これが明治の交通の要衝か。 |
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ご使用上の注意! このデータは、 あくまでおいらの走ったルートの 覚え書きです。 走行距離は主にバイクで測定し、 旺文社発行のツーリングマップルにて 無断で補正しています。 また、 掲載される内容は大変危険です。 当サイト掲載内容による いかなる被害も、 当方は保証致しません。 |
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ツーリングセロー”ロースト”でゆく |
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「最終日」今日も美しい姿を見せる岩手山。 |
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「ローストセローフル装備」さあ、でっぱつ(出発)だ!(笑w |
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お役目完璧のサイドサポートバー! |
焼けてる傷跡はTTRん時に(笑w |
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「岩手県道1号線全線走破計画発動セリ!」 この道は岩手県庁前から横手市内に通じるツーリングルートだ(笑w |
うおお、いいねぇ! |
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「ありがとう大村小」どうやら学校統合に因る廃校か? |
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ポケゴーのジムが置かれてそうな立派な鳥居。 「山伏トンネル」北抗口は菊の花の模様。 |
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「横手59Km、湯田32Km」差し引き27Kmが107号線共有区間? |
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ん?なんだあれは? |
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「これはスノーシェッド…?」 平地にポツネンとある雪囲トンネルってあまり見た事無いな……名称不明。 ところで、抗口に付いてる「エリマキ」は何? |
「フツーの鉄骨構造体だな」むしろ 付帯の歩道シェッドの接合角度が難しそうだ。 |
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「クルマ少ない」雫石と湯田の中間辺りは殆どクルマと会わない。 |
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7〜8Kmの感覚で10〜20軒程度の集落が、 表れては消える。 |
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「またシェッド」今度は前の倍の長さがありそうだ。 名前は「危ないすべる」では無さそうだ(笑w |
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「ゆう星館長嶺公園、白糸の滝 右」 「湯田温泉郷、直進」ゾーンでも展示してんのか? |
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湯田トンネル!ここを越えると湯田温泉郷か。 |
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ライフラインが占有権を主張する! 新旧のコンクリート橋が並ぶ「湯ノ沢橋」。 |
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ああ、良い橋ですな。この狭さが好い。 「湯之沢大橋、1985年7月竣工」 フレシネー工法は現場で仮設柱を用いてコンクリートアーチ橋を打設、後に仮設柱を撤去する工法だそうだ。(棒 |
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「湯之沢大橋」。川の上流側の親柱に橋名。 |
「湯之沢川」。下流側に河川名。 |
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しまった、新橋撮るの忘れた!。 撮影したつもりで失念。 |
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国道107号線との接続交差点。 単線区間はここで終了。 横手から来るとT字路正面にこの青看。 「←盛岡 K1/R107 北上→」 |
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ここからは(一部)ワイド版(笑w でお送り致します。
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そーか、この辺の国道13号線は奥羽本線と 平行するんだな。 |
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あれ、鉄道のトンネルにもエリマキ(雪囲い)が付いている。 |
クルマが平地を走って歩行者と自転車が汗水かいて坂道山越えってどうよ?と思いつつを抜くが、なんだろう静かすぎる? |
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「旧道ではない」。 おにぎりが現国道を主張する、が…? |
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車は平地で人や自転車が山道かよ。 逆じゃねえのか?国道管理者さんよ? |
↑「主寝坂隧道」潔い南側抗口の美しさ。 ←キター!主寝坂。手前に見える白い箱は「主寝坂気象観測所」 ↓隧道内部。一度通った事が在るはずだが、こんなに狭かったか? |
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「主寝坂隧道 昭和34年3月竣工」 時代を感じる良い銘板、いい字だ。 |
戦後の昭和31年に初代山形県令三島通庸謹製の明治新道の 下に開削された。この狭さは戦後間もなくという時代背景にある。 戦後の高度経済成長の中、激増した交通量を捌いた 隧道の働きは、満身創痍の外観からも伺える。 |
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全長808m、幅員6.5m、高さ4.3m。 隧道の高さは開口の総高さで、車両通過の高さ規制は3.7mとある。 |
隧道の前後には広い待避所。 大型トラックが信号待ちしたのだろうな。 痛んだ標識、新規に設置された標識。 新旧の道路遺構アイテムが凝縮される。 だれもいない峠道に真新しい青看板。 |
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及位村に到着……好い天気なのに人っ子一人居ない。 民家に人気を感じない……? 「生きてる青看&電光掲示板」 こんな古い電光版、ふつー死んでるよ? |
再び「新主寝坂トンネルへ」 広く大きな新主寝坂トンネル。 全長2944m、幅員9.5m |
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ぐわっ!まだ残雪が! |
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残雪を越えると、あとは普通だ。 |
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爽やかというフレーズにヘルメットは印象が重いが相手は片洞門を擁する明治謹製の道だ、 足下も頭上にもきっと三島閣下の罠が待ち受けているに違いない。 |
神様が祭られているよ。時代は変われど、最後は神頼みと言う訳だ。 |
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ヘアピンを曲がるとR113号、綱取橋が一望出来る。 ↓コレが遊歩道かよ! |
蛇神様が祀られる。道粗神だが豊穣神と しても祀られる。が、ここは水難だろうな。 川と共に蛇行する明治道。道が広い。 |
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←←宙に浮く岩盤。
ざっと2m四方か? 重量は2.5tくらいありそう。 一撃で逝けるナ。 工事安全の観音像→← 明治十三年、山形県令 三島道庸の新道開削に併せて 祭られたらしい。 もう読めないよ、コレ。 ←←可愛い観音様。 6年の歳月を経て新道が 完成したあとも、 旅人を見守っていた。 |
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岩盤に補強の跡が見当たらない。 そっくり落ちたと思われる。 ホントに岩盤に乗せただけなのか? |
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ゆっくりと右コーナーを歩いてゆくとクリッピングポイントとおぼしき位置で法面の岩が迫り出し始めた。 |
廃道に階段? 手摺が還付無き迄に破壊されていた。 あ、道は橋台に半分持ってかれてるけど。 |
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綱取橋の袂からも 入れるのか! |
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宇津峠を擁する小国新道は明治13年、福島と違い山形の民は本当にその道路が必要なため協力を惜しむ事は無く、この難事業を僅か6年で荷馬車が通れる道に開鑿したのだ。 |
おお、明治の国道とはこれが! 「米坂線綱取コンクリートアーチ橋梁」 左!指差し確認!米沢方面異常なし! |
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片同門とデリニエーターが共存してる とは……。 |
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「米坂線綱取橋梁」左!指差し確認!小国方面異常なし! |
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←←すっげ!現場あわせにしても酷い。
金ゴテ仕上げどころか 満足な型枠すらなかったのか? 弁当山隧道→← 左、指差し確認! 米沢方面異常なし! ←←米坂線を越えると?。 いかにも明治道らしい風情だ。 スノーシェッド銘版→← 施工 株式会社 富樫組 概要 災56村保工台16号 なだれ止コンクリート造H3.5m なだれ止冊 鉄骨造1Lm L5.6m 竣工 昭和56年10月。 |
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うわぁコンクリート製の欄干?…駒止だよな。 |
下を覗くと、良かった、かろうじて旧道は残っていた。 |
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うおお、幅員3m。。 何だろう?三島道には特有の雰囲気が在る。 |
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だれもいない峠道に真新しい青看板。 |
うわぁ、でも「綺麗すぎるだろう?この石垣!」 |
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幅員ざっと2mという所かな?。 補修の手が入っているとは言え、素晴らしい。 橋に欄干は無い! 遊歩道と言うなら絶対設置すべき! 橋から米沢側(下流)のゴルジェを見る。 小国側(上流側)も素晴らしい高さ。 美しくも恐えぇ! |
あ、やっぱり。予算が無くて反対側だけとは……とほほ。 うん、こっち側(小国側)はまさに130年モノ! |
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これが本物の人工"片洞門"。 荷馬車はともかく、 ここをバスが通ったとは。 駒止が可愛いが、多分役に立たない? 落ちてるよ、すげー恐ええぇ。 |
真ッ平に切り出された"新道"。 すげえな、全部で1万トンくらいありそう。 |
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ああ、ついにこの楽しい道のラストが。 |
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ky「旧綱取踏切!(仮称)」 年の歳月を経て新道コンクリート橋は多分後年に幅員拡幅した片桟橋。 無論反対側は新道113バイパスに埋まる。 |
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ざっと3m程バックしてる踏切の 警報機土台。 撮影位置が本来の絽線位置だと思うが。 |
これは国道廃止後に造られたスノーシェッド。 昭和34年以前に竣工して、旧国道と位置が入れ代わっている筈である。 |
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「現綱取トンネル」1973(昭和43年)竣工(笑w 延長95m、道内幅員7.5m(歩道込み)、隧内高さ4..7m。 |
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「おまたせ、ロースト君」。 さて、やっと帰りのラストランだぜ。 |
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「名も知らぬ旧橋」ふっ、反対側に抜けられそうだ。(笑w |
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ムム、奥に更に旧々橋が! くそう!やるな三島の野郎!(笑w くすん、帰ろ。 お疲れさまでした〜!1217Km。 |
初日(5/3)
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二日目(5/4)
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