●プロローグ〜午前中走行会〜
最近のMRは1日走るという時間が殆ど取れない。朝早くに自宅を出て午前中に移動出来る自宅から半径150Km圏内が主流である。従って自分から他人を誘う事もお誘いがあっても中々に赴く事が出来ないコトが多い。
大抵午前中に走って来ると午後からは神様とその愛し子の世話で、その申し入れの返事は総て「Yes」となる。
GW中は総て仕事だったS氏から連絡を受けた時、その様な現状から午前中しか走れないと言うと「実は自分も前の日に・・・」などとこちらの事情に合わせて頂ける事となった。
「前の日に用事・・?神様かな?」
何か引っかかりを感じつつ、当日の朝がやってきてしまった・・・・。
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第一ヘアピン。山形県道154号桧原板谷線はジークライト鉱山の鉱山道とも言える。
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板谷・旧五色林道探訪
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Repo MR
Photo : MR
2011.5.15
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〜「プロローグ」ある林道の生い立ち〜
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今回のお題は五色林道と板谷峠である。
我が愛すべき仇敵、鬼県令三島閣下が作りし「万世大路」=栗子峠の双璧と言えば、まさに江戸時代の峰越街道である米沢街道、板谷峠である。
道路が"栗子"を選択すると、待っていたかの様に鉄道は江戸期の街道沿いとも言える"板谷"越えを決行する。しかしそれは、想像を絶する艱難辛苦の始まりと、道路と鉄道、ひいては個々の移動と国策に拠る大量移送という共生関係の始まりを告げる狼煙であった。
板谷峠は鉄道の開削と共に本来の江戸期のルートを破棄し、鉄道の管理がし易い位置に再設定されるが、米沢十湯と数えられた秘湯の滑川温泉、五色温泉、姥湯温泉はそれぞれ明治の奥羽線開通と共にその後の隆盛に向かって歩み始める。
特に滑川と五色は背後に鉱山を抱え、観光資源と鉱物資源という相反する命題の元で開発される数奇の運命をたどる。
その鉱山の鉱物の特性から、第二次世界大戦を前後に二つの鉱山の隆盛は大きく変化し、それに併せて鉄道に続く道も影響を受け続ける。
滑川鉱山は純度の高い鉄鉱石を産出し、戦中、戦後の日本を下支えし、高度成長期の礎を築いてゆく。一方、板谷鉱山はジンクライトを産出し、トラックによる陸上輸送を経て高度成長期の日本の情報(紙)化社会を支えて行く事となる。
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そのヘアピンに古道への道が在る・・・筈だ!?!。
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●最初(ハナ)から迷走。
この日、2台は13号から板谷に入るが板谷駅には行かず、旧道を左(東)に曲がって奥羽線を横切る。その先のには対面通行用の監視所があり、平日は片側交互通行規制をしていた。
ここはT字路で五色温泉やジークライト鉱山には右(南)折して急速に落ち込む松川の崖を削って道路スペースを作っている。この道、現在は山形県道154号桧原板谷線と言う。
その最初のヘアピンの先に、一筋の細い山道が在る。2台は転がる様に入り込んだ。
「ここは何処に繋がるんですか?」
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MRが調べた限り、五色温泉への道は都合3回作られている。
最も古い物は五色温泉が発見され、車道「五色林道」が作られる明治初期まで使われた徒歩道である。五色温泉は米沢藩の隠し湯と言われる名湯秘湯なので、米沢街道からこの徒歩道は上杉家も伊達家も温泉まで歩った道と言える。
その真偽は定かではないものの、マップルにはこの道が今も点線で描かれていて、板谷駅から真っ直ぐ南東に一旦沢に下りて、そこから南西に進路を変えて一気に温泉の前の旧スキー場に出る道の様だが、本当かどうか?定かではない。
このヘアピンの奥には砂防ダムが在り、地図上その周辺がかつての「渡河」地点と思われた。橋がどの程度の規模か判らないが、果たして何か痕跡があるだろうか?
「なんじゃこりゃ?」
だが我々を迎えてくれたのは、訳の判らないシロモノだった。
それは林道幅に作り置きされていた。
最初こそ沢側に道があるが、先に歩いてゆくと最後は、いや?最初は道幅一杯に、ほぼ考え無しにドカシーを広げて置いてあった。
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PhotoAlbum
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「へんなのが
すごくいっぱいある」
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←しかも結構な高さ。
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止む無く県道154号に戻り、
滑川を越えて行く。
二代目「板谷橋」
南蔵王林道に出て来る橋と
意匠が良く似ている。
竣工 昭和40年10月とある。
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「どうだろう?下りられるかな(笑w」とMR
手摺付きの鉄製の階段は17〜8mかな?
中間部分の補強が失われブラブラであるが下りる事が出来た。
本来の設置角度ではなく、後から変わった地形に合わせて補強設置を受けているのは明白で、階段の歪み捻れと階段天板が水平ではなく前のめりなコトから容易に想像出来た。
だがしかし、下に在ったのは水か温泉を汲み上げるポンプ室の様な廃屋の残骸だった。
"流石に江戸ルート、確認できず"
止む無く山形県道154号線に戻った二人は、現在の「板谷橋」を越えて対岸に渡る。
橋の隣りには明治創建と思われる旧「板谷橋」が橋桁のままに寄り添う。
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鉄道の橋脚かと思った(汗。明治初期の道路用橋台である。
因みに雑草に覆われながらも、道の痕跡もある。
ここが橋を渡って上のヘアピン。バイク左手の道が旧米沢街道 蟹ケ沢(県境/藩境)越え。
「ここだ」・・・・・・・・!
「五色林道 廃道区間」
「最早、道ではない」(そりゃ廃道ですけん)
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●パワフルTTR
山形県道154号桧原板谷線は第3次主要地方道認定が行われた1971年(昭和46年)に指定を受けたと思われるが、現行の"板谷橋"などは竣工が昭和40年で、この時既に米沢営林署主導のもとに新規道路が建設されていた物と推測される。
だが五色温泉に通ずる現在の県道は五色温泉とスキー場への輸送力強化の為と思われ、竣工、開通は矢張り昭和46年だろう。
その前の旧五色林道は、現在でもジークライトの鉱山用道路となっている。鉱山道が現在も使われる一方で、五色スキー場は1990年に利用客の減少とリフトの老朽化を理由に閉鎖している。
旧五色林道は、その一部が県道に入れ替わっているが、現在も辛うじて生き残っている。
空気圧2Kのままに2台は県道154号線から一気に駆け上がってゆく。一速または二速の出だしだけS氏のXRに若干追いつかれるが、スロットルの意のままにバックミラーの定位置にS氏を拝んで走って行ける。
平地はともかく、先程の国道13号線の栗子の登りでも後続を見ながら自在に車両間隔を保てるのは、やはりトルクアップの恩恵だろう。
いかにもヤマハのロードマシンに近く成った乗り味は、今時の鋭さではなく、90年代の「エンジンが回って行くごとにトルクが厚くなりパワーが出て来る」タイプで、ある意味このマシンの年代的合致を見る所だろう。
後ろから見ていたS氏に、
「パワーアップしたら乗り易いですか?」と質問を受ける。
成る程、外目にそう見えるか?などと思ってしまう。県道は再び大きなターンを初めて、蟹が沢からの合流点を横目に登って行く。
途中幾つかある枝道も覗いたが確たる収穫もなく、本日のメインイベント入口に辿り着いた。
「ここが、そうだ」
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「枝、エダ、枝」
凄まじい枝っぷりだ。
クレパスにハマって動けません。
コレも震災の影響か?あうう。
振り返っても薮ばかり。
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●ようこそ廃道へ
MRのTTR250は、昨年8月の「まさかのエンジンメルトダウン」でエンジンを全面補修、ピストンリングの関係から269ccとなった。その一方でタイヤは昨年春の5分山タイヤだった。その為、お約束通りにパワーアップはタイヤを直撃、3月からの僅か2ヶ月、1200Km足らずで残りのゴムを喰い尽くす!
この時はほぼ2分山、2分山で廃道ですよ奥さん! なんてベタベタな結末なんだ、と思いつつ、3月以降は震災でタイヤも手に入らない状況にMRは決心したのだ。
「カーカスが出るまで使ってやる!(ヤケ」
イヤイヤマテマテ、廃道の師と仰がせて頂く事にしたおぉじぃ師に因れば、二分山のEDタイヤは空気圧の加減で最強のオフタイヤに、しいてはスタッドレスタイヤ代わりにすら成るという。師曰く、
「リアタイヤニ荒縄亀甲縛リ、コレ最強也」
という体験的格言があるらしい。どうも気圧の抜けたタイヤに荒縄が食い込む様はさながら乙女の柔肌に・・・イカン、話が大きくミスルートした。
戻そう。
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「避ける場所もない」いやいや、MRよりスマートに避けてますヨ。
写真で見ると、道幅は3m程在るのが判る。
問題の分岐路、つーか、普通に写真位置(手前のルート)に来てしまうんだな これが。
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そんな訳で入っていきなりストールして転倒しかかるMR。
「ちょっとまって、く、空気圧下げるから」MR
亀甲縛りに最適な?圧力にすると、をを!!、ちゃんと走るゼ!凄まじく横に育成した薮が行く手を遮るが、ガンガン進んで行く!
「おおう!丸坊主なのに登るわ!」
既に枯れ沢になった廃道で泥溜まりに突っ込むが、枝を避ける事なくフロントアップの為に重心を後ろに下げてアクセルを開けると、フロント加重の抜けたタイアを軽々上げてとニコ改は登って行く。
しかぁし!その先はお約束の泥穴・・・いや違うぞ。
ドボァ!! バキバキバキ・・・
「こりゃ、クレパスですねぇ」S
さっきの枝道にもあったが、使われていない林道(廃道って言えよ)には地盤の弱い所に亀裂が走っている。
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突然の通行止め、間違えた?
すっかり埋まっているが、排水路?
玉石の乱積み?
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←枝道(泥濘通交不可) 枝道(本道へ戻る)↑
分岐路を法面から下りる、そして転ける。(笑w
雪道のスリップの様に泥を流れて倒れるTTR。流石二分山(爆w
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コレも震災の影響なのだろうが、現行道路と違って補修を受ける訳も無く、草むらに埋もれているので地雷の様にハマってしまう。
しかも道也縦長なので始末が悪い上に、割と深い物が多いのだ。中には深さが1mくらいの物まで在る。
「紙や化粧品の原材料と言うのだから、まあ粘土みたいなモンだろ?ジンクライトって?水分を多量に含むと滑るんじゃないか?」とMR
「地盤ごと?山ごと?」s
旧道は廃も"たけなわ"、MRも最後に走ったのは7~8年前なので流石にほぼ自然に帰っていた。
その為、当然の事態が起っていた。
「あれ、道が無いぞ」
二つの空き地の様な所を過ぎて、道と思われた薮の奥には何と石垣。
止む無くバイクを置いて分け入って行く。5月の板谷とは言え、既に二人とも汗だくである。薮を石垣沿いに10m程歩くが、残念ながら道は森の壁に囲まれて終了した。
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恐る恐る確認?逝けるか?
薮の壁は春先故にまだ薄い。
夏には来たく無いなぁ
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↑本道 本道(下から来た道)→
枝道(それぞれの土場で終点)↓
先程の写真の広場に戻って来た。正解はこちら!! わかんねぇーっ〜の。
一度薮の壁を抜ければ、そこにはまだかつての鉱山道が残っていた。
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