが通行は可能。
 
 林道管理者が片側のみの簡易ゲート等で現場対応、または未対応
  もしくは放置。

(B)通行が困難な被災、四輪車の通行は不可。
  
林道管理者が林道両側に通行止め看板と比較的強固なゲート等で
  現場対応あり。
  林道路盤の半分以上が流出欠損し
物理的に車が通行不能な状況。
  または道路構造物(橋・路肩・法面など)に著しい被害が出て
  二次災害を念頭に通行する必要が在る林道。
(C)被災により完全に道路が途絶、通行不可能。
  
林道管理者が林道両側に通行止め看板と比較的強固なゲート等で
  現場対応あり。
  林道の全長において
1カ所以上の林道路盤が流出欠損し、物理的に
  徒歩以外の通行不能な状況。
  
道路構造物(橋・路肩・法面など)に著しい被害が出て二次災害の
  危険が極めて高い道。

という個人的ランクを付けておきます。
また今回の災害の特徴とその原因として、

1)一気に暗渠排水を詰まらせて、膨大な圧力に耐えられなくなった
  道路や法面、路肩ごと押し流す。

仮に流出を免れても
2)林道上に流れ来んだ土砂がアスファルトや路肩、ガードレール
  などの道路設備などを流したり路上に大量の土砂や流木を残す。


という主だった二つの事例に因る事を追記しておきます。


巡回 Photo !

馬場林道線(横川入/起点側)林鉄時代に事業所があったとされる。
鉄山支線との分岐位置でも在る。


ファイル 4
 「馬場林道
 
(及び接続支線)
4
原町(現 南相馬市)地区
当ページナンバー
F-044 

 馬場林道といえば原町森林鉄道の根幹で、最初に敷設された路線であり周辺の本線とも言える路線である。

 起点は明治31年開業の日本鉄道原ノ町駅に隣接した貯木場で、森林鉄道としては大正13年に敷かれ昭和33年まで存続、伐採された森林資源は関東に運ばれ、主に建築資材として流通したという。
 明治当初は人馬軌道であったが昭和5年以降には気動車が入線する。

 現在
の馬場林道は県道49号線横川ダムの上流で支流の太田川とともに県道を離れ(林道起点)、飯館村木戸地区に繋がる。
 森林鉄道時代も線路は峠を越えて飯館村木戸で終点(いわゆる逆勾配)だったという。
 
森林作業に従事した人々は幕末に幕府軍であった相馬藩の浪人が明治政府の命令で北海道の開拓事業に入植するも、過酷な自然環境に帰郷した浪士やその子孫たちで、
それ故に今でも主だった地名にアイヌ語が使われている珍しい林道である。
(原町図書館収蔵「原町の地名」参照)
 特に最大の飯場はバッカメキ事業所と呼ばれる所である。
 車道化されても鉄道の名残か?
路肩には距離標柱が点在し、距離の起点はやはり原町駅とされる。それ故現在の車道林道とはその距離表示が全く違う。

では行ってみよう。


写真右奥の倉庫はかつての気動車車庫とされる。
車庫二つの内片方は震災前に倒壊。



台風の後だし冬明けだし、まあ荒れてるわな普通。



落石をブルで均した跡。


キタコレ!「十間橋」


親柱手前より写真。手前から土石流に洗われ、林鉄の橋台が綺麗に露出。
(手前の流木が物凄いけど。)


看板とか総て倒壊。ですよねーー……


よく耐えたな、欄干と親柱


欄干の上まで水が来たのか?恐ろしいな。

 
当日は横川ダムから太田川を遡上する形で現在の起点である横川入から突入した。
 林道の入り口には3.11以来無人となった小屋と倉庫があるが、ここは林鉄時代以来の営林詰め所であり倉庫などは当時の気動車の車庫と言われる。(トワイライトゾーンMANUAL6「南東北の森林鉄道」参照)
 向かいには新旧の横川橋がこれから遡る太田川を跨いでいる。分岐の真ん中に設立された工事事務所は台風19号で被災した県道49の復旧工事の現場事務所である。
 走り出しての最初はよくある冬明けの林道の様子である。
 
しかし入り口から1Km程で様相は一変する。



「濁流は欄干に爪痕を残す」
林鉄時代の橋台、反対側も綺麗に洗われる。雑草が無いってステキ。


何にせよ流出しないで良かった。
林道から橋の上に雨水の流れ込んだ跡がーー……


「うおお、十間橋が!」
 台風19号の仕業か?橋の10m手前で水が道路を流れた形跡があり、直後に濁流に飲まれた橋が現れた。
 橋の周りにあった雑木林や看板などが流されている。
 一部欄干に被害があるものの、何とか無事だ、
それにしても普段の水位から10m以上増水したのだろうか?
 不幸中の幸いに橋のすぐ下流にある林鉄時代の橋台は無事で、しかも綺麗になっていた事だ。
 そう、この十間橋は車道化された昭和34年以降に新築された2代目である。
「林道から流水が橋に流れ込んでいる」


雨水の流れ込んだ跡がーー……


流れ込んだ跡がーー……延々続く。



 延々と緩やかな軌道跡の林道の真ん中に幅1m、深さ40センチ前後の洗堀が、見上げる限り続いていた。
 流水は500mほど続く直線の最後に向かって
左側の法面から鉄砲水で再生した沢から流れ出たようだ。

 
手前が平成元年ごろに新規開削された「北丿沢作業道」、奥の橋を渡って対岸に伸びるのが竣工不明の「タコウ線」である。
 北丿沢作業道の手前にある小さな沢は沢幅が3倍くらいに拡幅されて、おびただしい流木で詰まった状態だった。



続く。


「注意」雨水の流れ込んだ跡はここから。
6Kgの廃レールに付けられた看板裏。


これが無ければ、今撮影している暗渠ごと流失していたのだろう。
 
路肩の欠損がなかったのは幸いで、撮影後さらに前進すると支線分岐が現れた。
「これは?」



「状況終了」でもアスファルトの下まで水来てるな。


「北丿沢作業道」砂防ダム建設の為の作業道。
法面が剥落し道路に堆積、台風19号で流出した。



馬場林道タコウ支線。
コンクリート製のタコウ橋を渡って対岸へ。
森林管理所のHPに林鉄のアーカイブが在るが、
戦後の車道林道なのでタコウ線は記載が無い。



通行止。
こちらは至って平静だ。



僅かに倒木がある程度。
洗掘も多少ある程度。



どうやら先に行けそうか?。

 作業道ももはや掘削のみの法面が全て流され、堆積した土砂と上から流れ出した流水で路盤が見えない。
 対照的に対岸のタコウ線は何事もない風情だ。
撮影して前進を開始しようと前を向いた瞬間、
戦慄が走った!

「オワタ?」
 北丿沢作業道は文字通り
北丿沢に砂防ダムを建設する為の、いわば治水目的の道であり、北丿沢はその先で暗渠を介して太田川に注ぎ込んでいた。
「土石流だよ」
 
一瞬にして砂防ダムを乗り越えた濁流はあらゆる物を飲み込んでそれらを押し流していた。




「終了の詔」流された裏山が堆積している……!


写真右奥が新しい砂防ダム。バイクとタコウ橋が見える。
コレ全部あのダムから溢れ出してこの距離の河原を総て埋め尽くしたのかよ。



 それらはあまりの容積に林道上に乗り上げた。しかも濁流は新しく強固な暗渠を破壊できずにその前後を流出させていたのだ。
加えてさらに上流から流れ込んだ濁流は上流側の路盤を深く押し流したのだ。
あともう500mほど先なのだが、
バッカメキ事業所跡は途絶した訳である。
 それでも念の為飯館村木戸に回り確認してみるが、
すでに林道ではなく普通の涸れ沢の風情であった。
 馬場林道を走って凡そ30年、長い付き合いだが終了の詔である。


路上に散乱した土石流。


「本当にオワタ?」その先も流されてるぞ……!


(C)被災により完全に道路が途絶、通行不可能。
2)林道上に流れ来んだ土砂がアスファルトや路肩、ガードレールなどの道路設備などを流したり路上に大量の土砂や流木を残す。



「もう沢にしか見えん」
これが馬場林道木戸側の終点かよ?もはや掘りだな。


ファイル 5
 「福島県道49号線(原町浪江線)」
5
原町(現 南相馬市)地区当ページナンバー無し。

 原町市内から国道114号線に出るこの県道は横川ダムまでほぼ森林鉄道のルートで県道化され、平成元年の福島国体に伴う原浪トンネルの開通を持って完成した県道である。しかし当初から現在に至るまで鉄山ダム脇の最狭区間200mほどがネックであった県道である。そして馬場林道、鉄山第二林道へのアプローチルートでもあるが、平成31年の台風19号以来、崖崩れの為通行止である。



「なんじゃこりゃ」 原浪トンネル国道114号側は警備員封鎖なのに、
こっちはこの看板1枚かよ。


昭和52年竣功。
「滝トンネル」
全長156.7m、全幅8.26m。
県営横川ダムに併設された県道49号線にある
二つのトンネルの一つ。


全く沢のないコンクリート法面。
その遥か上から鉄砲水だよ。
さすがにコレは危ないな。

 
先のレポートにもあるが取り敢えず馬場林道入り口までは行けるのだが、まずは被災状況を見てみよう。

 横川ダム本体隣のトンネル前に既に通行止看板がある。
 ちなみに反対側の浪江町昼曽根地区の原浪トンネル前のT字路には関所(笑)が設けられ、監視員が曲がってくる車のドライバーに通行止を説明していたのだが、こちら側には誰もいない(笑
 取り敢えず入ってゆくとあちこちに法面の崩壊や出水による瓦礫の散乱などはあるが、路肩欠損とか橋落ちとかは無い。バイクどころかクルマでも入って行けるのは多分工事車両が入るからだろう。最低限の車幅が確保されているのだ。
「と、言う事は先に致命的な通行止の要因があるのか?」
 進んでゆくと、ダム貯水域の終わりにある対岸のダム周遊道にゆく橋のゲートが解放されていた。
 どうやら工事に伴う処置でちょうどこの三叉路で路肩と法面の補修工事が行われたいた。
が、通行は可能で何気に馬場林道のある横川入に到達した。



まだ水が退かない県道。法面に沢から流れ出た堆積物がブルで寄せられている。
県道下の排水溝が殆ど埋まっている様だ。



「切り通しの上部配管はオーバーフロー」
猛烈な勢いで流出の跡がある。


横川入の新横川橋たもと。写真右手に旧横川橋、馬場林道林道起点がある。


鉄山ダムたもと……
これは?

 
馬場林道の入り口に現場事務所があるが今日は日曜の為か無人だった。
馬場林道を往復して鉄山林道に向かう。
「あ、オワタ」
 鉄山ダム防堤の脇のコーナーにコンマ1のユンボが立ち塞がり法面を工事していた。
しかしどう見ても災害復旧というより県道拡幅工事にしか見えない。重要なのは掘り崩された法面の土砂が県道上にあって、猫の子一匹は入れない事である。
「鉄山第二支線は到達不可!撤収!」



「工事中」かよ!どうやら県道49号は最狭部の補修ついでに
幅員拡大を目論んでいる様だ
(爆w

番外編/横川ダム南岸道路
*普段は遊歩道

2)林道上に流れ来んだ土砂がアスファルトや路肩、ガードレールなどの道路設備などを流したり路上に大量の土砂や流木を残す。

(c)被災により完全に道路が途絶、通行不可能。
 県道の全長において1カ所以上の林道路盤が流出欠損し、物理的に徒歩以外の通行不能な状況。
 道路構造物(橋・路肩・法面など)に著しい被害が出て二次災害の危険が極めて高い道。現在工事中。



「落石」片付けの跡があるが、崩れ自体は
台風では無い様だ。



通行止め看板通りの展開……相当広域に流出している一ケ所目。



おまけ>
 横川ダムの南東側道路に入って見た。当日は丁度横川入の三叉路が工事中の為、車両の融通や土砂搬出の為ゲートが解放されていたのだ。
 この時点で、実は対岸の県道から既に沢沿いの部分で土砂流出が見えていたので、周回は出来ないと考えていた


二ケ所目。倒木で土砂流出を止められている状況。


「キタコレ」どうやら終点(仮)三ケ所目。(爆w


ざっと10tダンプ10杯分…?
路肩も水路も破損流出。

 案の定、対岸から見た以上に山側からの小さな沢から大量の土砂が流れ出していて、ダム湖側の路肩は一部欠落していた。
 路盤はアスファルトの下の砕石は流出、一部カードレール基礎部も流されている。
やはり法面からの鉄砲水で通行不能だった。
 この後、馬場林道の飯館側に向かうのだった。



「撤収!」舗装の上も下も水が走り路盤流出寸前だ。


ファイル6 -1
 「福島県道62号線(原町二本松線)最狭区間」
6-1
原町(現 南相馬市)地区当ページナンバーF-033

 数ある福島県道(険道?)の中で通り抜け可能な現役認定中最長のダート区間を持つ県道62号線。そのダート区間は原町の高ノ倉ダムから入り廃村となった助常部落から飯館村木戸地区までの約10Kmである。



「馬場林道飯館村木戸終点付近状況/沢」カメラを左に向けると…


「県道62号最狭区間」ここだけ見ると県道に見えんな?。


 木戸地区のダート区間入口は隣が現在の馬場林道終点なので併せて出向くと、そこには涸れ沢と化した馬場林道終点とガッチリとゲートを構築した県道62号線があった。
 でも
ゲートは圧倒的に短く、ここだけ幅7m近いヘアピン全てに掛からないのでイージーに進んでゆく。

では行ってみよう。
 かつてここに二軒の民家があったが原発災害で全員避難ののち無人となり、数年前に更地となった。


「現在も状況進行中(爆
左の1枚は既に倒れていた。(念為


「奥のヘアピン登り口にある単管ゲート


「南相馬市」ここが町界だ。ここまでは問題無く来れる。


「被災は総て原町側が確定」ですよねー……。


 ここは民家の裏山をヘアピン3連で急激に登るダートであるが、途中に単菅パイプで組まれたゲートがもう一つあった。浅く雪の舞い散る中、これも華麗にスルーしヘアピン区間から尾根筋に出ると、忽然と標識が背中合わせに左右2本起立している。
 
流石県道、ここが町界、南相馬市と飯館村の界である。
 ここまでは特に被災した様子はなく安定している。夕暮れ迫る中、バイクを東に飛ばしてゆく。
 そして道が下り始める。ここから県道は林の中を九十九折りに沢まで一度下りて、再び隣の崖沿いに山越えして助常地区に繋がるのだが・・・・?
「あ、ここもオワタ・・!」
 下りの途中、あの直角コーナー脇の法面から大量の水が溢れ出し、そのまま道路に流れ込んだらしい。
4輪の通過は不可、撤退して助常側から入ってみよう。


倒木を潜って県道最標高の鞍部へ!


そして下りへ「うおっ!てるよ」。


「路盤流出」この手前の直角コーナーから流水。


道の半分が流出 深さ1mくらい。
あれから半年経過してるが、まだ県で測量もしていない。
 
 
(B)通行が困難な被災、四輪車の通行は不可。
2)林道上に流れ来んだ土砂がアスファルトや路肩、ガードレールなどの道路設備などを流したり路上に大量の土砂や流木を残す。


もう少し先もありそうだが
時間切れ撤退!


ファイル7
 「助常林道線(北側終点部、冬住林道接続区間)
7-1
原町地区/当ページナンバー:
F-088
 
 震災以降、封鎖されてしまった両林道 は当HPに過去幾度も登場するこの地区を代表する林道で、特に助常林道の全面封鎖は原子力人災により助常を含む接続の県道62号線が帰還困難区域に指定されてしまった事に大きく起因する。
 
これにより部落管理が避難のため事実上崩壊。
 残留放射能により営林関係車両の出入りや作業が出来ないため、台風19号が来る前から
林道の保守点検が事実上放置プレイであった事は今回の被害の遠因と思う。



「八木沢峠通行止め旧道区間」
道路設備はそのままだ。


「冬住林道、起点」2月中旬いつもの冬枯れだね、今年は雪が殆どない!


この林道の魅力は尽きない。

 現在は旧道化した県道12号八木沢峠は江戸時代からの旧街道であり、峠を挟んだ南側から起点の「冬住林道」は峠を超えて新田川沿いの助常林道に接続する。
 新田川周辺の山林も藩政時代に庇護された「御森」であり、藩主の許可なく伐採出来ない森であった。これは溜池政策と共に飢饉の際の水の確保を目的とし、加えて水産資源の保全という事も考えられていた。
 しかし明治になると、関東圏の木材需要の重要な資源として伐採が始まり、これを搬出するために福島最大の規模を誇る森林鉄道が敷設される。これが現在のこの地区の林道網の原点となった「原町森林鉄道」の各路線であった。
 ここでまず紹介するのは、比較的新しい
新田川沿いの林道である。

 八木沢部落も震災以降人が途絶えて久しい状況であり、冬住林道も部落側の管理者不在という状況にある。この日も簡易ゲートのチェーンは外された気配もなく錆付いていた。
 例によって問題なく突入する。
 この林道の県道から入りゲートまでの間は八木沢峠の旧道区間でもあるが、林道右折という実は三叉路の先の旧道が妙に平らに見え、普段より雑草の深みがまるでない事に気が付く。
「土砂が流れ込んだのか?」
 一歩足を踏み入れると以前より軟弱な路盤に驚いた。半年たって大分水は抜けただろうが場所によってはレンコン畑化していることが十分予想された。おそらく、すでに崩れていた切り通しの土砂が大雨によって流されたのだろう。
 
この調子だと峠の先の道もダメかもしれない。


「ひたすら下り」
小さいけど路肩の欠損がある。


キタコレ……先は切り通し。


谷全体がV字溝かよ?


「ブラックホール寸前」ジムニーなら跨げば大丈夫。


 まあ、今日は林道を見に来たので旧道は機会があれば再訪するとして、冬住林道を南下してゆく。
 驚いた事に林道は各所で被災した路盤や流された砂利が補修、補填され軽快に飛ばせるいつもの表情であった。
 考えられるのは高圧送電線の管理に伴う補修だろう、流石東京電力。
これで益々助常林道が心配になった。

助常林道に合流する。
 冬住林道はここが終点だが接続する助常林道の終点はもう少し北側のバラ坂入り口付近の土場である。この三叉路から林道は下りとなるが、見た目すでに通過はバイカーのみの轍だけだ。
 2018年春にも通過しているが、震災後の倒木も朽ちて真ん中にバイクが越えた擦り傷のみを残すだけだったが、森林鉄道旧線と林道の分岐でUターン、新田川巡視道経由で通過した。


見渡す限りの洗掘……。
つーか、路肩のコンクリ要壁だけ残存。


「そのコンクリ要壁を一本橋」(爆
3m下の沢は中々恐かった、途中で折れてるし。



 しかし、今日のこの道は何かが違った。
「ああ、マズいな」

 
S字の切り通しは沢となり、深い洗堀を伴って道を押し流していた。
 沢の源流部分で、こんな上から道が流されていると沢沿いはどうなっているか?想像するだに恐ろしい。
と思っていたら、本格的に攻めて来たようだ。


「けっこう流されているナ」
この先クランクの暗渠が在るんだが心配だ。
 

 「否、コレじゃねえ!」コレも酷いけど。


「洗掘に架かる橋」
しかもクランク状に?どーすんだよコレ!(爆!


「何とか突破」これ、地面に埋め込まれた導水板(ゴム板)を
嵌め込んでた板ですね。



 
側溝が埋まって、沢側の擁壁を残して路盤が流出している。15mの一本橋を慎重に渡る。お次は洗堀で出来た横一本橋、道幅3mの直角クランクを制圧する(路肩に落ちたけど)
 
その先、実は一番怖かった暗渠がある。
 ほぼ砂防ダムの上にクランク状に道が誂えてあるのだが、ここまで初めて見る被災状況では実に不安だ。
「お、イケそうだ!」
 堤の脇が一部流されているが、思った以上にマトモに残ってるじゃん!
 ここが大丈夫なら残りは全てコンクリート橋なので道が川に削られてなきゃ
合流点の落合橋まで行けるだろう。


 
「さあ、いよいよです」
一度距離を離した沢と道が再び……暗渠は無事か?


「うはぁ生きてる!」思ったより無事だあああ。


クランク先の土砂崩れは流水で広くなだらかに。


なんと!ここかよ!全くの想定外だな、こんな所で・・(涙
 ここ普段は涸れ沢の谷間、降雨時に軽く排水があり、小さな古い側溝が道を横断していて、しかも詰まっていた覚えがある。川幅なんてそんなモノは無いくらいの小さな溝が・・・
「もはや橋が必要だな」
しかし今は
幅10mはあろうかという巨大なクレパスと化していた。




「アウチ!」
 

「マジかよ、想定外の場所だな?」
谷から溢れ出た濁流が暗渠もろとも道を完全に押し流した。
 

 一応、側溝の基礎らしいコンクリの残骸と岩の上を渡り何人かいれば突破は可能と思うし、落合橋まで行けば何とかなりそうだが、今日は単独で日没まで2時間程度なので撤退する事にした。
「撤退はいいけど、またあのクランク一本橋を戻るのか。」
傾く夕日の中、背中で泣いてる男の美学と歌うMRだった。

そして結果として、それは正解だったのである。


(C)被災により完全に道路が途絶、通行不可能。
1)一気に暗渠排水や側溝を詰まらせて、膨大な圧力に耐えられなくなった道路ごと押し流す。
の事例が延々繰り返し発生している状況で、勿論トドメは1)の路盤流出です。
当然、通過ランクは(C)、通過不可能です。



 Vol 2-2 につづく。





  
次回予告。

 次も原町です。


ええ、原町ですとも!
ここは林道、廃道の
ワンダーランドに
なりつつあるな。