ご使用上の注意!

このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。

走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。

また、
掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も当方は
保証致しません。










「朝」湖畔キャンプ場をブラつく。湖の先に見える雪山は八甲田山か?
一晩経っても醒めない夢のようだ……。



   青森県>アオモリ犬はアキタ犬か、はたまた破壊神シヴァ犬か。
7
 
キイィィーーーイィン
ンーー!
 
飛行機が離陸する音で目覚めた気がした。基地のそばで暮らす人にはその騒音は疎ましきもなのかもしれないが、通りすがりのキャンプライダーには良い目覚ましである。時計を見るとまだ5時前だ、当然二度寝する(笑w
「こんな時間からスクランブル?いわゆるロシア定期便か?(←感覚が”ファントム無頼”当時のまま(爆
 そう言えば栗原って三沢から百里に転属して来たんだよなぁ……流石に寝起きの思考回路、論理回路が正常稼働してないな、取り敢えずコーヒーだ。
 7時頃
先に聞いたと比較にならないアフターバーナーの排気音が小川原湖に響いて、朝5時のは旅客機かな?などと苦笑する。
 
いやいや、本当はどうだか判らないんだけどね。

 トイレと炊事場の所で自販機から缶コーヒーを買うと、昨日買っておいたパンで朝食を済ませて出発する。
 連泊なのでテントに荷物は残し、前室に昨日だした焚火台なども畳んで仕舞う。昨夜は炊事しないので簡潔だ。
 時間は朝8時、移動には2時間という所か。
 八戸から三沢経由で青森に向う第三セクター「青い森鉄道」に沿って青森県道8号線を一路北上する。


旅先Photo3 !

小川原湖畔キャンプ場の朝靄。
日本の、東北の朝とは思えないな、この風景は



取り敢えずトイレ(笑w。


このヘロヘロさが堪らないな。炊事場の水は奥の井戸から供給される。
キャンプ場のスナップを見る。


 2時間程で本日の第一目標である青森県立美術館には10時頃到着した。
 ここの
「アファルト・アアルル展」を鑑賞して、隣りの山内丸山遺跡で昼食を済ませ遺跡を見る。目標は午後2時に撤収である。
 青森県立美術館には
特撮界の巨匠、成田 匠氏の常設展が在る筈だが、今回は特別展示と言う事で比較的有名な彫刻が主に展示されていたのが残念である。



県道8号線を一路西へ。


あおもり犬 県立美術館のシンボルらしいこの犬は、弘前市出身の美術家
奈良美智さんの常設作品群のひとつである。(
撮影できる場所はほとんど無い)


とりあえず山内丸山で昼飯。
「山内丸山牛すきうどん」

「古代米おにぎり」(笑w。


「模型で見る山内丸山遺跡」
歴史上稀に見る東京ドーム9個分もある広大な遺跡、
また縄文時代一千年の間で5000年近く、同じ場所で栄えた「都市」である。


 
 
まあ来年のGWも来館確定なので今回は下見と言う事で。(普通1年間違えるか?)
 5月頭の青森とは思えない暑さの中、三内丸山遺跡に移動して昼食とする。
「徒歩300m先」の看板を視認した瞬間クルリと反転して駐車場に向かう。この初夏の暑さで歩いて往復したく無い(笑。
 山内丸山遺跡の駐輪場にセローを停めるとお隣は函館ナンバーのKLX125さんだ。昨年のカブさんといい、北海道ライダーの春ツーリングといえば本州なのだろう。
 

あ、これは知ってる。高床式倉庫だ(笑w。


「ここだけでも東京ドームの広さ」


「大型掘立柱建物」山内丸山遺跡のエポックといえる遺跡。
穴の大きさと配置から建てたが実際に何の為の遺跡かは不明。
屋根は勿論、実際には床があったのかも解らないのだ。
奥は長さ32m幅9.8m、内部広さ実に150帖もある日本最大の縦穴式住居である。



「好い感じの村だったのだろう」
目抜き通りには死んだ大人を埋葬し、子供は自宅の周りに埋葬したと言われる。
都市であり墓地であったのだ。
あちこち見回ってみる。

 
 レストランが比較的空いていたので入り「山内丸山牛すきうどん」「古代米おにぎり」を食する。
「縄文人が牛すきなんか食うかよ」
と思いつつ美味しかったのは意外だ。
 遺伝子操作で再生された古代米・・まあ美味しいよ、二日前の冷凍御飯をチンした程度に固いけど。

 
美術館でも歩いたと思ったが、三内丸山もさらに倍歩く。今日は普通のトレッキングシューズで良かった。昨日のオフブーツなら即死だろうなぁ。
 そんこんなで青森観光が終わった時点で午後3時である。

発掘見本展示棟、完全密閉空調完備で、
当時の状態を保全している。


「ヤバい!」

   飛んで三沢>しかし脳裏をかすめるBGMはエアーウルフ。
8
 
 給油して第二みちのく有料道路に向うも道は混んでいる。というより遅いクルマと早いクルマの誤差が酷い。
 高齢者ドライバーも多いな、おかげで三沢の航空科学博物館に到着したのは4時である。
「うおお、5時閉館だ」



「三沢航空博物館」
米軍三沢基地、航空自衛隊三沢基地に隣接する飛行機の博物館である。


「零戦二十一型」(撮影用実物大模型)全景。


21型は航空母艦への艦載に際して、両翼端が約50cm折れ曲がる仕様と
なっているのが最大の特徴である。

歴史的事変となる「真珠湾攻撃」に投入され一躍有名となる。



「そりゃそうだわな」
 取り敢えず場内のXP(売店)に駆け込みお土産を買って宅急便で送るともう4時半だ。あわてて特別展示室に直行する。
 そこには十和田湖から引き上げられた
「キ-54 陸軍一式双発高等練習機」現物展示されているのだ!当時モノである。
 ついでに映画「決断」で撮影用に作られた「零式艦上戦闘機21型(実物大)も展示されていた。
 まあこの際、実物大模型は置いといて、やはりキ-54である。
「キ-54一式双発高等練習機」は太平洋戦争当時の陸軍機である。
 製造は立川飛行機で昭和15年6月24日原型初飛行、優秀な性能で翌月には陸軍正式採用となり生産を開始、大

何か「手当たり次第展示した」感がある
解説展示物。
「風立ちぬ」は流石に無いだろう?。
戦中も含めて予定数を越える1342機
程が生産され、国内各地はもとより中国本土にも配備された。おもに輸送機や練習機として広く使用された機体である。
 展示されるこの機体は記録によれば
飛行第38戦隊(本隊本部は樺太の落合飛行場)所属の訓練機で、昭和18年9月28日に能代から八戸基地に百式司偵の部品を取りに行く途中、十和田湖に不時着した機体である。



小川原湖底から見つかった「零戦の主脚」
え?シリンダー磨いたんだよねぇ?


昭和19年5月の三沢基地第252海軍航空隊
見つかった零戦の脚は三沢基地所属かどうかは不明。脚は中島製。

 
 長らく水没地点が曖昧であったが、別件の湖底調査において
墜落機体が発見され、平成24年9月に69年振りに湖底から現代に引き上げられたのだ。
 その後この三沢航空科学博物館に運び込まれ修復、復元作業の後今回公開されたのである。
 
さて、墜落したとはいえこの機は幸運である。
 撃墜ではなく故障での不時着だった事、海水ではなく平均気温4℃という冷たい湖水に沈んだ事。


知ってるかい?
福島の檜枝岐界隈の林道は戦時林道であり、
主に航空機用の木材を伐採してたんだぜ。
その最たる例が「プロペラ」らしい。


「キ-54一式双発高等練習機」(実物)全景。


どういう状態で着水出来たかは不明ながら、流石に先端は潰れているな?
中島飛行機初の全金属機は実に丁重に作られている。
芸術品のような繊細なコクピット回り。




カウリングを外した星形9気筒エンジン
ピストンの間にキャブが納まってる。


 沈没の祭に胴体半ばで折れてしまったものの、その衝撃以外の損傷は無く、もとい損傷は判り易く復元の手助けに成った事ではないだろうか?。
 MRも復元機とは言え
現役だった戦時中の航空機に触れたのはこれが初めてである。
「航空機はクラインフィールドの維持が難しいからな」イヤイヤ番組違うから。
 今は無き立川飛行機謹製の翼断のフレーム構造、外装のジュラルミンといい本当に大戦前半に作られた機体は芸術品の様である。


「よくぞ引上げたものだ」
穴は錆びの為、機銃掃射で墜落した
訳じゃ無いから。



ミニタリーイラストレーターこが しゅうと氏が描いたキ−54の解説ページ。
ミニタリー雑誌の記事が全ページが解説がわりに展示されている。


 星形9気筒空冷エンジンも湖で低温保存されていたせいか思った程に錆びていない。
 
立川飛行機初の双発、総金属製の飛行機。日本はかつてこんな物を大量生産し、戦争という愚行を断行したのである。
 引き上げられたこれは練習機ではあるがキ−54は他にも輸送機(官/民)や観測機、陸軍ではこれに回転銃座を組んだ爆撃機、大戦末期には胴体下にレーダーを装備した対潜哨戒機もあったらしい。
 索敵から爆撃にも転用された万能機であった事を示している。
「流石日本人、考えるコトは”万能機”だよなぁ」
 自衛隊の調べた?当機のおいたちは勿論、ミニタリーイラストレーターの異端児、こが しゅうと氏がミニタリー雑誌に寄稿したキ−54の解説ページも展示されていたのは驚きました。
「航空博物館の学芸員?よりミニタリーおたくの方が上なのか?」


そっくり残る尾翼まわり。
精緻なアルミフレームに軽量化の為の穴開けが
見える。他の展示品も見てみる。


「ミュージアム屋内展示」


「外に出よう」今すぐにだ!

ずらりと並んだ音速機。好い眺めだな、退役機。
自衛隊や米軍が貸し出している。



「F16」米軍仕様、キャノピーは仮設に交換されているのかな?。


F16好きだなー、この小ささがいい。

 そんなこんなであっという間に30分が過ぎて耳には蛍の光が流れ着いた所、スイマセンと最後の一人に成ったMRに退場を促す係のお姉さん。
 お礼を言って館内全無視で外に飛び出す。いまさらフライトシュミレータ前に行っても仕方あるまい。
外にはF16、F104、T2、F-2、そしてF4ファントムが在るじゃないか!実機だぞ!



「F104」いいねぇこの鉛筆型
コクピットに座れます。知ってればもっと早く来たのに!(泪。


「T-2」ブルーインパルス仕様、奥が通常配備型。


「F-1」国産の単座戦闘機。日本に空母は無いので基本
陸上機なんですが。
(勿論今後は判りませんが)


取説が貼ってあるかの様だ。
日本語も随分表記されたいる。やっぱ自衛隊の、
日本の戦闘機なんだなぁ。


 初夏の夕暮れを彷彿とさせる館外展示場「青空ひろば」にはまだまだ子連れのファミリーが居て、少しずつ遊具からクルマに移動を始めた所。
  まだまだチビッ子の歓声が聞こえる。
 その中を手前から順に写真に収めてゆく。お目当ては勿論ファントムだ!
●谷かおるファンとしてはここに来るのが遅すぎた(いやそれ以前に百里に行けよ<俺)感はあるが致し方無い。まて待て三沢基地は栗原が百里の前の任地だ、聖地巡礼としても、あがなちハズレではあるまい。



「ダンダラ無いと寂しい尾翼……!?」F4EJ改。


「震えるぜ」この構図、●谷かおるそのまんまだよ。
やっぱり決まる絵面ってあるよなぁ。
この機は偵察機なので、先端はバルカン砲ではなくガンカメラが収まっている。



アレスティングフック(空母着艦用フック)と
アフターバーナー。
バーナーノズルは外されている。残念。

 F104スターファイターを撮影したときも思ったが漫画で見る各機はいわゆるデフォルメをかけて作画された物と思っていたが、F4を見ると「ホントに漫画の様な構図で撮影出来るんだ」というコトに気づく。それにしてもエアインテークやノズルにあるフタが恨めしい。センサー感知でLED照明点灯とかして欲しい今日この頃である。米軍寄与のF16はアフターバーナーが残されていて嬉しい。
 気が付くと一台、また一台と客が引き、子供達の歓声も遠のいていた。
「いよいよ閉館か」



「凄い迫力」
過酷な任務を遂行していた機体が持つ凄みが、兵器を納得させる。


   三日目の夜
   
>二日酔いもせずに二回目の温泉と三回目の「焚火」の夜。

8
 
 青空ひろばを突っ切って直接駐車場に早足で歩き出す。
 時折止まって撮影し、また小走りに戻って行く。バイクの周りにいたクルマも既に帰り、最後の一人と成ってエンジンを掛ける。
 振り向くと正面入口に建つミスビードル号のクライド バングボーン像が手を振っているかのようだった。
「来年また来るぜ」と思いながら既に半分閉まった正門から
                        博物館を後にした。


目に焼き付くぜ!ファントム……(笑w
青空ひろばのスナップを見る。
 昨日の残り食材の追加をしてキャンプ場に戻りまずはひとり祝杯、飯をボイルして今日も肉を焼いて、目前で沈んで行く太陽の息の根を見詰める夕飯である。
 湖面に写る夕日の残り火が美しい。このキャンプ場のせいで私の「青森感」は大きく変わったと言えるだろう。ビールとチューハイ350を空けた所でそろそろ焚火しようかと思って時計を観て思い出した。
「あ、風呂8時までだっけ?」
 風呂まで徒歩5分ぐらいか?私が野営する17番の二つ隣りの20番サイトの後ろの土手に歩道があり、階段を登ってゆくと「市民の森やすらぎ荘」の裏に出るのだ。




懐かしい「T-33」
主人公、神田鉄雄二尉の親父が
乗っていたよね、T-33タロン。
猪苗代の天神浜に昭和50数年頃まであった気がする。

もういちど見て回る。



真っ赤な太陽、燃えているぅ♪。

 
 建物の脇を抜けると正面に回り込んで行ける。今日も160円を払って温泉だ、流石にビールが入ってからの温泉が効きすぎる。
 キャンプ場への帰り道は下り坂なのに足が上がらない程疲れていたが松林で枝木を拾い集めながら帰り、適当な長さに切って焚火する。
 針の様な松の枝はくべると小さな爆竹に似た音と共に瞬時に燃え上がり楽しい。
 子供の様に何度か集めまわって焚火で楽しむ。ホント至る所に落ちていて集めるにも事欠かない。




「青森のイメージが変わる」
日本を疑うような日没の煌めき。


スケボーで遊ぶ子供達…… ドラマのワンシーンの佇まいに暫し酔う。


 今日来たお向かいのバイカーも同じ様に松の枝葉を集めて焚火している、その焚火の炎が湖面で揺れている、その奥に遠く対岸のキャンプ場の灯りが見える。
何度も思う。
「本当にここは青森なのか?三沢はロスの飛び地じゃないのか?」
  焚火の炎を飽きる事無く眺め、気が付くともう10時前だ。
「贅沢な休みだ」
 本当に4日ある遠出が出来て嬉しい、その喜びも明日が最終日だ。
 焚火が消えるとテントでシェラフに入り眠りに付く。
「焦る事は無い、今年は来年の下見だ」
そう思いつつ眠りに付いた。


ゆっくりと、ゆったりと、夜になってゆく。
日本酒が美味しい。



最終日に向けて炎を尽くす。三夜連続の焚火も今日がフィナーレだ。


   緩慢なる帰路>非凡なる日常への岐路に少しの抵抗を見せつつ。
9
 
 早く寝てしまったので当然早くに起床した、
時計は5時。
取り敢えずイスに座って3日目の小川原湖畔を眺める。猪苗代湖だって天鏡湖と言われているが、小川原湖の方が穏やかに見えるのは天気が良いせいだろうか?
 
いかんイカン、道が混まないうちに帰ろう。
 あまり腹も減ってないのでそそくさと夕食の後始末をして洗顔する。
 歯を磨いたら食器を乾かす間にシェラフを畳んでテントも撤収。順番にダブルサイドバックに収納してゆく。テント同様の使用期間20年を越えて未だに現役。この耐久性がラフ路の信頼そのものだ。
 最後に焚火台を収納して撤収完了、新潟ナンバーのお隣さんが先に出発したが、その際サイトの柱に表記した「在」プレートは管理事務所の郵便受けに入れておけば良いと教えてもらい、返却。
いよいよお帰りの時間だ。
「取り敢えず太平洋沿いに南下するか」
 せっかく北の東端にいるんだ、海沿いの空いている道を走ろう。
 昨日も航空博物館から東の国道338  号線を南下して三沢市内を迂回する。
 市街以内の幹線道路は驚く程直線とかで見通しの良い道、しかも絶対的に人口密度が低いせいか信号もまばらでクルマもまばらだ。



「泊」のプレートを返却し、撤収!
朝飯抜きで帰り支度を始める。


「さらば!」また逢う日まで(笑w


 
 ゆっくり走るのはジモティ、早いのは県外ナンバーと知れる程である。
 八戸自動車道は使わず、県道8号を八戸市街地から国道340号線にチェンジすると燃料の心配をしつつ二戸に南下、遅い朝食はコンビニおにぎりで摂って薬も忘れずに飲む。
 
 シンドローム>心揺さぶられる風景が、僕を揺らし続ける 10

「本当にスイスイ行くなぁ」
 流石3桁国道、時にはタルいジモティ車も十分にパスするゆとりが在る。でもメーターを見ると大きな声では言えないベースで突っ走っている。

 そして天下の国道4号線に合流!
何十年も前に季節を問わずに走った国道4号線の風景はまるでデジャブ、心の何処かでリフレインが叫んでいる。
「コイツ!コイツが悪い!このアナキーワイルドが」
 銘タイヤT63の後継はオフ性能がそのままにロード性能は格段に引き上げられ、コーナーでのクリップが実に楽しいタイヤなのである。
 普通に走ればまず転倒の予感すら起きない250セローがオンロードで更に突っ込める楽しい性能なのだ。
 
これでオフロードでもう少しフロントが刺されば良いのだが(笑w

 そんなこんなで東北道滝沢インター手前7Kmの所で国道4号バイパスにアクセスした。
 
案の定クルマが多い、しかも明日から平日とあってトラックも多いぞ。
 その直前、燃料タンクのインジケーターは0発進を始めていた。インター直前にGSイン、普通に流せば7リッターで280kmは走るが・・・?
「100km/h以上は急激に燃費落ちるからなぁ」
 
そう思いつつ、ここから高速に上がった。
 そして、
案の定高速は連休最終日で混んでいて、しかもトロい。おまけに事故だ、通行止めだと煩雑この上ない。
 他人のスピードに付き合っていると眠くなってしまう。だから適当に飛ばして行くと今度は燃費が心配だ。
 まさか高速下りて4号線で仙台通過はさらに面倒この上ない。仕方なくタラタラと、もとい粛々と高速を南下する。



高速での安定性が高いアナキー。
三桁国道サイコー。


面白い写真が撮れたなぁ!
自らの走行中の写真をこんな形で写せるなんて。
しかも二段に(曝!



「取り敢えず七ヶ宿ダム」なんだかなぁ。


「そして摺上川ダム
同じ様なロックフェラーダムなので写真だと判りにくいな。


 ところが村田インター通過の際にまさかの燃料警告灯の点滅!仕方なく菅生で給油して3回目の休憩を取る。滝沢から270km、ざっくりリッター37Kmと純正タイヤから5Km落ちである。やっぱり高速は苦手だがそこが目的で買った訳では無いので良いとする。
セローの時計は2時半だ、色々考えていたがやっぱり高速が早い。
「2時半?、林道くらい走れるんじゃね?」
真っすぐ帰るつもりが国見インターを下りて、小坂峠から七ヶ宿に回り込む。やーもう3桁国道最高(爆。国道113号線にアクセス。
 ただ林道も何なので七が宿ダムでダムカードをゲットし、そのまま茂庭関林道を通過する。今年初通過で出た先は摺上川ダム、ここでもダムカードをゲットすると時計は4時前、
                        良い感じだ。


4日間の総走行距離、
1,204Km
+カウント忘れ215Kmの合計。
1,419Km。 ロースト君もお疲れ様。
「流石に茂庭の湯は無理だな」入浴なんてしたら動けなくなる事間違いないだろう?諦めて大笹谷インターから再び東北道に乗る。
 そしたら福島トンネル付近はゲリラ豪雨!風呂代わりに強制的にシャワーを浴びた。

こうして夕方5時に自宅に帰還した。
 ただいま、と自宅に戻ると
「あら、早かったわね。何処に行って来たの」と妻に聞かれ、(前の日に)青森って言っただろう」と返すと「あらそう?」と一言、肩をすくめて笑っていた。
「男はね、いつも何処かに行きたい症候群なんだよ」
 そう、今回の旅も来年の下見なんだから。






   
次回予告。

いいのか?そんな大風呂敷|
東京ドーム敷地分も敷いちゃってよ?>俺


    つづくカモ知れない。