↑山内丸山遺跡の風景。(模型) |
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実際に歩いての全景、とにかく広い、広いぃ。 「大型掘立柱建物」 穴の大きさから建ててあった柱の高さを逆算してわざわざ外材輸入したらしい。 建築元の大林組では、本来なら柱の銘柄は栗*栽培用では無い栗は高さ20mに達するらしい。 地上からの高さ約17m、柱の直径約1m。埋設部分は約1として建設した。 とにかくデカい。床3段は架空、屋根は未設置。 実際には構造上、柱を繋いで置かないと倒壊の危険があるだろうから。 |
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これもホントにこう組んだかは判らない。 |
↓現場の |
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遺跡が創建された当時は村から海が1Kmも離れていないので海見櫓と言う説。 いわゆる神社のような神事の為の建物という説もある。 |
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「大型縦穴式住居」実はこれも半分架空の建物。 発掘を元に柱の位置を基準に再現したサイズはなんと長さ32m、幅9.8m。 一般的縦穴住居の屋根の造りをそのまま大きくしたのがこの建物だ。 |
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↑「大型縦穴式住居」 |
木製の引き戸をつけると江戸期の庄屋と 変わらないよね。 |
広い、高い、これが縦穴式か?と思う程に広い。 村の集会場か議事堂か?単なる共同作業場か?当時は今程雪も降らない 温暖な気候らしくこんな傾斜の屋根でも大丈夫らしい。 |
↓「大型掘立柱建物の |
奥にあるドームが本来の発掘位置。 外界と遮断して保全してある。 |
「これが発掘当時の柱の穴」掘られた深さは約1m。 本来?の縦穴住居も幾つかある。 |
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これが一番簡易な住居かな? |
エアコン付きのお墓。しかも電源は太陽電池パネル? 「土抗墓(大人の墓)」これも乾燥防止の一つ。 |
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↑「土抗墓(大人の墓)」 |
発掘部分は保全公開されている。 湿度は先程より低いが今日は外気温が高いので、 中は涼しい。 |
北盛土は湿地帯の端にある、それ故に保存状態は良好だった。 「高床式倉庫」柱の跡は発見されたがいわゆる縦穴式の 壁の部分が無い事から、建物本体は地面に接地していない事が推論され、 高床式で再現された。 最初は半信半疑な推論も先の櫓と同様に再現された。 尚、高床式というからには食料備蓄庫と思われ、村の中央に密集している。 |
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「南盛土」南側の貝塚ですね。 |
↑「高床式倉庫」 |
上から見るとT字型の屋根をしてる南盛土。 村の規模が破格にデカいし存続期間も長いので、当然ゴミ捨て場も デカいと言う事ですかね。 |
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貝塚一掃の容量は幅50m高さ90m、 一層の深さが0.2mで延べ900立方メートル の土盛量が考えられた。 |