廃道日記(Riding・Report)













氷の世界へ。










ワイド版 後編(笑。



廃道日記 50-2 2022旧国道13号線「厳冬の万世大路/栗子米沢抗口」

「氷の宮殿」

リンク先の皆様は
もう10年のも前から
その美しさの虜だった。
毎年正月過ぎに訪問し、
その年の年末の忘年会で
その氷の宮殿の話をする。

あれから10数年、
コロナ渦で忘年会の話も無いまま
今、僕は彼等の見た
宮殿に迫る。



ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走った
ルートの覚え書きです。
走行距離は主に
バイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。
また、
掲載される内容は大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。


 い、息が、酸素が間に合わない。
「ーーーーー・・・!!」
 
息も絶え絶えに・・登り切った!

 新雪にしゃがみ込んだらふらついて倒れそうになる、
いかんイカン!そのままのめり込んで沈んだら脱出不能になる。ここで深さ3mくらいだろ?。長い事しゃがんだ気がするがその場に3分も居ない。
 立ち上がり最後の直線を歩いて行くがここも先ほどのヘアピン同様に幅1m程の雪庇の突端を歩いて行く。
 下から風に巻き上げられた雪が林道道床に堆く積盛っていて、法面まで開けているのでピラミッド型の断面となっているのだ。道路側はいいが法面側に落ちらた登って来れないかもしれない。
 古い写真で知っては居たが初めて見たよ、この積雪。
 
おかしい?隧道が見えない?経験上もう坑口が見える筈だが。



正面は栗子山、そして抗口・・・何処?

 どこからか素っ頓狂な声が聞こえる?これが噂のローレライ?あ、人?栗子山の斜面を滑り降りてくる人がいる!
 唖然として立ち行くした・・・これが雪山登山という奴か?
 二つ小屋隧道から旧国道経由で登り、栗子山山頂( m)経由で米沢に抜けると言う。知っては居たが初めて見たよ。
 そしてこのグループ4人とは隧道前の広場ですれ違った。同年代か少し若いグループで女性が1人入っていた。互いに挨拶したが4人は隧道には余り興味がないか、見た事があるのだろう、あっという間に下山してゆく。
 ちゅーか、
あの巨大な広場が緩やかに斜面となって、隧道の抗口をほぼ塞いでいたのには本当に驚いた。
「では、行ってみましょう」
 他の方が歩くルートから5~6人の足跡が道を離れ、二つの抗口に分かれて向かっていた。当然それ以外の新たな道は有り得ない。
 足跡を辿って抗口に近づき、
ボロボロに凍ってるアーチに手を掛けて瞼が閉じる直前に瞳を覗くように覗き込む。
「おおおおおおっ!」
どうやら行けそうだけど。


え?あれが抗口!。左が昭和、右が明治抗口
山頂越えグループの強者と挨拶を掛け合う。
気分はすっかり冬山登山。




え?抗口から入れる?!。
既に10人位の足跡が!


 氷の世界。 10





 ほぼ坑口アーチ頂点の高さから見下ろす坑内はまるで氷の国の箱庭という感じだ。
そして
「階段がある」
 明らかに先行者が足で踏みつけて作られた氷の階段があるのだ。これは降りるしかない。
 少なくともロープもそれを支えるアンカーも無い状態で蟻地獄のような坑内に下り、後で登れなければ笑い事では済まない。
階段は帰還の絶対条件である。
 スノーシューを脱いでストックと共に坑口脇の雪庇に突き刺しリュックを下ろしてカメラとライトだけ持って降りる。念の為スパイクは装着する。


寒い!では無くて冷たい凄い冷気だ。



階段がある?!。

抗口向かって右側の斜面に沿って  
道が在る。 




 自分で氷の階段と言いつつ、本当に良く滑る階段をまさに滑る様に道床に降り立った。
「別世界だ」

 邂逅。 11

 それは閉鎖された空間と知っての事からか、目前の蒼く輝くアイスピラーに圧倒されてか、二ツ小屋とは明らかに違う世界観があった。本当に別世界である。
 
まるで月の裏側に降り立った気分だ。


降りられた。なんだろう?氷が蒼い。


天井はクレーターの様。

抗口向かって右側の斜面に沿って  
道が在る。
道内には10人どころか今年の冬来訪者
全員の足跡が在るぞ。 








丸太が落ちてる?
これ、支保工が落ちて来てるん 
じゃないか?。         


          


 足元の積雪は約3センチ程度、凍みてはいるが凍ってないのでスパイクは要らない様だ。

 どうやら漏水して地面に到達する前に凍結するので地面に氷が堆積しないようだ。しかしこれはその年の気候に大きく左右されるので使わなくても持参は必要だろう。
 
入洞して最初に出会うのは先ほども書いた巨大な氷柱である。
 その太さは1m近いのでは無いだろうか?まるで朽ちた隧道をこの柱が支えてるのでは?と思える程に美しく逞しいアイスピラーである。
 
しかしカメラを構えながら天井に視線を上げると、天井にはまるで月のクレータが無数に出現し、そのクレータの幾つかからまるで冷凍ビームの様に大小のつららが氷柱になるべく降り注いでいるのだ。
 それもその筈、そこから2m程奥の天井は完全に崩落し、巻きコンクリートどころかその奥の目測60センチはあろうかという支保工の梁も朽ちて崩落、その奥の山塊も5m程が天井から抉り落ちているのだ。
 撮影の為カメラを抱えたまま近づくと、足元に腐った直径10センチの棒が完全凍結で落ちている。長さは2m程だ。
これは支保工と地盤の間に詰め込まれた挿木の一本だろう。


奥にも氷の林が林立してるぞ。


更にその奥も崩落してる。


崩落部の真下は「ニョロニョロの巣窟」。

これは「氷筍」
その穴の上は………?。


 15年ほど前に初めて来訪した時の
倍は土砂が堆積している。
 梁の極太支保工が腐り落ちた後はまさに止め処なく天井が崩落し続けた証拠だ。
 手前に凍ったヘロヘロの鉄筋が凍結している。昭和37年頃に最後の補修を行った天井巻き立ての残骸だろうか?。それ以前にはメッシュの鉄筋棒を使う背筋コンクリートなどなく、モルタルが漆喰の様に厚塗りされているだけなのだ。
 既に崩壊は天井両脇の壁面まで進み、この坑口から15m程の天井崩壊が閉塞になるまで長く保たないだろう。東日本大震災以来、余震ともいうべき大型地震が多いのも理由の一つだろう。もはや昔の熊五郎氏の様にバイクでは越えられないかも知れない。
 
そして抉り落ちた山塊の上には物凄い数の氷筍・・つまりニョロニョロがびっしりと突き出していた。
「まるでニョロニョロの巣だな?」
 
いや最早部落と言うべきか?
しかしニョロニョロの先に上からの氷柱は無い。見上げると人間の内臓の様な毒々しい赤色の岩塊が灯りに照らされる。
 これは・・・
多分絶対的に水量が無いのだ。
 手前の巨大氷柱の、恐らくは1/10以下の水量なのだろう。
 さらに近付こうとしていきなり足元が滑る、崩落に向かって斜面が段々に凍っているのだ。無理せずそこからしゃがんで撮影する。
 ここは第一の崩落点なのだがその先に第二の崩落穴。そのさらに奥と言うか、昭和47年閉塞と言われる本当の崩落現場まで300m程あったが流石に今回は時間も押しているので諦める。
 出口まで戻ってカップラーメンで昼食と思いきや
外は猛烈な吹雪になっていた。


岩盤?氷荀にいちいち反応してカメラの標準が合わん。


フラッシュを焚いてみる。鮮やかな肉隗の様。




この辺も天井落ちそう?。
元々ボコボコだが、膨らんで来てる様に見える。



見納め来年も来れるかな?。    


戻ってメシだな。実際には吹雪で外に出られず、ここで昼食になる(笑



 これはガス炊いてまったりと、と言う訳にもいかず少し戻って坑内でクリームバンに生茶で昼食とする。

 さて明治坑口の方だが、直通の足跡が極端に少ないので一度元のルートに戻り、改めて明治坑口に向かう。
 普段ただでさてクマでも居そうな洞窟風情なのに今は雪に埋まって氷の魔窟状態だ。
 実際にたどり着くと抗口は本当に埋まる寸前だった。
「せ、狭い」
思ったより小さい穴だ。



















うわぁ…。本当に蟻地獄の様な洞内、急な斜面で立てる高さも無い。
 覗き込むと誰か入った跡があるが吹き込んだ雪で判りにくくなって、しかもどう見ても腹這いで這い上がった感じだ。奥に見える氷筍がまるでハリネズミの背中の様に見えた。
 
元々掘りが浅く天井から落盤した土砂が入口に堆積して昭和抗口の半分しか穴の高さが無いのだ。そして随分奥まで雪が入り込んで、洞内に立てる高さは皆無だ。
 まあ行けそうな感じはしたが今日の装備でやるとずぶ濡れになった挙句に吹雪で服が凍ってしまいそうなので(と言うか防寒パンツの裾は既に凍結していた)
写真を撮って撤収する事にした。
「またな」
 取り敢えず挨拶して時計を見ると、
時間は3時30分を過ぎている。到着したのが2時すぎだから1時間も居たのかよ、俺?
 寒い寒いと言いつつ寒さも忘れて見入ってしまった訳だ。食事なんて5分ぐらいだったろうに。
 
吹雪は止んだ様だし、勿論計算はある。
 そもそも帰り道は徒歩だろうがバイクだろうが、上りの半分の時間で戻れるジョブもあるし、
途中にかなり猛烈なショートカットを確認してるので、実はかなり自信を持って楽観視していた。



「またな」振り返って挨拶する。


「幅300m、高低差10mの滑り台」
こうなると最終ヘアピンもただの遊び場。命懸けだが。




「どれが最短だよ?」
SCの交差点が在る(笑。


「本道の方が狭かったりする」
今度は下のむすりをSC。



来た時と逆、3〜1のむすりをSCする。



「ここから分岐」足跡に沿って尾根一つ丸ごとSCする。


「この天候以外はな」
 独り言を語って黙々と歩き続ける。
やっぱり下りはラクだわ−−!
 
しかもさっき窒息しそうになって登った最終ココーナーの法面なんかスベリ台の様に滑り降りて行けるのでメチャクチャ早い、これは楽でいいなぁ。GPSを見ながら登って来る時目星を付けておいたSC出入り口の確認して下るのだ。
 往路に登ったショートカット*SCも復路下りは猛烈に楽で速く、加えて尾根越え下り専用SCは20分以上も速く転がり落ち(実話である)最終的には往路が2時間半も掛かったのに対し、復路は僅か1時間20分程でGPS起点である瀧岩上橋のたもとに躍り出たのだった。



「出た」1のむすりの手前の看板。



「ショートカット/SC-Map」

細かい所が拾い上げ切れて無いが、
往路のGPSマップから。

緑枠が往路の主だったSCラインで1〜3のむすりは真っ向のSC。

4〜5のむすりは4コーナーが埋っていた為の強硬登山(笑。

同じく8コーナーが埋って大外に廻る*ここでおばさんと擦れ違う。

因みにこの区間、復路は大きく尾根ごとSCして
ここだけで30分近く短縮している。

最後のむすりもSCして直登、栗子川沿いの西回廊に出る。

最後は最終3連コーナー、ここも上の2段をSC、10分とか掛かって強行登山した所も、下りは僅か2分未満(滑り降りるだけ)




めっさ速い。
ちなみに復路のGPSデータは途中で電波が飛んでしまい、西回廊から終点までが一直線に描かれていたので破棄した。



「入口ゲート通過!」埋っているがな。
ここを直進は明治道、当然下りならSCだ。。



時間は……4時?4時だと!
 末脚の速さはメジロかゴルシか?という位の帰りの速さに自分で驚き、橋のたもとで大の字になって倒れ、GPSを止めた。
 スキー場からの音楽も聞こえず、雪原を渡る飄々と鳴る風の音が聞こえてくるばかりだ
「おつかれさまでーす」遠く砕石工場の建屋から声が聞こえMRはガバリ起き出す。
ヤバい。工場の整備業者が帰れば門が閉じられて仕舞う、と思ったMRは慌ててクルマの置いてある事務所裏の駐車場に向かった。
 幸いまだ作業中の業者が居たので大丈夫そうだ。手早く装備を撤収し、その場を跡にした。


「足が重い……」