これが明治の交通の要衝


ご使用上の注意!

このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。

走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。

また、
掲載される内容は
大変危険です。

当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。








ツーリングセロー”ロースト”でゆく



 
 岩手県道1号線。 8

 
一昨日買った日本酒で一人、当初の目的である岩木山スカイライン走破祝いと飲み尽くし終わった昨夜の所業が思い出せないまま、朝飯を頬張り歯を磨き、テントを畳む。時計を見たらまだ6時前、何故か信じられないくらいに早起きである。
 毎日このくらい健やかに起きれれば遅刻を心配する事もないだろうに、と思いつつ荷物をバイクに付ける。



「最終日」今日も美しい姿を見せる岩手山。



「ローストセローフル装備」さあ、でっぱつ(出発)だ!(笑w


お役目完璧のサイドサポートバー!


焼けてる傷跡はTTRん時に(笑w


 
ツーリングセローの最大のウリである広大なリヤデッキ、悪友には「新聞カブ」と揶揄されるこれは、別売りのサイドサポートバーまで付けて完成する。破れて落ちるまで使うと決めている1998年製ラフ&ロードのダブルサイドバックは満身創痍ながら、未だに破綻する事無く荷物を受け入れてくれているが・・・・?
「ラフ路さん、いい加減オフ車用のサイドバック新作しないかな〜」



「岩手県道1号線全線走破計画発動セリ!」
この道は岩手県庁前から横手市内に通じるツーリングルートだ(笑w




うおお、いいねぇ!

 防水面では一歩も二歩も譲りまくりの布バックだが、入る形を選ばない使い勝っての良さで手放せない。
 ハードケースは転ぶと割れてその後動けなくなるが、今のところこの布バック系はそんな経験が殆ど無い。
いや訂正、
昔FIZZのダブルサイドは転倒したら、継ぎ目から引きちぎれたな?一撃で。
 
ラフ路は強度ある製品作るからなぁ〜。



「ありがとう大村小」どうやら学校統合に因る廃校か?


ポケゴーのジムが置かれてそうな立派な鳥居。


「山伏トンネル」北抗口は菊の花の模様。

 
などと思いつつ、まだ使った事の無い「ある県道」を使う事にした。
「よし、全線制覇だ!岩手県道1号線!」
  ローストセロー君は二晩世話になったキャンプ場を後にして、進路を西南に向けた。

 岩手県道1号線は盛岡市が起点、終点が湯田(西和賀町)つまり国道46号雫石から国道107号錦秋湖に繋がる県道である。
 全国初の駅構内に温泉施設(浴室の壁に信号機が着いている)で有名な
「ほっと湯だ駅」擁する共用区間、国道107線沿いに西に向かえばすぐ横手だ。

 この県道1号、雫石の御所湖を過ぎると中央分水嶺の東側の里山を縦断する愉快なワインディングロードである。
全長58.5Kmのうち、単独区間約40Km程に信号は10数個しか存在しない、しかも幾つかは押しボタン型である。



「横手59Km、湯田32Km」差し引き27Kmが107号線共有区間?


ん?なんだあれは?
 
 
実際に走ると、田圃の中を貫く直線と中低速ワインデッングで構成された田舎道の鏡の様な、まるでフェルナント・ポルシェ博士が思い描くドイツの片田舎の様な道だ。(しかも当時は砂利や石畳の道なんだが)

 流石に砂利はないが、そこそこに撓み始めのアスファルトがイイ感じを出している。
 例え遅い前走者と遭遇しても、パッシングポイントに事欠かず、交通量も少ないので余裕を持って抜く事が可能だ。




「これはスノーシェッド…?」
平地にポツネンとある雪囲トンネルってあまり見た事無いな……名称不明。
ところで、抗口に付いてる「エリマキ」は何?





「フツーの鉄骨構造体だな」むしろ
付帯の歩道シェッドの接合角度が難しそうだ。


 問題点と言えるかは判らないが、通る車の速度差がデカい事と、部落内では通過速度を落とす事を留意すべきだと思う。
 
通過する部落と、そこに住まう人々には敬意を持って十分注意して通過して欲しい。
 坂梨峠の、今回走った区間は青森終点側ラスト6.5Kmで、その内峠を挟んで約5Km程が、いわゆる旧道峠道という風体だ。
 国道認定は昭和45年と言うからこの峠区間は殆ど指定当時のままの風景だろうと思われた。
(まあ、当日はそれどころでは無かったが)



「クルマ少ない」雫石と湯田の中間辺りは殆どクルマと会わない。


7〜8Kmの感覚で10〜20軒程度の集落が、
表れては消える。

しかし現役道路の隣に旧道というフレーズがここも適応されてしまう。さて、この区間ではあまり他で見ない物とありがちな物が一つずつ在った。
 
一つは「平地のスノーシェッド」だ。
 勿論、普通のトンネルも二つ程あった。だが貝沢集落などの真ん中にある
これは、冬場の豪雪、特に横風で県道が埋まるのを防ぐのが目的と思えた、文字通り単独の雪囲いである。
「なんだ?あれは」



「またシェッド」今度は前の倍の長さがありそうだ。
名前は
「危ないすべる」では無さそうだ(笑w


「ゆう星館長嶺公園、白糸の滝 右」
「湯田温泉郷、直進」ゾーンでも展示してんのか?
 
 その坑口?には古い例えだがエリマキトカゲの襟巻きみたいに雪囲いが付いていた。そう雪囲いだろうな?あれは。
 多分シェッドの屋根に風雪が雪庇を作り、屋根から長く突き出た雪庇が凍結し、何かの衝撃で落下して通行車両や通行人に被害が及ぶのを防ぐ目的が在るのではないか?と推測する。
 
「エリマキトカゲと言うよりは、ポンデライオンといった感じか?」



湯田トンネル!ここを越えると湯田温泉郷か。


 このデカい妙にポップなシェッド、花びらの様なコレ、誰か黄色く塗らないかな? 耳元では狙ったかの様にiPadmini4が山下達郎が「太陽のえくぼ」を謳っていた。
 
 ”廃”の連鎖へ。 9

 もう一つは岩手県道1号線単線区間のほぼラスト、錦秋湖に流れ込む和賀川の支流「湯ノ沢」を跨ぐ「湯乃沢橋」である。
 こちらはありがちな”新旧の橋が架かる”という奴だ。



ライフラインが占有権を主張する!
新旧のコンクリート橋が並ぶ「湯ノ沢橋」。


ああ、良い橋ですな。この狭さが好い。


「湯之沢大橋、1985年7月竣工」
フレシネー工法は現場で仮設柱を用いてコンクリートアーチ橋を打設、後に仮設柱を撤去する工法だそうだ。(棒

 旧湯乃沢橋は恐らく戦後間もなくのコンクリート橋と思われた。現場施工のコンクリートアーチ橋である。

 個人的な推測だが橋の欄干がコンクリート製で、尚且つ豪雪地帯において加重分散の観点か?
(もしくは単にコンクリート強度に不安があったのか?)非常に短いスパンで欄干を現場打ち抜きしている点で、これはこの橋の意匠と趣を決定している。
 道幅は2mちょっと、もはや1ナンバーのバス、トラックは通行不能の狭さだ。
 これがこの橋の生存予奪を決定した理由と言え、実に現行の湯乃沢橋の3分の1以下の道幅(しかも歩道コミ)である。
「この狭さでコンクリートアーチ橋は余り見ないナ」
 身近に万世大路の新沢橋を見ているので孫の様な小ささであるこの湯乃沢橋は最早「かわいい」部類だ。
 川上側に廻ると、その健気さで涙が出るよ。
 自治体に因っては旧橋の撤去予算が無く放置という場合も多々在るがここはバッチリ存在理由がある。



「湯之沢大橋」。川の上流側の親柱に橋名。


「湯之沢川」。下流側に河川名。


しまった、新橋撮るの忘れた!。
撮影したつもりで失念。


国道107号線との接続交差点。
単線区間はここで終了。


横手から来るとT字路正面にこの青看。
「←盛岡 K1/R107 北上→」


 賢明なDTM読者様ならご想像付くであろう「ライフライン付帯」橋なのだ。
  橋の上流側には元の水道管、汚水管、恐らく電気の地中埋め込み線などが場所を取り合う様に設置されていた。
 古いコンクリートに打ち込まれた金属アンカーが痛々しい程である。この配管類の取り回し故にこの橋は生存を赦されている。車両通行止めの歩道橋の体裁は取っているが今の橋はこのライフラインの管理道なのだ。

 橋の撮影を堪能すると再出発、間もなく県道1号線の単独区間の終わりを示す標識が現れ、程なく道は県道107号線に無事合流した。
 
まあタイヤもタイヤだし、今日は真昼山林道は勘弁しといてやろう(笑w

 生きている廃道。 10

 国道107号線を横手方面に右折県道1号共用区間を西に進むと道の駅「さんない」で休憩、横手で107号と判れ国道13号線にアクセスする。

ここからは(一部)ワイド版(笑w でお送り致します。



そーか、この辺の国道13号線は奥羽本線と
平行するんだな。

 東北縦貫道と平行して福島方面に南下してゆく。
「あれっ?」
 何時切り替わったのか判らないうち国道13号線は東北縦貫道の無料区間に接続していた。
 
まあいいや、とそのまま走るとトンネルがあり突入ざまに銘版を読んだ。
「新主寝坂トンネル・だと!」
 しかもこの殆ど高低差のない長いトンネルは自動車専用道路の様だ。と、言う事は・・・?
旧道はどうなってるんだ?少なくとも車以外のいわゆる歩行者の類いは通れる筈だよな?



あれ、鉄道のトンネルにもエリマキ(雪囲い)が付いている。

 新主寝坂トンネル南側坑口の先にある立体交差で無料高速を下りてターン、かつての主寝坂隧道に向かう。
 案の定、自転車のグループが旧道を登っていた。


「旧道ではない」
おにぎりが現国道を主張する、が…?


車は平地で人や自転車が山道かよ。
逆じゃねえのか?国道管理者さんよ?





「主寝坂隧道」潔い南側抗口の美しさ。

←キター!主寝坂。手前に見える白い箱は「主寝坂気象観測所」

↓隧道内部。一度通った事が在るはずだが、こんなに狭かったか?


 
3台の自転車が主根坂隧道に向かって結構な坂道を、汗ダラダラで上って行く。
 クルマが平地を走って歩行者と自転車が汗水かいて坂道山越えってどうよ?と思いつつを抜くが、なんだろう静かすぎる?
「車がいない」
 旧道に入って3分くらい?
まるで遺跡と化した国道13号線を登って行く。
 対向車どころか停車しているクルマも無く、比較的静かなビームスマフラーのエキゾーストが五月蝿く異質に聞こえる程だ。
 
間もなく本当に遺跡そのものな南側坑口が見えて来た。  



「主寝坂隧道 昭和34年3月竣工」
時代を感じる良い銘板、いい字だ。



戦後の昭和31年に初代山形県令三島通庸謹製の明治新道の
下に開削された。この狭さは戦後間もなくという時代背景にある。



戦後の高度経済成長の中、激増した交通量を捌いた
隧道の働きは、満身創痍の外観からも伺える。



「何だこの静寂な遺跡感は・・?」
 十数年振りに来た主寝坂隧道は、さながら無人の宮殿と化していた。
 道のど真ん中で写真を撮って前進、北口坑口に辿り着く。
 相変わらずクルマの排気音一つ聞こえず、野鳥のさえずりが隧道内に響いていた。昭和34年3月竣工の銘版は未だ威厳を保ち誰もいない狭い国道を見下ろしていた。

 
よく見ると激増する交通量を必死に凌いで来た老兵の姿がそこにあった。

 無造作に付けられた標識や銘版、かつての電光掲示板は勿論、既にセンターラインすらなく、坑口にある
待ち相互通行待機スペースには懐かしい電話ボックスが現役であった。
 
交互通行の信号が作動していないのは暗に交通量の激減を意味していた。
 
おそらく百分の一だろうか?
 



何年振り?
この緑の「プリペイドカード供用電話」と昭和50年台の「電話ボックス」が実用現存してるのは。

殉職慰霊碑。
隧道工事中に一名の殉職者が居た事を示している。



全長808m、幅員6.5m、高さ4.3m。
隧道の高さは開口の総高さで、車両通過の高さ規制は
3.7mとある。


隧道の前後には広い待避所。
大型トラックが信号待ちしたのだろうな。



痛んだ標識、新規に設置された標識。
新旧の道路遺構アイテムが凝縮される。



だれもいない峠道に真新しい青看板。


 隧道内部はキチンと補修されてはいるものの、その狭さと構造は一昔前のもので、流石に路面状況は舗装林道が痛んでいるかの様だ。
 多分路面状況だけなら同じ国道13号栗子隧道内のコンクリート舗装の方が荒れてはいないと思う。
 隧道内照明も電話も生きているが、誰もいないがらんどうの隧道がそこにあった。
 先ほど抜いた自転車のグループが隧道を走り抜けると、まるで生き返ったように風景が瑞々しく見えた。しかし、未だクルマが通る気配は微塵もない。これはもはや廃道と同義ではないのか?電話ボックス脇の殉職者碑を撮影しながらそう思った。
その裏には、道というより法面の段差にも見える細い小径が登っていった?
「これが三島閣下の明治道の残滓か?」
 
主寝坂隧道の現状はまだ国道13号線管轄である。
 
標識は古くなっただけで撤去は一つもない。
 
北坑口から二つめの路地に始めて駐車車両を確認するが、無人だ。耳をすますと遠くチェーンソーの排気音が聞こえるが、道路近辺に人影はない。そう言えば、下りになってもセンターラインは無いままだ?
 そのままニュートラルで下り北側の及位(のぞき)部落に辿り着いた。




及位村に到着……好い天気なのに人っ子一人居ない。
民家に人気を感じない……?



「生きてる青看&電光掲示板」
こんな古い電光版、ふつー死んでるよ?



再び「新主寝坂トンネルへ」


広く大きな新主寝坂トンネル。
全長2944m、幅員9.5m

 
そしてこの及位集落も道路沿いに出歩く人が全く居ない、まるで無人の廃村の様な静けさだった。
 部落から峠方向に、かつて峠の前後に設置されていた総合道路電光掲示板も生きて表示し続けていた。
 それがまるで、集中治療室で患者に繋がれたテレグラフの様で痛々しく見えた。
 
国道13号線とは日本で一番生き死にの激しい道と痛感して、MRは再び縦断道の無料区間に戻って行くのだった。


 最後は明治。 12

 眠くなって来た国道13号線に別れを告げ、ローストセローは新庄から国道347号線にアクセスしてゆく。
 国道347は山形盆地を西に縦断する3桁国道で寒河江で高速道を交差すると朝日、白鷹、長井を経由して国道113号線に到達する。遠く山形市内を迂回する。
 
MRには、長年ここで見ておくべき懸案物件が存在していた。
 それは築130余年、明治生まれの国道113号のルーツにして、
まだ善人だった頃の山形県令三島通庸が山形の発展を道路で行うべく作られた小国新道、当時最高と謳われた県令地元薩摩の石工を呼んで作らせた孤高の名橋、すなわち初代「綱取橋」である。




 
生まれは明治17年!実に一世紀前の橋梁なのだ。もっとも、当時眼鏡橋のような石橋はしごくアタリマエの形状なので今では「孤高の」と言い直すべきか。
 白河ダムに通じる十字路で国道113号に合流すると、一路日本海に向けて走る。国道113号線を、片洞門の標識や看板を探しつつ日本海側に向けてGo!West!.。


 弁当沢トンネルと綱取トンネルの間の待避所らしき所に到着するが・・・
「うおう!残雪かよ」



ぐわっ!まだ残雪が!


「参ったな、これは」
 特に車両進入禁止の表示もなくそのまま行ける所まで?というアテが外れ、入口には高さ1m越え、長さは4m程の、恐らく除雪の雪捨て場だったであろう残雪がここに堆積していた。
 谷側に至ってはまるで滑り台の様になっていて、ちょっと怖い。
 
幸い山側の方が歩けそうなので愛機ローストセローを置いて歩いて行こう。

残雪を越えると、あとは普通だ。


 この道、廃道愛好家(笑 の某氏が二度に渡ってOJRやイカロスムック(本)で取り上げたので今更感はおおいにあるのだが、自分の目で見れそうな所は赴く主義なので来てみたのだ。遅い登場なのは無論「通り抜け不可」なのが最大の難点である。
 つまりMR的に「バイクで行けない」から10歩程譲って「歩いてならいける」以前の大前提に「完抜」があるのだ。従って片洞門より宇津峠旧道の方が優先順位は上だ。
 林道も廃道も
「完抜」の筈がアクシデントでイケないのは致し方ない、MRが「完抜」出来ないのに行くのは廃線路か三島開鑿ルートと決まっているのである、多分。(もっとも歩く限度はたかが知れてる(大抵はそんな時オフロードブーツだからねぇ、歩かないと言うより歩けない)ので、いいとこ0.5Kmも歩けば諦めて帰ってしまう)

だが、この日は違った!  何がって、ロードキャンプオンリーと決めつけて来たのだ。足下はGパンにコミネのトリプルニープロテクターとトレッキングシューズの組み合わせである。
 嗚呼、フツーに歩けるってスンバラシイ(地がw
 本当にCMの様な、本当に絵に描いた様な爽やかな雪解けの山道を、勿論ヘルメットを被ったまま歩いて行く。



 爽やかというフレーズにヘルメットは印象が重いが相手は片洞門を擁する明治謹製の道だ、 足下も頭上にもきっと三島閣下の罠が待ち受けているに違いない。
 例えここが山形だろうが加波山だろうが、ミッチーは時空を超えて福島県人に何か仕掛けて来るに違いない、奴はそういう漢だ!
などと最初から疑って掛かってみる。
 福島県人の永遠の敵であり竹馬の友である三島、ぐぬぅ〜何を企んでやがる!(オイオイ・・w



神様が祭られているよ。時代は変われど、最後は神頼みと言う訳だ。


ヘアピンを曲がるとR113号、綱取橋が一望出来る。



↓コレが遊歩道かよ!


蛇神様が祀られる。道粗神だが豊穣神と
しても祀られる。が、ここは水難だろうな。


川と共に蛇行する明治道。道が広い。







 道幅はざっと2m?広い所でも3mを割り込む幅員と見た。
 しかし実際には落石と冬眠を終えて再び起き出した雑草どもが今後も道の領有権を主張して来るだろうと予測出来、使える路盤は1m前後だろうか?
 まあ30センチもあれば黙ってフロントを入れそうだ。
「うおっ!」 突然意表を突いて、山側の岩盤の一角に道粗神が安置されていて、その目がMRを睨んでいた。
 思わずギョッとして後ずさるMR、流石ノミの心臓だな<俺。

宙に浮く岩盤。
ざっと2m四方か?
重量は2.5tくらいありそう。
一撃で逝けるナ。

工事安全の観音像
明治十三年、山形県令
三島道庸の新道開削に併せて
祭られたらしい。
もう読めないよ、コレ。

可愛い観音様。
6年の歳月を経て新道が
完成したあとも、
旅人を見守っていた。








岩盤に補強の跡が見当たらない。
そっくり落ちたと思われる。


ホントに岩盤に乗せただけなのか?


 ああそうだ、下郷の「非道隧道」にもこんな場所があったよな?
国道の退避スペースから真下の沢に沿ってほぼほぼ一直線に歩いて来た旧道が、この蛇神様の所からゆっくりと沢に沿ってUターンを始めていた。
 
先端は猛烈なヘアピンで折り返す明治道。
 僅かながらアングルの付いた山側の岩盤が、いよいよ原町森林_道の絶壁法面と同じ垂直化して来た。
 
「これが片洞門か?」
 ゆっくりと右コーナーを歩いてゆくとクリッピングポイントとおぼしき位置で法面の岩が迫り出し始めた。
 
いやいや、これは道が垂直の岩盤に捻り込まれたと見るべきか?



廃道に階段?
手摺が還付無き迄に破壊されていた。


あ、道は橋台に半分持ってかれてるけど。



綱取橋の袂からも
入れるのか!



 恐らく先端は路盤欠損でもしてるのだろう?狭くなった明治道はその岩陰に取り込まれて行く。夕方3時の西日が深い谷の総てを二度と照らす事無くタッチダウンに向かっていた。心無しか早足に成る。
「コレが遊歩道だというのかッ!」
 MRと観音様との間には幅2m延長ざっと15m程の道が、眼下に渦巻く明沢川のゴルジェに滑り落ちていた。
 
イヤ本当、滑らかな岩盤にはアンカー痕もなく、艶やかな柔肌でマグロのようだ。
その奥には、まるでサイズ感がデフォルメされたる様に見える国道113号線バイパス「綱取橋」の深紅の躯体ともう一本、イイ感じに草臥れた米坂線の「綱取橋梁」が腰を吸えていた。
僅かに残る路肩のコンクリートが打設した時期の古さを物語る。
 宇津峠を擁する小国新道は明治13年、福島と違い山形の民は本当にその道路が必要なため協力を惜しむ事は無く、この難事業を僅か6年で荷馬車が通れる道に開鑿したのだ。
 
そしていま目前にある遺構の足下の改良は二等県道時代にクルマを通す為の改良工事のものだ。
 国道13号と同じ様に作られ、使われる街道なら必ずあるのが
昭和8年、国策「時局匡救土木事業」及び昭和10年度「農村その他応急土木事業」による4カ年計画によって全国で行われた農民などに拠る主要地報道改良工事だろうか?
そんな歴史はまあ下敷きとしても、あんた、
遊歩道と言うならもっとちゃんと改良すべきだと思うがどうだい小国町?
 遺跡はそのままに路肩に保護ロープくらい張ってもいいんじゃないかな?



おお、明治の国道とはこれが!


「米坂線綱取コンクリートアーチ橋梁」
左!指差し確認!米沢方面異常なし!


片同門とデリニエーターが共存してる
とは……。












「米坂線綱取橋梁」左!指差し確認!小国方面異常なし!

すっげ!現場あわせにしても酷い。
金ゴテ仕上げどころか
満足な型枠すらなかったのか?


弁当山隧道
左、指差し確認!
米沢方面異常なし!


米坂線を越えると?。
いかにも明治道らしい風情だ。



スノーシェッド銘版
施工 株式会社 富樫組
概要 災56村保工台16号
なだれ止コンクリート造H3.5m
なだれ止冊 鉄骨造1Lm L5.6m
竣工 昭和56年10月。





 遊歩道は崩落地点の道幅が1m程に成り眼下10m程下には波高高巻く明沢川のゴルジェが見える。なかなかに怖い。
この崩落区間を過ぎると待っているのは小さな観音様である。立派に錆びた案内板は色飛びしてよく詠めない。帰宅してから調べるともともと明治の小国新道開鑿時に工事の安全祈願として建立されたのだそうだ。
この美しくも険しい谷を見ると納得する。一礼してさらに進むと一変して平穏な直線の奥に何かある。
「階段があるぞ?どうなっている」
 階段が在ると言う事は上のバイパスから下りて来れるのだろうが、問題は明治道だ。どんな塞がれ方をしているのか心配だ。
 山なりに20段程ある階段の踊り場はT字路で右手に綱取橋の橋台と一体化した階段があり、こちらの手摺もほぼ消失している。僅かに引っ掛かっている手摺もグニャグニャに曲がっている。



うわぁコンクリート製の欄干?駒止だよな。

 下を覗くと、良かった、かろうじて旧道は残っていた。
 
綱取橋の橋台はこの連絡階段よりはるかに内気に道床を借りていた、その幅は半分程である。むしろこの連絡階段が約10mに渡って旧道を完全占拠していた。
 綱取橋の橋台を越えると、険しい渓流と特徴の無い事が特徴の様なコンクリート橋、その袂に繋がる廃れた道が現れた。春の柔らかい日差しで新緑の若葉が萌え立つ様だ。
だが、MRの視線はその足下に釘付けとなる。
「なんじゃありゃ〜」
思った通り、昭和の拡幅を受けたコンクリートの片桟橋が米坂線の、恐らく当時は踏切だった所に導かれている。
だがその足下の厚さ15センチ程度の薄いコンクリート床を、これまた太さ30センチ程度のコンクリート柱で下端の岩盤から補強しているのだ。



うおお、幅員3m。。
何だろう?三島道には特有の雰囲気が在る。



「国道に比べて、県道はこれ程華奢な作りなのか?」
 こんなんで昭和34年のバイパスが出来るまでバスを通して国道113号線を名乗ったのか?今時の農業用道路橋の方がガッチリしていると感じるお手軽さだ。
「マジぶったまげるぜ・・!」
 
驚きつつも視線は次の米坂線弁当山トンンル踏切に釘付けだ。手前にはかつての踏切警報機の土台がそのまま歩道路と化していた。道自体は昭和58年に実施さてた災害防災工事によってスノーシェッドの両脇から崩れる雪の流入防止としてコンクリートのゲートが張り出して本来の車道の7割を占有している。
「ごめん下さい〜」左ヨシ!右ヨシ!軌道上接近する車両なし!「ハイ突破」


だれもいない峠道に真新しい青看板。




うわぁ、でも「綺麗すぎるだろう?この石垣!」


幅員ざっと2mという所かな?。
補修の手が入っているとは言え、素晴らしい。


橋に欄干は無い!
遊歩道と言うなら絶対設置すべき!

橋から米沢側(下流)のゴルジェを見る。


小国側(上流側)も素晴らしい高さ。
美しくも恐えぇ!


あ、やっぱり。予算が無くて反対側だけとは……とほほ。


うん、こっち側(小国側)は
まさに130年モノ!


 振り返るとシェッド天井が凄い造形で、ムンクの叫びにも似たおよそ仕上げとは思えぬ仕様だ。
 
昭和11年開通の米坂線県境区間はまるで奥羽線県境区間の様にこの明治新道から資材を運んで建設されたのだろう。このコンクリートアーチ橋も昭和10〜11年竣工だろうか?
「そうか、もしかしたら県道の改修より先に鉄道工事があったかも知れない」

 そしていよいよ、今回のツーリング最後の物件が目前に迫った。
三島の造りし石橋!初代「綱取橋」。
 明治16年にわざわざ播磨から石工を山形に招き、数々の建物や橋などのインフラを作った当時の最先端土木遺構である。
恐ろしいのはその絶景である。まさに「定石通り」に両岸の岩盤が一番狭まった所に架橋されたとは言え、見事に取りつく島の無い岩盤の両端を穿ち、天然の橋台を掘り出す事は石工の技術云々の問題より先の、まさに命がけの難工事だろう。
 材木を倒して左右に渡し、吊り籠状の足場を組んで正確に石を組上げてゆく当時の工法が目に浮かぶようでる。
「ちょっとまて、何だか石がキレイ過ぎね?」



これが本物の人工"片洞門"


荷馬車はともかく、 ここをバスが通ったとは。
駒止が可愛いが、多分役に立たない?


落ちてるよ、すげー恐ええぇ。



真ッ平に切り出された"新道"


すげえな、全部で1万トンくらいありそう。


そう、美しい事は美しいが何だか奇麗過ぎるのだ。思わず反対側を見てみるとこちら側はいかにも当時の古い石積みであった。
どうやら小国側(上流側)が本来の石橋の様だ。 
 よく見ると石の積み方が微妙に違う。昭和の改修時に石橋にも手を入れているのかは判らない。
「何時頃の改修なんだろう?平成だとは思うが……?」ただ、新しい方は真ん中が少し膨れ始めている。
 これは先の熊本地震の被害にあった熊本城で、築城の最古の石積みが崩れないのに昭和改修の石積みが崩れる前に中央部が膨れて瓦解した事に似ていると感じた。
「気のせいだといいなぁ」
 改修自体はそれはそれで奇麗なのだが。
改修側のポータルに当たる部分には両端に親柱の取り付け穴があったが、反対側には無い。何の文献を参考にしたのだろうか?
 そのまま歩いて橋を渡るが今でも十分クルマの通行に耐えられそうだが・・・?果たしてトン数制限は幾つなのだろうか?
 橋はその架橋状況からしてクランク状で前後は急カーブである。
 その部分は多分昭和にバスが廻り易くすれ違い出来る様に昭和の改修で直したのが今目の前の道だと思う。
 階段の欄干は既にその機能を失っている。理由は恐らく雪、それも橋の上からの除雪が落下する地点は惨い。
道成りに僅かに登りつつ
日陰の残雪を避けて歩くと、道は自然と崖側に・・怖ええぇ。と思ったら土砂崩れが道を塞いでいる。
 
これを乗り越えると一番の張り出し量を誇る巨大な片洞門が現れた。
 コレは絶対昭和に天井上げしてる高さだ。それでもバスは時より屋根を擦ったに違いない。上の岩盤の重量は何百トンになるものか?考えるだに恐ろしい。なんせ2.5mの幅員を越えて3mのオーバーハングがあるのだから。
 川に沿って四度ヘアピンの突端を曲がると、いよいよ本日の最終折り返し地点が見えて来る。
 その手前のS字には可愛い丸い石が並んだ、多分駒止だろうと思われる石が並んでいた。

ああ、ついにこの楽しい道のラストが。


そして.「これが今日の終点!」
 明治謹製の改修道は、踏切の跡と共に米坂線に飲み込まれていた。線路のスノージェッドの先は国道113号綱取トンネルの出口である。
 
高低差は10m程度だろうか?結構な落差だ。
 写真を撮って戻るMRの足下に先ほど見た四角いマスの四方にアンカーボルトが付いたコンクリートを発見する。
「あれ?踏切の警報機(基礎)跡だ」
 警報機から線路の位置は距離がありすぎねえか?先ほどはコンクリート台から線路まで12m程だと思うが、
ここの線路はシェードの中、目測でも3m以上離れている。





ky「旧綱取踏切!(仮称)
年の歳月を経て新道コンクリート橋は多分後年に幅員拡幅した片桟橋。
無論反対側は新道113バイパスに埋まる。


ざっと3m程バックしてる踏切の
警報機土台。
撮影位置が本来の絽線位置だと思うが。


これは国道廃止後に造られたスノーシェッド。
昭和34年以前に竣工して、旧国道と位置が入れ代わっている筈である。

 
 線路の線形が国道廃止後に道路と交換されてその後このコンクリート製のシェッドが作られたに違いない。
 見た目の印象としては、手前の弁当沢トンネルにあった昭和58年のコンクリート翼壁と同年来と思われるが?



綱取トンネル」1973(昭和43年)竣工(笑w
延長95m、道内幅員7.5m(歩道込み)、隧内高さ4..7m。

 
その為以前に建てられた警報機と距離が空いたと思われる。
 もしかしたら米坂線の綱取隧道は坑口に位置変更(拡幅または一部分岐)の可能性もありそうだ。
「さて、帰ろうか」
 この道、帰りは早いかと思ったがあんまり変わらなかった。それだけ道の表情が豊かで往復でも見応えがあったからだろうと思う。

 こうして、最終日も無事に廃?遊歩道を歩ききり、途中から綱取橋の階段を登り、現国道113号弁当山トンネル内を歩いて先ほどのパーキングに無事到着した。


「おまたせ、ロースト君」。
さて、やっと帰りのラストランだぜ。


「名も知らぬ旧橋」ふっ、反対側に抜けられそうだ。(笑w


嗚呼、流石に足がイタい。

 エピローグ。 13

 まあ、バイクで入れたかはさておき、やっぱり往復で完抜出来ないのが悔しいが、くやしーぃが、道が線路の下ではいかんとも出来ない。
 装備を付け直し後は自宅に向かって走り始めても、ちょっと悔しいので手近な橋に突入してみる。
「橋か!」(名前は失念)
 
ここは抜けられそうだ!と思いつつ橋をバックに写真を撮ろうとバイクを降りてカメラを構えると・・。
「なにい!」
 
(三島?)もさるもの!カメラの奥には旧道のさらに旧旧道の橋があるではないか!
 試しに旧旧道に行ってみると橋の手前は深い泥濘、橋は架かっている物の反対側に道はなかった。
「帰るか…(涙w
 これで全行程が終了し、ローストセローは夜7時に帰宅。
 3日間の走行距離1217.8Km、よく走った3日間であった。


ムム、奥に更に旧々橋が!
くそう!やるな三島の野郎!(笑w
くすん、帰ろ。


お疲れさまでした〜!1217Km。




初日(5/3)
二日目(5/4)