ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

キャプこのContentsは、適当に増殖します。ション
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)002-A

秋元湖岸林道。この程度の落石はよくあります。
この場合、営林署がわざと片づけないんですね。良いアイデアです。


Phot:2001/撮影協力:イオン岩田様



●裏磐梯に眠る極上林道は
 かつての産業路。

概要:
 磐梯レークラインの景勝地として知られる中津川渓谷。その川沿いに一本の細い林道が存在する。当初は現地に記載がないので正式な名称が判らず仮称としましたが、2003年に起点側となる金堀の集落に砂防ダム群が竣工した際に起点標柱が設置され、林道の正式名称が[秋元湖岸林道]で在る事が判明します。
 一方林道は2000年頃、中津川渓谷の沢沿いで落石があり通行止めとなり、さらに手彫り隧道及び周辺地層の劣化により中津川渓谷秋元湖河口付近に車両通行を制限するコンクリート塊が置かれ、
ほぼ車両通行止め状態です。(MRの車で通過した最後は99年初冬、パジェロJ-Topにて)
 この林道は二つの経緯が在ると思われます。


Phot:2003。この年に金堀地区の河川改修と砂防ダム工事が竣工し、林道入口に新たに標柱が起った。
「秋元湖岸林道 延長4717米」

 一つは金堀部落の由来となった砂金が取れたという事。約2Kmほど林道伝いに入った沢の上流で取れたと言われ、沢沿いに上り詰めると吾妻山の谷地平に抜ける山道沿いに、かつて山神を奉った社が在ると言う事です。
 しかし沢に掛かっていた丸太の橋(かつてジムニーが通過出来た)が95'〜頃に流失した以降は現在も在るのか?確認が取れてません。が、沢を渡る術が失われている為に既に廃道と思われます。
 もう一つは、かつての森林鉄道[中津川林用軌道]の材木搬出ルートという部分です。
 これは裏磐梯の秋元湖にある小野川発電所から秋元湖の北岸を車道で通し、合流した中津川渓谷を起点土場として北上し、渓谷沿いに吾妻連峰まで登る険しい森林鉄道であったと言われます。当時は戦後復興の為に木材需要


金堀の部落。レークラインから右折。
Phot:2003


標柱が追加された金堀ゲート風景。
最近は閉まっている事が多い。
Phot:2003


鬱蒼と茂る針葉樹と、雑木林が交互に現れる山の中を走る。
Phot:2009/撮影協力:おぉじぃ様


2002年、通り掛かりのS字で、
10tトラックが横転していた。
Phot:2002

が急速に伸びた時期でありました。
 軌道部分は起点土場や一部が登山道となり、現在もその残滓を残しています。

参考リンク:「街道Web」管理人TUKA様>中津川森林鉄道(中津川林用軌道)

 その一方で秋元湖北側の車道は、森林鉄道開発時の営林事業による金堀までの延長接続及び磐梯吾妻レークライン[中津川大橋]架橋の際の建築道路として使われた為に現在まで残っていると思われます。



この狭い林道で10tトラック(全長10m?)で通るのも凄いが、この時MRの前には
コンマ10のユンボを乗せた12mトレーラーが入っている。ほぼ無理やり。
Phot:2002


Touringマップル未掲載。
 地図上で一部のルートは道路表記なるも繋がっていない。広域マップルは実線表記で繋がっている。

●秋元湖岸林道(東区間)
区間総延長(竣工S23年時/現道実走)
              12.5Km
東区間:金堀G〜中津川G間 4.8Km

    県道70〜金堀G   2.3Km
    区間距離      7.1km
区間ダート:部落末端〜中津川G
              5.8Km


中津川合流直前にゲートが一つ存在する。
金堀起点の標柱に謳われる4.717Kmは、
このゲート付近まで。
Phot:2003



中津川の合流点。ここはかつての中津川林用軌道の起点の土場(らしい)です。
正面が今来た林道、道順は出口が画面右で川沿いに秋本湖へ、左は登山道(旧林鉄?)になります。

Phot:2003


以下、レポートは
A)東区間/県道70号レークライン沿い金堀部落及びゲート起点より中津川ゲートまで。
B)西区間/中津川ゲートより秋元湖堰堤の分岐路(林道終点)及び県道459号分岐まで。
C)北区間/B区間中津川河口付近分岐より直上の県道70号レークラインまで。
となります。

A)区間を逝ってみる。
 
比較的解りやすいレークライン側から入る場合、秋元湖が見える元ドライブイン(?)の先にある金堀部落から入ります。部落をゆっくりと横切り、林道は真っ直ぐに山に吸い込まれてゆきます。



橋の手前の倒木は2009年発覚(爆。どうも
これもわざと残しですね。
この先にまるで目立たないが「唐松川橋」があり、中津川の枝沢を越えて「本命」へ。
Phot:2009/撮影協力:おぉじぃ様


これが本命、
「中津川橋」(間違いないよな・・?)
2000年の崖崩れ以降、わざと放置プレイが続く。
Phot:2000


 部落の末端から未舗装が始まり、森の入口にゲートが、右横に起点標柱が確認出来ます。
 特に通行止めと言う訳ではなく、部落もしくは森林組合の方が入山していれば「ゲートは開き」状態です。

 金堀の部落から中津川に併走して秋元湖の東端辺り迄の間がダートです。
 金堀からはヘアピンを使っての登りで、所々に軟弱な路面状況ですが、登山道と沢を渡る橋を過ぎた辺りから下りとなります。
 路面も砂利ダートから石が多いやや荒れな状況となります。近年は木の間伐、搬出も一段落して、中津川に合流する直前にあるゲートまでの下りは荒れ気味です。
 中津川渓谷の土場までの間に幾つかある枝道は基本的に「往ってこい」伐採道と登山道です。一部に組合の方がチェーン規制をしている道も在りますのでご注意願います。

 一度ゲートを抜けて中津川に合流します。2000年以降このゲートは開きっぱなしですね。その直ぐ先のT字路は広く土場になっています。ここがレークラインが出来る前に存在していた「中津川林用軌道」の土場、おそらく材木をトロッコから荷車などに積み替える所だったと思われてます。

 この土場跡からあとは川沿いに下りますが、写真の通り中津川に掛かる橋のたもとが通行止めで車は通れません。
 また、かつてはバイクのみが逝けた森林鉄道に沿って遡上するルートも、崖崩れで現在は徒歩のみ通行可能です。

●秋元湖岸林道(西区間)
(当ページ仮表示:
林道中津川線/林道金堀線/及び支線)
区間総延長(竣工S23年時/現道実走)
             12.5Km
西区間:中津川G間〜秋元湖 1.75Km

    秋元湖〜秋元湖堰堤 5.5Km
  終点堰堤分岐〜県道459 1.3km
区間距離          8.55km
区間ダート:中津川G〜秋元湖
              2.9Km


中津川の対岸に橋で渡る。
Phot:2002


中津川渓谷の国立公園標識。
隧道前の広場は春秋は撮影シーズンとなる。
Phot:2002


標識の裏には3段の様壁がある。
重量のある木材を運ぶ(置く?)に足る土木遺構だ。
Phot:2010


中津川隧道(仮)。この色具合が素晴らしい、殆ど天然ポイな。
Phot:2002


春5月、GWに隧道前には残雪があった。 
Phot:2005/撮影協力:旅人シン様


解説その2
 秋元湖岸林道西区間は、昭和12年に当時の"猪苗代水力電気株式会社"が秋元湖畔に小野川発電所を建設。小野川湖よりトンネルを通じて取水を行い発電を開始した事に始まる。
 発電所を作るにあたり、調査とその後の湖畔河川管理の為に作られた道がこの林道の前身と思われる。立地地域が国有林の為、管轄の猪苗代営林署の許可を受けての始まりであったらしい。
 その後、昭和14年の「電力管理法」によって猪苗代水電は強制的に"日本発送電株式会社"に合併吸収されてしまう。いわゆる戦時国家統制であった。
 その翌年、昭和15年に竣工される秋元湖発電所を作るにあたり、秋元湖はアースダム化され、水の安定供給が約束されると同時に湖水の水位が一定化されてゆく。
 この一連の電源開発によって、秋元湖岸林道はアースダム造堤の為の資材調達路線として作られたと思われる。
 資料が無いが、戦時中も軍用の木材を調達していたと思われる。

 戦後、再び木材需要が高まると、猪苗代営林署は既にあった秋元湖岸林道を延伸して、昭和23年に当時の中津川林用軌道(いわゆる森林鉄道)を敷設。
 中津川から秋元部落にあった製材所まで木材輸送をするのだ。
 当時まだ林道は"日本発送電株式会社"(即ち国)の管理であったが、戦後日本発送電は過度経済力集中排除法の対象となり、昭和26年「電力事業再編令」にて旧猪苗代水電系発電所は総て東京電力に移譲され、林道も東京電力管轄となるのだ。
 林鉄が在るのに軌道化されなかったのはこれが理由と思われる。
 尤も、車道と言っても荷車を牛に引かせていたらしい。

 昭和25年、この地域は国が定める国立公園に認定される。「磐梯朝日国立公園」の誕生である。
 これによってこの地域での森林・湖水・渓流などは全て現状の保全と保護管理が行われる事となり、猪苗代営林所管轄の猪苗代・中津川・小野川・曽原の各官業事業所はそれぞれの占有伐採地区の許可年度までの伐採を以て段階的に事業閉鎖という状況であったと思われる。

隧道の上にはレークラインの「中津川大橋」が
かかる。
Phot:2010


12月初旬、岩場での凍結落石が多発する。
現在、車は進入不能。
Phot:1999


秋の台風シーズンは倒木が多い。
Phot:2003


秋元湖側には1個0.5t程度のコンクリが3つ。
DT200WRは抜けるのにTTR250Rは引っかかる(爆 Phot:2009


何故かな?。
隙間が広がってる(核爆 Phot:2010


 そんな中、秋元湖岸林道も昭和35年に森林鉄道が廃止。だが林道はそのまま東電管理道として存続する。
 発電所の流域保全のため秋元湖の水位を始めとする湖水管理は福島県の委託を受けて東電が行っていたが、平成元年8月の集中豪雨で裏磐梯の湖沼群は異常増水をきたす。
 秋元湖ダムの放水機能を大きく上回る豪雨はダム決壊を回避すべく流域河川に放水され、甚大な被害をもたらした。
 福島県は「国立公園の湖の多目的ダム化」という事業を始め、それに伴って林道を含む治山/流水/湖水管理は再び福島県猪苗代土木事務所が統括する事となった。例の金堀部落の砂防ダム工事などもその一例であり、小野川桧原、秋元湖も新たに水門が設置され、平成11年に事業は完成している。


路肩から逝くにも秋元湖に落ちそうだ。
Phot:2009/撮影協力:おぉじぃ様


ダート区間の最後の土場。大きな通行止め看板がお出迎え。
本線の北側(写真正面)にはレークラインに繋がる支線林道「北支線(仮)」が在る。
Phot:2009/撮影協力:熊五郎様



"秋の装い”この後秋元湖北岸には「名前通り」の舗装林道が続く。Phot:2010


鮮やかに彩られる秋元湖岸林道。秋元湖岸林道ダート部分、最後の直線。
Phot:2010


 福島県下に置いて戦後間もなく造られた林道は数多いが、当初から山隣りの部落まで約12Kmの車両用林道、しかも森林鉄道と連動という仕様は珍しいと言える。

 
普段見る落石注意と違う標識。
東電オリジナルデザイン?
B)区間を逝ってみる。
では、改めて逝ってみよう。
 秋元湖岸林道は東区間のゲートを越えるとそのまま下りながらT字路で川沿いの林道と合流。中津川橋で中津川を一跨ぎしている。

 真上にレークラインの中津川大橋を仰ぎつつ手掘りのトンネルを抜けます。この隧道は昭和23年の林用軌道時代からのモノと思われ、福島県下では営林用車道専用素堀隧道として最も古い部類に入ると思われます。


直線のラストから簡易舗装となる。
Phot:2010


数少ないワイヤー式ガードレール。
湖岸沿いは狭く、軽自動車もすれ違えない。
Phot:2010


路面が濡れてるとバイクでは来たくない舗装林道。Phot:2010


転落すれば即凍死。やだなぁ・・・Phot:2010


 隧道の北東側が、いわゆる渓谷の撮影スポットになるので、春秋はカメラの砲列が並ぶ空き地です。この空き地の足下である道路も、3段に組み込まれた要壁が支え、山際の法面も立派な要壁で守られています。これは林道の竣工年ではなく、先程の中津川橋同様に昭和36年頃の改良かも知れません。
 隧道を過ぎる(つまり南西側)と中津川渓谷の西壁をへつる道となります。
 ここは落石多発区間なので、雨天時、積雪、凍結時は要落石注意です。
 近年は路肩部分も一部に崩落があり、道幅が狭い区間もあります。
 また道沿いにはガードレールはおろか駒止すら在りません。渓谷に滑落すれば確実に逝けます。


市道路端のアスファルトは下が抉られている。
Phot:2010



何だ?あの杭・・・?斜面矢印の所に白杭があるぞ。
Phot:2010


 北から下りて来ると林道は中津川渓谷に沿ってゆっくりと方向を西に向けて行きます。
 やがて道を塞ぐ3つのコンクリート 別名
「秋元湖バイクゲージ」が現れるとその先はすぐ土場です。秋元湖畔には土場が在り、道が別れています。正面に真っ直ぐ進み、名前通りに秋元湖湖岸を西に進んでゆくのが本道です。
 因みに土場から北に登る道が北支線(仮称)で、近年レークラインへの再接続が確認できました。
 さて、景色を眺めて写真を撮りつつ西に進みます。分岐の土場から約1Km程で秋元湖岸林道最長のダート直線は終了、舗装林道になります。
「でけえキノコ?」

何か目立つ白い杭。小野川発電所から約4Km東(上流側)の林道まぎわで点在している。Phot:2010

 よく見ると法面のあちこちに白いワニ杭がある。正面にマーク、側面に通しナンバーが振られていた。
 原町森林鉄道の時もそうだったが、どうやらここでも利水の発電所がその河口付近の林道を管理道路としていたようですね。


これって、
昔の「東電マーク」?
まさか猪苗代水力電気?日本発送電?、
Phot:2010


恐らくは秋元湖の玉石を綺麗に積んでいる。
これは戦前の電源開発の遺構なのだろう。
Phot:2010


湖に流れ込む河川を管理している為に管理境界の杭が打たれているのだろう。
簡単に言ってしまえば、杭から下が電力、上が営林署と言う所だろうか?。
Phot:2010


 二つ目の大きな入り江を過ぎる。対岸に今通って来た林道を紅葉と共に眺める。足下の暗橋と左右の法面には古い玉石を積んだ要壁が整然と並んでいた。しばらくは風景を眺めて写真を撮って進むが、景色が良いと言う事は、それだけ危険な立地条件の林道と言う事だろうか?。
 元々が森林鉄道風味に舗装しただけなので、ガードレールなど転落防止設備はおろか、満足な路肩の補強も怪しいものです。

 
湖岸沿いでは路肩への幅寄せなどは可能な限り避けた方がいいだろう。

 やがて東京電力小野川発電所が現れる。小野川湖と秋元湖の高低差を利用して発電するのだ。
 排水門がそのまま林道の路面となるが、点検用に鉄板仕様なので雨天の場合は注意が必要。ハッキリ言って良く滑りますね。



普段見る対向車注意と違う標識。
これも
東電オリジナルデザイン?
Phot:2010


"秋の装い”秋元湖北岸には「名前通り」の舗装林道が続く。
Phot:2007/撮影:熊五郎様


鮮やかに彩られる舗装林道。Phot:2007


 その後昭和15年製の
秋元湖堰堤を越えると小野川への分岐路に到達する。


ひなびたキャンプ場(爆 がある。Phot:2010
 本来の秋元湖岸林道の起点はその先にある分岐路と思われるが、双方の分岐にそれを示す表示が無い事、現在反対側の金堀部落の標柱が起点として中津川ゲートまでの距離がほぼ合致する事、電源開発に伴う歴史的背景から同じ名称の林道ながら、西側はほぼ別ルートと言えます。
 因みに、現在は市道となっている国道459号線までの区間も、元々は秋元湖岸林道であったと推測します。小野川発電所を建設する為の道だったんですね。

 
さて、長く険しい歴史に彩られた見た目は「平凡な簡易舗装林道」の最大の魅力は・・・・、
なんといっても間近に見られる中津川の風情でしょう。
まさに美しいの一言。


発電所の排水溝の上は鉄板敷き!
これがよく滑るんだナ。
Phot:2010


昭和14年竣工の小野川発電所。
お色直しをしてるが、建物本体は竣工当時のままとのこと。
現在は東京電力が管理している。
Phot:2010



秋元湖に発電所の排水口があり、林道はその上を通ってゆく。
秋元湖が電源開発されなければ、この林道は無かっただろう。
Phot:2010


晩秋の秋元湖の佇まいを愛でる。 この堰堤も昭和15年竣工。
堰堤に合わせて、秋元湖岸林道も付け変えされて現在のルートになる。

Phot:2010


 早春や晩秋の頃にぜひ走っておきたい林道で、舗装化されてもお勧めしたいルートです。
 もう一つは「三河小田線」同様「ハブ林道」である事。
 中通りから猪苗代を通って喜多方・山形に抜ける為の重要ラインであります。またレークラインをほぼ同じルートで同じR459に出るのでツーリングプランの選択枝が飛躍的に広がります。紅葉シーズンなどは国道が渋滞するので、特に重宝します。


チャリンコは判る。車はどんな車なんだよ?つーか何時の車?。Phot:2010

 最後にもう一つ歴史的な遺構を一つ。秋元部落の端にある秋元川を跨ぐ秋元橋である。
 余りにベタなネーミングだが驚くなかれ「近代土木遺産Cランク」に該当する橋なのです。
 かつて秋元湖堰堤及び小野川ダム建設の為の工事用道路として掛けられた橋なのだそうです。そう考えると国道から秋元湖岸林道だったと言うのも頷けますね。
 この橋の経緯に付いては「日本の廃道」2007年17号「旧橋紀行9」においてリンク先「街道Web」管理人TUKA氏が詳しく調べているので、ここではそのスペックのみ紹介しよう。
橋名「秋元橋」
橋長38m/スパン12.8(g+G+g)
形式:下曲弦プレートガーダー桁
   (ホイストクレーン転用)
竣工:大正15年以降(竣工年は不明)
   明治29年イギリス製。


秋元湖の堰堤を下りて来るとこのY字路に出ます。
写真直進が秋元湖岸林道。ここが恐らく終点。
因みに写真左に曲がると小野川湖に出る。
Phot:2010


秋元湖からは写真左手に出て来る。
直進すると秋元湖堰堤にある慰問に行く。
国道へは写真手前に向かう。
Phot:2010


するとこの橋に出るのだ。
銘板も一切無く、1.4tの規制のみ?。
Phot:2010


下部に膨らんだガーター橋だと?。Phot:2010


架橋当初の幅がこの主桁の幅(約2m〜)程だったのでは?
左右の歩道部分はどう観ても後付けにしか見えない。
Phot:2010


外周に「CRAVEN BROTHERS MANCHESTER」
(クラベン ブラザース(社/上段) マンチェスター(市/下段)
真ん中は
「RIMITED 25TON S 1896」(最大加重25ton 1896年"明治29年"製)とある。
Phot:2010


調査日(02/7/20)の状況:
 路面状況は「やや荒れ」で、一応通行止めです。渓谷に架かる橋から崖崩れで難儀しますが、バイクとチャリンコは通過してました。恐らくこの時始めて、秋元湖側にコンクリートで車止めがされてます。でもまあ単車ちゃりは抜けられます

調査日(03/9/27)の状況:
 路面状況は変わらず一応通行止めです。営林署の車が伐採で入ってます。渓谷に架かる橋から崖崩れで難儀しますが、バイクとチャリンコは通過してました。中津川は雑草に覆われ、トンネルから秋元湖までの中津川区間に倒木・落石あり。

調査日(05/5/2)の状況:
 昨年のGWは通過できたが、今年は雪が多く通過を断念致しました。隧道部分に始まり林道上もっとも標高の高い(推定800m)地点の杉林区間に残雪多数。

調査日(09/11/3)の状況:
 6月、11月と今年は2回走ったが終始問題はなかった。ただ双方とも金堀側のゲートは閉まっている状態だった。中津川渓谷の橋に倒木を確認。11月まで放置プレイだったので、そのままになりそうだ。(笑w

調査日(10/12/4)の状況:
 11/12月と2回走った。色々調べてみるとやはり加筆の必要性を感じてジムニーで確認撮影。ところが過去2回の実走メモに2Km以上の隔たりが判り、今一度月末に逝く羽目に。
 廃道区間の確認の為に、ニコ改が出来るのを待って行く事になる。
 例年通りに12月最初の週は「雪」でしたが終始問題はなかった。橋の倒木はデフォ確定。金堀ゲートは全開で固定されている状態。


秋元部落を過ぎ、市道から県道486号線に
合流する。
Phot:2010


県道486号線に合流する。手前が猪苗代町、
奥が五色沼/檜原湖方面。
Phot:2003


秋元湖岸林道 北支線(仮)へ。