廃道日記(Riding・Report)



「宇津峠入口」真新しい看板が建っとる



廃道日記 52 2023旧国道113号線「旧宇津トンネル」

ここは
「観測所」

難解で特殊な地質に
不幸にも貫通したトンネルは
僅か12年で
通行止めとされる。

それから23年、
今でも黙々と
観測器機がデータを紡いでいる。

鉱脈がいつか
このトンネルを
閉塞
に至らしめる。

その最後の瞬間まで。





ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。





「唯一盛り下がってゆく旧道」


「やがて閉塞する」2023宇津トンネルにて。

 プロローグ。 1

 
山形では神県令(現在の県知事にあたる)と謳われた三島通庸が開作した一つの峠道がある。
 13の険しい峠がドミノの様に連なり、雪深い山形ゆえに年の三分の一は雪に閉ざされる、総称してその峠を「宇津峠」という。
 明治の隘路を神県令は車道として開削するがまるで奥羽線と国道13号線萬世大路と同じ様に、米坂線の登場により明治道は廃れ、しかし自動車の発達とともに、戦後この13の峠を一気にトンネルで抜ける計画が実行に移される。
 
これが今回ご紹介する「旧宇津トンネル」である。
 因みにこの旧道線は現在も国道管轄であり、国道維持出張所であろうか?


「落合橋」
河川の本流、支流の合流点に在る橋名
ではもっともポピュラーな名では?



「バイパスの下を潜る旧道」


 護岸用のテトラポットや災害用の1〜2tトンバックの製造?(いわゆる土入れ)とその保管をその旧道上で行なっていたりする。
 また、東側坑口沿線には廃棄物処分場や林道の起点などもあり、今回訪れた際には明治道入口付近に新たな案内板なんかも建植され、放置プレイに放棄された当時金を掛けたであろう道路標識などとは対照的に輝いて見える程だ。
 前に走った明治初期の三島道も健在で、その先のコーナーの真ん中に豪華チェーン封鎖付きで在った。


暫く振りに来たら何か出来てる。
そもそもこんな広場そのものが、始めて見るな。
倒木がいかにも旧道という感じだ。



宇津十三峠の江戸期の案内図
看板の後ろがもう江戸期の登り口、急坂だがKLXなら下れるかな?。
(登りは無理!)




が、案内も何も無いのでどう見ても私有地の入口の様だ。
 今回はツーセロ君なのでここもパスとしよう。
 まあ冬枯れの頃にKLX125で一度流してみたいが。
 大分色落ちしてきたが十分に色付き良い青看板に迎えられつつ緩やかに左右に振れる直線を登ってゆくと、林道の分岐がある右コーナーに出る。
「林道ニノ沢線 起点」と書かれた林道標柱がやや斜めに起立していた。
 前回来訪はゆうに震災前ぐらいだ
が、こんな林道は無かったな?
 ここ数年で開通したのか?
あ、平成22年と書いてあるわ。次に来た時に走ってみようか。
 
そしてこの辺から異変が始まる。
路肩の崩落、アスファルトの亀裂。地面の陥没が電柱を飲み込み、送電してるか分からない電柱折れてるし、
何故に?
これはかなり危険が危ないな?。



太陽の軌道から外れ、尚かつ林の日陰
になる標識は青い、まだ青い。



新たに林道が出来て分岐していた。
平成22年竣工、起点標柱。



「不穏な空気が漂う」路肩欠損と陥没に飲み込まれる電柱。
残雪で分かりにくいが流出した土砂は下を走る林道二ノ沢線に達する。


 さらに進むとある意味有名な風景が現れた。
 蔦に侵食された電光掲示板、一部標識が剥がれ落ちてしまったアーチ型の道路表示板、スピード落とせなどの各種警告版も著しく色飛びが起きて、放置期間の長さを物語っていた。
 かつて所狭しと置かれたトンバック置き場の左車線にバッグの姿はなく、それどころか
路肩の崩壊でセンターラインまでそっくり道が削げ落ちて、しかも先ほどのニノ沢林道がその災害に巻き込まれている
「重い物置き過ぎたんじゃね?」
 旧国道左側は崖、右側の山際には産廃の最終処分場がある為、車線確保で崖側に置いた2トンバック、前に知り合いが見た写真では二列に12ヶぐらい在ったよな?路肩に12
t 掛ってたんかよ、
 そりゃ落ちるかも(笑
 森の間にある青看板はまだ色があるが隧道前の同じ看板はすっかり青看板の青も抜け、文字ごと白看板に成り果てていた。


挙げ句に折れてる電柱
通電してんか?この電線。


完全に道路を塞ぐ倒木。
この時期作業関係者はまだ入って無い様だ。



「広場に到着」雪開けに看板が綺麗に見えるぞ。

南側(崖側)の路肩が崩壊している。


 小雨はまだ降り続いているが、旧道上には川が流れていた。目で追えばその水はトンネルから流れ出ていた。

 入洞すべし。 2

「あ、ホントだ」
 さる筋からの情報で長年封鎖されていたフェンス付きコンクリートの障害物が撤去されているのだ。
 よし、情報通りだ。ていうか
ちょっと管理者さん、何ておざなりな閉鎖なんだよこれ?
 普通車が通れる間にゴルフ練習場で使うような緑のネットで簡易封鎖?いやいや鍵の一つも無いので単なるカモフラージュでしか無いぞ。
 取り敢えずバイクを降りてネットをよく見ると上からロープで吊るしてあるだけで、下は何処から出たのか頭大のコンクリート塊などで置石してあるだけだ。
「これは封鎖する気が無いのでは?」
 いやいや、いくらなんでもそれは無い、単にこんなとこ覗きに来る奴はいない前提なんだろうな。

 
「カーブ注意」の電光掲示板が
もう光る事も無い。



完全に白看板
もう何が書いてあったか判別不能。



「ゲートが外されている」
多分平成3年以来だろうな(笑。


しかも置石止めかよ!え、対人用じゃない?




 ゴルフネットも人より動物が入らない様にするのが目的なんだろうと理解する。

雨が少し強く降って来た。
 慌てて置石を通れる幅分だけ退かし、ネットをたくし上げて紐で縛ると、おもむろにセロー君を滑り込ませた。
 ヘルメットを脱いでBOXからタオルを取り出し体を拭くと周りを見渡す。全長  m先に出口が見えるが天気が悪いせいで余計に洞内が薄暗い。エンジンは止めずにライトで投光して写真を撮る。



昭和42年竣工。
薮が無いと良く見えますね(笑



「漏水が滲み出る内壁」
光が差し込む入口を10mも行かない内にコンクリートの継ぎ目からいくつもの漏水。
しかも延々奥まで「漏水の輪」が続いている。



 入り口から20m程は綺麗に片付けられていた。天井から落ちた水銀ランプが路肩に立て掛けられているのを見て改めてヘルメットを被り直す。その先の天井ランプが半分外れてぶら下がっているままなのだ。
 800m先の出口の光が、半円ではない。
「かなり危険な状況だな」
これは気を引き締めて行かなければ。


 観測基地 3

 
ヘッドライトをHiにすると何やら等間隔に反射するものが壁や天井に設置されていた。多分観測機器だ。
 その線は天井から左右に分かれ道路床から1m50cmぐらいの高さ、つまりトンネル左右の壁と天井に繋がる斜め45度ぐらいの位置に据え付けられている。
 
ライトに照らし出されるその様は、まるでエリア88の山岳基地の誘導灯の様だ。
 
それとは別回線で道路上センターライン上に同じ物が取り付けられていた。


天井の真ん中に排水路出来てる?
道の真ん中に山盛りの土砂と天井配管。



配管の先、照明装置。この高さで落下して
水銀ランプと思われるが割れていない。



「タッチダウン!アプローチゴー!」
ほぼ「エリア88」の山岳基地だな。この光ってるのが総べてセンサー器機である。


天井に設置される主幹から左右に分岐し片側二ケ所に器機が設置される。
天井にも在るので全部で5個か。



温度、湿度、気圧などのセンサーと、
黒いのがGPS連動の位置測定器だろうか?
1-5とは第一環の5番目の意味か?


補修、亀裂、漏水、消火栓。
全て廃れている。



金具が抜けて垂れ下がる配線。
均等に落ちている水銀灯ランプBOX。



 よく見ると二つのセンサーがついてる様だ。道内の温度や湿度、気圧を感知する物とGPS連動で地形の動きを感知する物だろうか。
 現在も黙々と膨張を続けるあの鉱脈を監視はこうして平成3年のトンネル閉鎖から連綿と33年も観測が続けられているのだ。
 
この「スメクタイト鉱脈」を貫通してしまったトンネルは、もはや地質学者の観測基地なのである。
 マーカーや観測機器は絶対に、落ちている天井照明やその配管、散乱した破片も確実に避けつつ時速10km程度で進む。

 二列に配置された照明の殆どが落下し、まともに設置されているのはここまで1台ぐらい、カバーだけとか半分脱落してるのが2〜3台程度だ。壁に埋設してある非常ボタンと消化器のカバーが腐り落ち、道路に落ちてたりする。
 大量の埃や壁や天井から地下水と共に流れ落ちた土砂で非常に走り辛い。実質走行有効幅は50cm位だろう。
「んん?」
 なんだろう?センサーの列が歪ん
で景色が変わって来た。
床や壁が変形を始めているのだ。




んん〜〜床がせり上がってない?。
天井からの漏水も酷いな。


 有り体に言えば水を含んだスメクタイト鉱脈が鉱脈そのもを流動させつつ膨張しトンネルの躯体を破壊している。そしてその変化は飯豊町との町堺を過ぎた小国側で起こっていた。
「なんじゃこりゃぁぁあぁ」床が、道床がまるで活火山が出来るかのように盛り上がっていたのだ。
 その高さ、現在1m越えであろうか?既に路肩の水路まで膨張、破壊されている。

 簡単に言えば湿気を吸って熱に変える事で鉱脈そのものが流動化、肥大化する鉱脈である。
 水分が無いと熱を失って固まり鎮静化する鉱物と解釈している。
 一番近いのがマグマかな?とMRは考える。
 2004年にヨッキれんこと平沼氏の撮影写真を見ると、その状況変化は驚愕に値する。


 出口へ。 5



「東、飯豊町/西、小国町」


「これがスメクタイト鉱脈の威力なのか!」



「地盤隆起、凄まじい地底の圧力」
手前こそコンクリート瓦解だがその裏は全部土砂である。


「天井まで2m無いかな?」
 
一番高い所で大体隆起1m、その突端で停車すれば運よくスタンドが立てられたので撮影後スタンディングしてみると、挙げた手先で大体2m3〜40cmぐらい?合計3m3〜40cm。トンネルの通行有効断面高さを4.5mとすると1mそこそこだがそれでも内壁からかなり近い!そして近づくとより一層天井の破壊振りが凄い。
 補修したモルタルすら下からの膨張で剥がれ落ちる。楕円形の断面中央部で高さ5mは有る筈だが、鉱脈の為にもはや天井の最高位置も朧げだ。漏水も酷く上は湿度が高いのか?歪んでピントが合わず撮影できない。確か鉄骨の支保工も在った様な気もしたが見当たらない。取り敢えず高台から降りるともう小国側坑口は目前である。
 こちらの坑口はコンクリート壁で塞がれたままだ。坑口から雨が差し込む所には綺麗な藻が群生している。こりゃ春先はお花畑かな?




「このトンネル片勾配だっけ?」
漏水こそ酷いが天井の照明は小国側の方が残っている?。


「西抗口はテトラ置場?!」小国村はまだまだ冬。


「始めて見るな」トンネルから外は相変わらずの残雪風景である。お陰で小国側からは徒歩以外接近出来ない。ていうか道幅一杯に並べられたテトラポット(河用)と残雪が徒歩の接近も見事にガードしている
 お陰で小国側からは徒歩以外接近出来ない。雪の積もったテトラって危険だよな。よしんば到達してもここでターンするしか無いのだ。
誰とは言わないが1台のバイクがやはりターンしてる足跡もある。
小雨を伴った冷たい風がまだ庄内は冬だと囁いている。振り返ってはたと気が付く。
「このトンネル、片勾配じゃね?」



「さあ、戻ろうか」背景の壁が漏水で落ちてるが瓦礫は無い。
早くからこの状態のままなのだ。


 最初は地下水や構内の漏水が原因でスメクタイト鉱脈が活性化して膨張したのかと思っていたし、何か書類にもそんな指摘があったはずだ。
 
が、そもそも水が入りやすい片勾配のトンネル構造そのものも問題ではなかったのだろうか?開通時から、いや掘削段階から止水しなければ・・・いやいやそこは仮定の空想だ。どちらにして事象は始まり、トンネルもももう廃道なんだし。
「帰るか」
 気を取り直して、帰りも気をつけて戻る。トンネルを出ると雨は降ってない。やっぱり違うのかねぇ。

 
再びスメクタイト鉱脈頂点へ


「帰りもマジマジ見る」
実は天井に向かっての急坂である。



「さあ、帰ろう」流石トンネル東側に建つ標識の裏面。
極端に少ない日照時間が標識の退色を防いでる。




終 劇 。