廃道日記(Riding・Report)
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オリンピック峠?
何それ美味しいの? |
廃道日記40 「オリンピック峠」そして「オリンピック村」。 |
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「オリンピック峠」 それは、 オリンピック陸上1000mを目指した 熱き思い。 同時に感じた 世界陸上の高い高い壁とその厚さ。 孤高の思いは、 地元にオリンピック養成施設を作るに至る。 長く険しい峠の果て、 その思いは今も続いている。 一つの峠に、 二つ名があるその理由とは? |
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潰れた悪茶くんに替わって導入したEVERYこと「舞ちゃん」 悪茶くんより荷室全長は短いが、横幅は広い。 積載後の微調整がし易いパレット式を導入。 |
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紅白(こーはくさんではない)の八重桜が 桜の季節の最後を彩る。青空の桜はいいねぇ。 |
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「凄いキレイ…」 何故か桜の撮影会に成ってしまう。 |
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「松坂峠」大きな看板がある舗装路が県道の県境。 宮城と福島の境に対する考え方が面白い。 |
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平成十年建植「松坂峠」標柱。 企画設置、梁川町。 |
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「なんじゃこりゃ?」 何とかスタンドが立つ所で撮影。 完全な枯れ沢ですね?見た目以上に起伏が大きい。 |
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右舷90度回頭!ヨーソロー アップトリム15!。 |
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コレ多分「県境」 撮影してる足下には消防ホースやらの業務資材やらカラリオやら捨ててある。 その先で倒木処理!「後でラクかと……」 て、戻るつもりかい……(自信がないんか?)。 |
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爽やかな林間コース。そして… フロントアップ練習素材多数!。 |
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「実はY字路?」県境ルートは右に登る。 直進は掘り割りを下る。こっちが本来の旧道松坂峠? |
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直進側の掘り割りと下り道。 何処に出るのだろう? |
右側に同程度の道が在る。 県境をトレースする名も無きルート。 |
小さな峠を超えて、下りに転じる。 |
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「魚っ!!! 大規模伐採されてる!」 県境から丸森側は御覧の通り。 |
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尾根沿いの道は僅かなアップダウンを くり返して、東に進んで行く。 |
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「渋いぜ倒木!!」二段構えの時間差攻撃を仕掛けて来る倒木。 当然のように左の薮に突っ込むおぉじぃ氏。 |
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そして再び登り、 小さな峠をアップしてゆく。 |
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「登りあげにガッツリ倒木!」 これはツラい、迂回するにもデカい。 「更にもう一本 !!!」勘弁してつかぁさい! |
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やっと横から越えた。小さな切り通しになっているので、名にげに時間が食われる。 「休憩しましょ」 流石に連チャン倒木はツラい。 「もうハラいっぱいだヨ」倒木。 |
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「清水峠」流石に無いわ「オリンピック村」の看板は。 黙々と歩って道を探しはじめるおぉじぃ氏。 |
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営林署の啓発看板。 巻き付けてあった木が倒壊していた。 コカ・コーラの1リッター瓶。 時代だねぇ。 ひと足早く山頂へ。 おぉじぃさんがやっとこ登る。 県境のサイン。 福島伊達がピンク、宮城丸森がグリーン。 |
●早稲田高原グルネーワールド |
「確かに県境?」植林境界のマークと思われ。 写真右手が道と思われる、だが踏み跡無し。 |
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ゆるやかに転倒、即座に起こし 早々に脱出(見事)。 |
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「見付からないぃいぃぃ〜!!!!!」 オヤジの叫びが、早稲田の森に木霊する。 |
参考文献一覧 |
著者、編纂 | 製作、発行年 |
走る 〜オリンピックマラソンランナー 三浦彌平の軌跡〜 |
佐藤 昭男 | 平成12年7月 |
その看板にある「オリンピック村」なるものが実在したなら、多分それは廃墟であっても見てみたいと思うのが人情である。当然峠フリーク(爆!としては、その通過は当然のライフワークを行うだけの、ほぼ何時ものルーチンワークなのである。
それ故、MRはB鈴木ルートを考え喘ぐおぉじぃさんを後ろに、先ほどの県境リボンの方へ走り出した。
倒木だらけの斜面をKLX125は駆け上がり、フロントアップで倒木を乗り越え山頂に登ると左下に清水峠の広場、右下にはずっとリボンが点々としているが踏み跡の感じではない。
それどころか道の風体も無い只の林に転々とリボンが付いている様に見える。
山頂から丸森に向かって下りて行くとそこは沢の始まりともいえる広い窪地だが、まるで森林限界の様に広場は空に開け放たれ、妙にヨーロッパ風味の風景だった。
相変わらず次の小高い峠に向かってピンクとグリーンのリボンが競い合うかの様に登って記されている。
「急だな?道なのか?」
その奥の森の中から冷静な眼差しでB鈴木君がこっちを見ている気がした。
「おぉじぃさん、奴に笑われてるゼ!」
その刹那、聞き慣れた全開音とともに山頂にセローが躍り出て来た。手を振って居場所を確認させる。
合流した二人はヘルメットを脱いで休憩する。
メットを脱ぐなり「ここも多分始めて(来た)感じですねえ」
4月とは思えない暖かさの林でオリンピック峠の謎解きをするが、おぉじぃ氏は思考ダウンした。
「やっぱ、B鈴木君に道案内してもらお」
「そーだね」
●記憶と記録。
結論から言えば、おぉじぃ氏の記憶は半分だけ当たりだったと言える。
後日、夜天飲み会でB鈴木君からも話を聞いたが、かれも実は思い違いをしているのかも知れない。地図上、尾根沿いの県境に在る道には都合2個所の十字路が在る。
おぉじぃ氏もB鈴木君も”十字路を右折”と覚えていて、二人ともそれは「清水峠」だと思っているのだが、話とGPSと地図を突き合わせると、
それが間違いだと解る。
何故なら、清水峠は十字路ではないからだ。清水峠は二つの十字路のちょうど中間にある峠なのである。清水峠はそもそも直進以外あり得ないのだ。
因に、一つ目の十字路はあの造成地に曲がる路地だ。(と言っても当日は十字路に見えなかったが……?)
松坂峠に始まりオリンピック村に行くには清水峠を越えて、次の武名(ぶな)峠に辿り付かなければならない。武名峠は十字路なのだ。
そしてそこには確かに探し物の看板が存在したのである。
次の廃道も見てみる。
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