見てしまったら後戻り出来ない。


ご使用上の注意!

このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。

走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。

また、
掲載される内容は
大変危険です。

当サイト掲載内容による
いかなる被害も、
当方は保証致しません。





ツーリングセロー”ロースト”でゆく



ここからは(一部)ワイド版(笑w でお送り致します。


旅先Photo !

あれだ、戦後まもなくというアパート群。
「緑ヶ丘アパートメント群」

 
「凄いな、本当のゴーストタウンだ」
 
写真を撮ると踵を返して戻る俺。今来たスノーシェッドの手前に脇道が在った筈だ。
「多分そこが入口だろうナ」仕方ない”寄り道は男の本懐だ” 行ってみよう。

 緑ヶ丘へ。 4-2

 廃坑ではあるが、華々しい歴史とは裏腹に現在でも廃坑から流れ出る膨大な廃液の処理施設があり、24時間稼動している。
 アスピーテラインの入口には特にゲートが無いせいも在って、朝8時半というのに4〜5台の車が通行していたのには驚いた。
 特に某都内ナンバーの方々はウェラブルカメラ装備でアパート群にトツゲキしているよ。



おお、これは!なんという場所だ、ここは。


凄い風景だな。→


正面、松尾鉱山本抗。↓
一棟だけの建物が在る、管理棟?







「でも流石に私有地だしな〜」
 
このミゾ無しツーセロでもイケそうだがここはグッと堪えて岩木山に・・・と思った所で目が釘付けに。
アパート群とは別に道路沿いに単独のコンクリートビルをハケーン!
堪えきれずに行ってみる。
「ボロボロだよォ」
 
標高900mを越える豪雪地帯に建てられたコンクリート製の管理棟らしき建物。
 しかも閉山が昭和43年頃だ、この環境で放置後既に半世紀は厳しい、もはや健気に残っていると言ってあげるしかない。
 

 
 アパート群から離れてのたった一棟の三階立てコンクリートアパート。
 当日は知らなかったが、この建物は独身寮だったらしい。
その名も
「至誠寮」と言う。
 今でこそ鉱
毒にやられた何も無い空き地だが、かつてはアパート群である緑ヶ丘とこの独身寮の間には、戦前から建てられた木造アパート群など「古い町」が一つがあったらしい。
 廃坑後、消防庁の家屋燃焼実験で焼却処分されたのだという。

 
改めて独身寮を見る。
 市道側の壁はコンクリなのに窓枠は総て木製だ。入口は1m程のコンクリ製の庇があったが、鉄筋だけが残っている。
得に閉鎖も無く入れそうだ。
 鉄筋が当時としては細かく入っていると思った、
寒冷地仕様か?
 


朝はいいけど、夜には来たく無いな、この外観は。



当時のコンクリート建造物としては、ふんだんに鉄筋が使われている。
復興間もなくで、単価も高いだろうが、おかまい無しだ。



一階フロアの奥の廊下、西側。
下は食堂
(調理室)、浴室、ボイラー室(未確認)
二階への階段の左側の扉はトイレ。



西側、付帯施設と八幡平。
大きい窓は食堂か大浴場では?正面がハゲ山なのは鉱毒による酸性雨の為だ。

「ごめんください」
取り敢えず挨拶は重要だ。
 玄関正面あったらしい下駄箱は脱落し、黒板は枠を残して旅に出ていた。引き戸は無く、というか豪雪地帯にしては風除室がひとつ足りなくない?
「それで長い庇なのか?」おそらく冬場に仮設の風除室が出来るのだろう。

 奥に入ると東西に幅1.2mくらいの廊下が在る。
西はすぐに階段と水まわり東は宿舎の造りでざっくり7部屋程並んでいる。一番手前の部屋は恐らく管理人室。最奥に非常口には既に扉も無く、遠く先ほどのアパ−ト群が玄関から入って直ぐの窓辺から見える。

 西側階段にはその北側に機械室とおぼしきコンクリート製の大部屋があった。
 おそらくは浴室、食堂(調理場)ボイラー室と思われた。二階に上がる階段の脇(南側)にはトイレがあるが木製と思われる床は既になかった。昭和26年当時、3階または6階建てのコンクリートアパートに当時岩手県庁にも無かった水洗トイレとは?
(トイレに)”落ちたら死ぬ”タオルが必要だな」まあ、水洗だから排泄物タンクがあるわけでもないんだがな。
 北側の建物は真っ暗でとても立ち入る気が起きないので明るい二階に上る。



鉄筋だけでない、コンクリートも良質なものが使われているようだ。粗骨材の密度も厚い。


「昭和3〜40年代のスイッチ」。
コンセント類は外されていたが、三相もしくはアースのある三線。



同じ窓から東側に緑が丘アパート群。
窓の正面にはかつて木造アパート群が犇めいていたと言う。
これ程近代的な建物なのに窓枠は木製、アルミサッシが無い時代なんだ。



天井には何とスプリンクラー?
今時の古い雑居ビルにも無い装備だぞ。
良く見たら屋内電灯の端末(笑w


80センチ程かさ上げされた床下。
掘りコタツでもあったのか?セントラルヒーティング用のダクト開口がある。廊下側にもあるぞ。

 コンクリート製の階段にスチールのステップが付いている。
 二階の階段フロアには
当時珍しい鉄製の防火扉が備え付けてあったのには驚いた。電源コンセントやスイッチはコンクリート製の壁に埋め込み、一部に三相電源?的なコンセントももある。
一階はともかく、二階三階と宿舎の床下には真横にダクト跡が見受けられる。そういや一回階段の足下にも穴があったな?
「そうか、セントラルヒーティングか?」
 
これは軍艦島のビル群には無い装備じゃないかな?一階のボイラーで作られた温風は階段脇のトイレとの間からダクトを通して各階に送風してたのかもしれない。
「それにしても昭和20年代で集中暖房だと!こんな山の中で?」手元に当時の資料がないが、本当なら相当先進的な構造物だと思う。



「防火扉かよ!」昭和30年代に?後付けかな?
2階階段フロア、個室通路の入口に設置される。


一階トイレの手洗い場。
窓の外にはロースト君。
床は既に無く、窓辺に近寄れない。


二階のトイレから見るロースト君。
二階/三階のトイレは、床こそ在るが、
踏み抜けそうで恐い。



各部屋のコンセントは普通のプラグだった。


「一階の木が二階に突入!」
たはは、スゲーなーもう。二階の壁がブロック積みに変更してある。
その空間から電気配線を引いてるよ。



三階の東側非常階段に到達。
緑が丘アパート群が鎮座する異様な空間。


 屋上に出る通路は無く(あるいは東側の非常階段にあったか?)三階の各部屋を眺めつつ東へ歩く。
 上がって来た階段の南側にある共通配置のトイレも、今考えると各階にトイレが在る事自体、珍しいのではないか?
 旅館のお風呂場と違って質実剛健な 二階も三階も小部屋は同じ造りだ。
 独身寮の部屋を見て廻る。
 生活感も既に時が洗い流し、証拠を示す様に窓枠には結構な大きさに育った木が住人と掏り替わっていた。
 
窓から八幡平の青い空が輝き、春の香りを冷たい風とともに古びたコンクリート棟を吹き抜けて行く。
「非常階段は・・・無しか」
 
ドアを喪失した非常階段は既に踊り場すら崩落し、まさに塵となって一階の土間に山を築いていた。
 それは既に元の形が連想出来ない程に風化していた。
 そして独身寮の三階から見る廃アパート群が御光を伴ってそそり立って居た。



既に扉も無く、踊り場はもはや強度もなさそう。
手摺は風に揺れている?
下の白い物は残雪。



「さて、行くか」松尾鉱山を後に、再び走り出す。



終わる事のない、抗毒浄化作業。
 
 
MRが生まれる以前の、戦後日本の縮図がここに放置プレイで保管されている。
 そんな哀愁を感じつつ、今日は時間がないので戻る事にした。
流石の自分もアセって来た。



「おはようアスピーテ」今日もいい天気。


写真撮影の為距離が空いても、すぐに追い付いちゃう。

 八幡平から弘前へ。 5

「しまった、ついまったりしてしまった!」
 県道23号線通称アスピーテラインの見返峠に10数年振りにバイクを停めると、カルく写真だけ録って秋田方面に下山を開始する。
 樹海ラインの分岐を確認しつつ、
走行中に雪の壁に手を差し伸べて触って遊ぶ。



「有料道路償還済み」青空に輝く県道23号のヘキサ。




いい景色だ、末端主義のバイカーにおあつらえ向きだな。


ちょっとアベレージ上げるとすぐ追い付く。
雪の壁は3mくらいか。


「4mの雪の壁」正面は安比岳と思われ(笑w


岩手県東端、見返り峠に到着。
取り合えず写真撮影。
 
 やがて国道341号線に合流する。路地の公衆トイレを借りて再び北上を開始。

時間は既に10時を過ぎているのにまだ八幡平にすら辿りついていない。
 取り敢えず交通状況が解らないので国道282号線に合流すると
さらに北上を繰り返す。
  思ったより交通量が多く、動きもトロい。
これはかかるな?



いいねえ!。見返峠を振り返る、ここはもう秋田県。


「連なる中央分水嶺」

鹿角からその奥の国見台まで遠望出来る。あの奥に森吉森林鉄道が!(違w
 
と思いつつガソリン給油を挟んで、眠気を噛み締めて走る。
北へ北へ、ひたすらに北へ。遠い、そして眠い(爆!>またかよ、俺
 岩手、秋田と走り継ぎ、ロ−ストセロ−は国道282から青森に突入した。国道282でもっとも古い区間と言えば
坂梨峠だ。
 そもそも、この国道自体が東北自動車道直下のアンダーアクセスとも言える道で通過する自治体も同じと言うくらいだ。



キタ!!坂梨峠!旧津軽街道の最後の姿



 坂梨峠の、今回走った区間は青森終点側ラスト6.5Kmで、その内峠を挟んで約5Km程が、いわゆる旧道峠道という風体だ。
国道認定は昭和45年と言うからこの峠区間は殆ど指定当時のままの風景だろうと思われた。
(まあ、当日はそれどころでは無かったが)
しかし
現役道路の隣に旧道というフレーズがここも適応されてしまう。
「なんだこの鉄橋?」
ああっ!また引っ掛かっていくんかい>俺。



「これは見に行かなくては…」x2
ああッマズい、またまたスイッチ入っちまう……。


 
峠を越えて遠部ダムの手前から分岐するこの道は本格的なトラス橋だが、写真を撮りつつ地図を探しても、何処かに出る道では無い様だ。
 橋自体はコンクリート床だが前後は砂利道である。
「遠部ダムが出来る前の旧道だろうか?」 
廃道のニオイがプンプンしているがしかし、いわゆる゛付け替え後の旧道゛とも考えられる。


楽しげに書かれた「ぶんきちばし」
漢字だと
「文吉橋」と書く。
後日自宅で調べてもその正体は不明であった。
「丈吉橋?昭和50年9月竣工、か…?」いや違う
「文吉橋だ!」


「昭和五十年九月竣工」
割と若い橋だったな、40年前半と思った。
それでも40越えてるけど。



「狭い道路橋だ」遠部沢を渡る旧規格のトラス鉄橋。




弘前市内を横断し、市街地の直線に出ると、
正面に岩木山を目視。

 実は家に帰って写真を拡大するまでずっと「じょうきちばし」だと思っていた(笑w
 このままこの道が何処に出るのか確かめたいが、地図では行き止まり、既にタイムオーバーな状況では断念せざるを得ない。
 岩城山も勿論だが、
帰りのアスピーテライン/樹海ラインも夕方5時には夜間通行止めとなる、何としても4時にはゲートを潜らねばならない。
 止む無くきびすをかえすと、ローストセローは国道282に戻り再び進撃を開始したのだった。



「ついに来たゼ」岩木山、さすが弘前小富士(笑w

 弘前に到達したのはお昼、たいしてハラもすいて無いのでそのまま弘前市内を横断して岩木山へ。
 
途中1ケ所道を間違えただけで直ぐ復帰。こーいう時のGPSは役に立つ。

 片道スカイライン? 6

 
午後1時前にやっと岩木山入口のゲートを視認、深いため息と共にシールドを上げた手が目を擦る。



「凄いセンスだな?コレ」なんだこの西部劇にでそうな雰囲気(笑w


路面状況はお世辞にも「いいと言ってあげたい」
と口に出せない程度。


民営だから仕方ないのか?

 
バイクを降りて、おもむろに写真にゲートを納めると料金所の位置を確認して再びバイクに跨がり、ゲートを潜って登り出す。
 長い直線のあと、2〜3ヘアピンをくぐると早速料金所、二輪車は1000円だ。
「しかし、未だ償還出来ないのか?」とおもった。
 だが違うのだ、この岩木山スカイラインは実は青森の道路公社の管轄では無く、弘前の弘南バス(株)の子会社(株)岩木スカイラインが管理運営する社有道路なのである。
 タイヤのミゾがセンターで無いトレールウィングTW302だが、まさに
“漁夫の利を得た魚の様に”連続するヘアピンを駆け上がって行く。目前に大人数を乗せた70ランクルをヘアピンからの立ち上がりで鮮やかにパスしてゆく。

 
全部で69あるヘアピンにはナンバリングの立て札が出され、あと幾つで頂上終点か知らせてくれる。



「ヘアピンの村だな?コレは?」どんな村やねん(笑w


「三島の道路で育った福島県人には少々物足りない」
確か自転車で登るレースがなかったっけ?ここ(笑w




気が付くと52番。
コーナーに番号があるのが気付くのが
遅いんじゃ無い!難度もトライして
やっと曲がりながら撮影出来たんだ。


もうすぐ頂上、
スカイラインの醍醐味を
沢山のヘアピンで。



 12個目のヘアピンに差し掛かる頃一つ上のヘアピンから、なんとなーく状況が解りそうな音が響いて来た。
「!やったか?」
 案の定14番コーナーで多分ぜファー400と見て取れる対向バイクが転倒していたが、センターラインを割らずに転倒していて感心した。
大丈夫ですか!という声に二人程併走していた一人が手を上げて答えている。下り車線の丁度クリッピングポイントとおぼしき所に60cm位の大穴があいていて多分ハンドルを取られたのだろう。

 お世辞にも良い路面とは言えないが、まあまあ一時期の蔵王エコーラインよりはマシな舗装路が続いている。だが、30番コーナーを過ぎた辺りから路面状況は回復し、周りの景色と相まって徐々に盛り上って行く。

前方にクルマが連なってしまったので見晴しの良さそうな所で一旦休憩、ヘアピンの張り出しから眼下を撮影する。
 蛇のようにうねる連続したヘアピンが、まるで棚田の様にも見える。
 残雪残る中腹にシュプールを描いて、道はさらに登って行く。コーナーの曲がり方に慣れないオートマ車がワケの解らないタイミングでブレーキランプを煌めかせて降りて行く。

「到着」

八号目とはこういう事か (笑w


「残り二合を登る登山者達」バイクで登れない所には出向かない(笑w


確かに!一番上のコーナー
には69番の文字!
そうか!
町中でこのゼッケン入れてる人は到達記念なんだ(大嘘w。
 
 前後に通行車両が居ないクリアラップを見計らって再発進する。
「あ、プレートあった」
 実はこの時、始めてヘアピンについたナンバープレートを視認した。
 再び走り出して難度かプレートの撮影をしつつ、さらにカントのついた連続ヘアピンを登り上げると、
独立峰の醍醐味である大パノラマが広がって行く。
唐突に8合目駐車場に辿り着いた。
 ツーセロを置いて見上げると、残り2合の頂上がそびえ立つ。その姿は完全な雪山登山である。頂上行きのリフトが故障で運行中止なので残念だ。
 まあ、遅れているので時間的には良かったのだが。
「あれ?」



「展望台から日本海を望む」日本海のぞーむ!(笑w


「展望台から白神三系を望む」また走りたい白神林道、
町道なんだがな、あ、今は県道か?
(笑w


展望台から戻ると、別な突端主義者が
隣に停まっている


「あ、どうも」
 なんだ、昨日キャンプ場でお会いした滋賀ナンバーの900忍者さんだ。
「遅いお着きですね」
はは、寄り道が多すぎて……(空笑w
 彼を見送ると人波に連なり展望し切に出向く。炭酸飲料を購入して2階の展望デッキに登るが人だかりで撮影出来ない。すると、
いまバイクを停めた背中向きに展望できる独立した岩塊があるではないか?
慌てて戻り登ってみる。
「おお、頂上っポイ!」まるで疑似山頂だな。
突端趣味を堪能して、岩木山を後にした。


「見返峠から樹海ラインへ」
それは第二のアスピーテライン。




おお、中々に壁高い!
後生掛温泉までは雪深い。

 樹海を抜けて風呂へ。 7

 
4時には何としてもアスピーテに入らなければならない。
 岐路は止む無く高速を使って、弘前から一気に十和田まで戻って行く。
 流石に高速道路に寄り道や道草は無い。十和田で幾つか買い物をこなすと給油して何とかギリギリに突入出来た。
帰りは樹海ラインに向かう。



「おわっ!レンズが」胸ポケットに入れたカメラだが、
取り出して撮影しようとすると余りの温度差にレンズが曇る。


「ダメなニコンだけど好き」そう思って使うと憎しみも湧き難い(笑w


橋の周りは流石に風の通り道。
着雪も難しい程の強風なのかな?


うおお、空しか見えねえ!
好きだな、こーいう道路。
 
 見返り峠の三叉路を秋田県側から右折、最初こそ尾根沿いのスカイラインだが、道はたちまち鋭く深い谷川ぞいに降下してゆく。
 雪の壁は目視で6mはあろうか?
 藤七温泉近くが小さく急なコーナーの連続となり、
解けた雪が路面を清水となって横断している。
「恐っっっ!
凍結してそう!」

 その後も雪の壁と青空しか見えない異次元コーナーが続く。

 
寒い、温泉を過ぎて撮影の為片手運転で構えたカメラのレンズが曇る。冬用のグローブが必要だな、これは。

 下って行くに従って雪の壁と青空の対比が逆転して行く。
 雪に埋もれたガードレールの頭が見えると雄大なアスピーテラインを対岸から堪能する。ちら見だけど。
 松川温泉の看板がでてすぐに樹海ライン側のゲート!既に閉鎖の為の作業員が待機し、無線で残り台数の確認をしているみたいだ。



「うお、タマラン!」この時ばかりはセローの鈍足悔しい(笑w


「帰って来たよ岩手山」ここまで擦れ違った車両は10台くらいか?
誰も居ないも同然だな
(笑w


やっぱり後から出来た道の方が、構造的に
安定してるよな。走りやすい。

 道路管理者の皆様にお疲れ様と思いつつ、自分は松川温泉に右折する。
 昨日も来た松川温泉、巨大な鋼鉄の送流パイプが入り組んだ温泉前に躍り出た。
パイプは温泉右奥の
「松川温泉地熱発電所」に向かうパイプである。同じ温泉でも使い道はまるで違う。
そして目的の松川温泉本館前に到着。
 
なんと!日帰り温泉も朝7時から夕方7時まで営業してる。



「松川温泉 松川荘」達筆だな、桜に彩られる老舗温泉


まったりと、最終回へ。


温泉の路地に停車スペースを ハケーン!
 早速確保!
お.奥に名古屋ナンバーのお仲間が。
 
 早速玄関そばの空き地を見つけツーセロを註輪、おかみさんに500円を払って一つ下の浴場に向かう。
 露天風呂の看板に自然と体が反応して扉を開けると脱衣所(男)の文字が目に飛び込む。
「ええい、ままよ」
 脱衣所といっても得に仕切りが無く、脱衣所入口近くで入浴を楽しんでいた数人が驚いてこちらを振りかえった。
 
そりゃそーだ、いきなりウインタージャケットにレックガード付きのいかつい親父が入って来るんだから。
 脱衣所が共有なので、ホント「いきなり」感が凄いようだ
(本人は今まで道りなんだが)

 その為か?驚きのまなざしは一瞬で収束し、何事も無かったように露天風呂に浸かり直します。
 そんな状況ながら服を脱いで体を洗い風呂に入ると、とたんに眠くなるMR。



「成分分析表、確認」単純硫黄化水素線。乳白色のお湯ですね。

おそらく?「夫婦の入浴に男性客が退却してゆく」
別に金払っているんだから、逃げなくてもいいのでは?(笑w


地熱発電所の本体って、これ?
プラント感がいいね。

「い、いかん!ここで眠ってしまっては!」と思いつつウトウトしていると突然自分が入って来た入口と反対側の出入り口から女性が入って来て目が覚めた。
「混浴だったのか……」
 その女性は旦那さんとおぼしき男性と肩を並べて入浴していた。

 これはいかん、長風呂するつもりだったが、これでは逆に眠れなくなってしまうぞ!と思ったMRは露天風呂を上がる事とした。



「巨大なパイプは地熱発電所の蒸気を松川荘に分けて貰っている配管」電気も暖房設備も発電所と一体化している。


今回は致し方ない、見学は赦してやろう。

 
 
脱衣所に行くと満杯だった脱衣所のカゴが半分以上帰っているでは無いか?
 振り返ると、確かに何時の間にか人が半分になっている。
「おお、破壊力あるなあぁ、女性乱入」この機を逃さず記録に残す。ちょっとびっくりしたが、いい風呂でした。
 ついでに松川地熱発電所も見ようか?と思ったら、見学時間終了、オワタ!
 マアシカタナイとキャンプ場に戻って一杯ヤるMRだった。
さて、
最終日はドコ行こうか?




「今日はバイクの人が居ない」
周りは全部ファミリーキャンプ(笑w