廃道日記(Riding・Report)


静 寂 。戦後直ぐに生まれたその隧道は、静かに余生を送る。




廃道日記 22-2
「稲沢隧道と真名畑隧道」
〜其の弐、「眞名畑隧道」〜




 常磐炭坑という一大鉱業が栄えたいわき地方。


地質を読み、

地下水脈をかわして

穴を掘る能力も経験も豊富な技術者達は、

交通の分野においても

その力を発揮したと思われる。



ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



「ここは今日鉄砲ブチやってんじゃ!入ってくんな!戻らんけい!」
 
そう、先ほど下に集まる車の荷台で見た物・・・それは猟犬・・イヌを運ぶ檻だったのである。予感的中だ。
「戻ります、すいませんでした」と言いつつ、撮影して一目散に退散した。
 あまりの展開に林道を出た所で一服しながら状況を整理する。
ニラんだ場所は正解だった、だがどちらにしても今日の接近は不可能となったのだ。 
ニコTは、次を目指して走り始めた。

 真名畑へ 6

 地図で怪しい林道入口にアタリを付け、一度現行の真名畑トンネルに戻り予測された入口を潰してゆく。


吸い込まれそうな青空に向かって登ってゆく。

 最初の入口はトンネルの手前から登ってゆく道だがどうやら神社に行く道のようだ。つづら折れの後は神社の参道と併用に成った時点で退却する。
「次はここか」


幹線道路にある。


2コーナーで舗装が途切れる。
あとは野も荒れ道も荒れ。


小さな峠を越えると道はそこそこ長く下る。
何処に出るんだろう?。



南北に通る道に合流する。写真左側にあるのが中山峠に向かう道。
TT-Rは写真右の林道から入ってきた。


 運良く二つ目の入口が「アタリ」だった。入口こそコンクリート舗装のこぢんまりした道だ。直ぐに未舗装になるとぐんぐんと高度をあげ、同時に路面の轍も厳しくなってゆく。
 尾根筋を一跨ぎしてみると、何故かスカイラインではなく道は下り始める。一つの尾根として捕らえていた山脈は、実は小さな沢で幾つかに別れていたようだ。
 長い下りの直線の最後に、沢沿いで名称不明の林道と合流する。
 地図を開いて方向を見定め前進すると、ニコTは沢伝いに林道を北に登り始める。道は着々と標高を上げ、ついに尾根に達する。長い馬の背は左に右に体を裁き、尾根から塙町や真名畑の部落が見え隠れしている。


尾根沿いと思われた旧中山峠に向かう道は、
逆の沢沿いからスタートした。



「馬の背」になっている。
左に真名畑、右に塙を望んで走り抜ける。


 小さな祠に軽く会釈し、左右に青空を見ながらしばし走る。方向から見て間違いなさそうだ。
「コレだな」

 後で解った事だが、このお地蔵さんの辺りは江戸時代からある
「中山峠」であり、現在まで続く真名畑トンネルの元祖と言うべき里道である。
今も地図には峠名の記載がある。


「反対側から来た方がいいかな?」


幾つか分岐がある。山道だがな。

分かり難いが、右手にお地蔵様?が建っている。
解説版らしき物も在った様だが失念。



桜溢れる真名畑。
残念ながら道は舗装に変わったが、春に来るとこういうご褒美もあるんだな。


 先ほどのお地蔵様のある辺りから塙側に抜けるのだが、どうやら最初に訪れた神社に抜ける所がいかにも旧裏街道らしくて宜しい。
 正体不明林道は旧中山峠の尾根筋ルートを共用していたのだ。
やがて尾根筋スカイラインから真名畑の部落を一望出来る所に出た。
 スカイラインからは見事なまでに直線で降下し西側の沢筋から標高を稼いできた旧道にぶつかる道筋が解った。
「あれが旧道だ」

 眠る旧道。 7

 
林道と旧県道196号線の接続地点には立派な林道標柱が建ち、かつての県道の旺盛の片鱗を見ることが出来た。

 正体不明林道の正式名称は林道小川崎線であり、ここが起点である。
 林道は起点から約100m程舗装がなされていた。TTRは県道に入り塙方面に向きを変える。
 真っ直ぐ東に向かって、落ち葉の堆積した舗装路が見て取れた。
 一瞬、コンクリートで閉塞されているのかと思ったが、手前にあるいささか禄の抜けた色合いのオレンジ色で、坑口手前が急なカーブで在る事が解った。


桜で和んだ虚を突いて、道はいきなり降下開始。


しかも急降下!!!!
何%あんだよ、これ。


か、壁?。隧道の手前は急なコーナーである。

真名畑隧道、西側坑口。

a-アーチの無い、まさに「打ちっ放し」な
パラペット。!


北側の壁面には等間隔で碍子が打たれている。
昭和29年製の証か?

[眞名畑隧道]
である。
 山形の廃道(管理人:fuku様)の「全国隧道リスト(S42版)」による隧道のスペックは、全長44m/車道幅員4.2m/限界高4.5m、竣工は昭和29年とある。
「成る程・・・・」
 西側の真名畑側の坑口は銘板の直ぐ下で大きく日々が入り一部が欠けていた。無数に補修の後があり、古い補修痕からはお決まりの鍾乳化現象が起こっていた。
 銘板にある隧道名は地図表記と違い「真」が旧使いの「眞」となっている。古くから在る道筋の遺構にある名前にありがちな事だ。



南側壁面にはライフラインが繋がれる。
車が通らないので低めに付けてある。


風通りの良い北側は綺麗に路側線が顔を出す。
南側は落ち葉が溜まり見えない。


坑内より東側坑口を望む!北側の山の斜面が険しい事が伺える。


「無論通過出来るよな」
 
東側となる塙町側からは、明るい太陽光が差し込んでいた。隧道は既に改修を受けた姿であり、リストもS42時の現状を列記した物なので、当初からコンクリート被服だったかは解らない。
「コンクリートの銘板なのか?」
 普通に考えれば、コンクリート製の坑門に別な材質の、例えば御影石等の銘板や扁額を設置するのが普通である。
 しかしどう見てもコンクリートの一体抜き打ちの文字にしか見えない。
 コンクリートを現場で打説後、職人に彫刻させたのだろうか?
 しかも、その上に見える笠石や坑口正面もコンクリートをレンガ的に組んだ様にも見えるのだが・・・?




東側坑口全景!坑口直上のコンクリート吹き付けが崩落したので雨樋を付けたのか?
と勘ぐってしまう。小さいながらも質実剛健、なかなかの見応えだ。


メンテナンスしやすく下げられた電線類も元の高さへ。


雨樋から溢れた雨水が扁額を濡らしていた。

 隧道は無論舗装されていた。
 幅員4mは左右にペイントされた路側帯を区切る線でさらに狭まり、実質3mを切っていた。内壁には幅8センチ、長さ4m程度の無数の板の跡が残っている。隧道南側の壁には国道に沿って部落に渡る電線、電話線、官用デジタル回線などライフラインが繋ぎ止められ、今の隧道の運用価値を決めていた。そして北側の壁には先ほどの疑問の答えが付いていた。
「碍子だ」
 かつて戦後に電気を通した跡は、今も残っていた。
 稲沢隧道と言い、こんな地方の道路に何げに当時最新の方法で造られていたのである。


 再びタイムアウト。 8

 この旧道は現在ゲートで閉鎖されいるが、これは不法投棄防止と聞き及んでいる。現場を見る限りライフラインの安全確保の意味合いもありそうだ。
 都市圏からの県内への不法投棄は後を絶たない。それどころか、高速定額化や夜間割引で助長される傾向すらある。今回はそれが幸いして旧中山峠を走ることが出来たのは嬉しい誤算であった。



法面に水路がある?笠石の下に雨樋がある坑口も珍しいよな。


帰るか・・・(T_T)。。

 一度通過した隧道の坑口でバイクをターンさせ、再び隧道に向き合う。チャーミングな雨樋を付けた東側坑口から隧道を抜け、来た道を戻る。

 道は文化の流通であり変遷である。過去の出来事も、現在の現状も道路によって創られた文明開化と言えるだろう。少なくとも不法投棄の為に名も無い技術者達は道を造り橋を架け、トンネルを穿った訳ではないだろう。
 時間に追われる帰り道、振り返った真名畑の部落を眺めつつ、そんな取り留めない思いを胸に帰るMRだった。


其の参へ。