Autumn Tour's 2006
    〜Debt End HINOEMATA〜
 
「檜枝岐“紅葉”ツーリング」2


 ギアを1速下げてアクセルを開けたが着地した瞬間に接地の感覚は伝わらなかった。
 左足をキャンプ用品満載の車体に挟み込んで、体は洗濯板のような岩肌にしこたま叩き付けられた。

痛恨の転倒である。

 あまりの痛みに体を思わず捻っていた。
 左足はギアチェンジの為外に出していたため、岩に食われて外に向かって90度捻られたのだ。その激痛から逃れるために、条件反射的に体ごと捻られた同じ方向を向いていた。
 珍しく、足を車体にまきこんだまま、腹這いに倒れ込んでいた。


檜枝岐から舘岩に移動する。途中、国道352号線には伊南川支流西根川にかかる岩本橋がある。
旧橋の橋台が今も残る。


 キャブレターからガソリンの香りがして、ダダ漏れが脳裏をかすめたが、BAJAのポリタンクではなくレイドは純正であった事を思い出しそのまま寝っ転がっていた。
 
「左足が痛えぇ」
折れて無くてもヒビくらい入ってるかも?
 なんてこったい、シェイクダウンに来てホントにダウンするとは…?
多分シューズなら骨折。ガードの堅いブーツで助かった。
 感覚的には10分以上寝てたつもりだが、罠から逃れる狸のような動作で左足を車体か引きずり出す。きっと上から見ていると滑稽な動きだったろう。ガソリンコックを捻り、5分程立ち上がらずに座る。念のためバックから熊鈴を取り出しザックに装着、iBook-G4を出して作動確認する。
 新型機を買って早速転倒に巻き込んでしまったが、無事である。腹這いに転倒してるからなぁ、あんまりしない格好だけど。
 意を決してそろそろと立ち上がってみるが、かなりの激痛!それを堪えてバイクの架装物を外す。重すぎて引き起こせないのだ。


ALBUM

川を挟んで伊南村側には利水施設があるため、旧橋の上を未だに電線が通る。



フリークの間では有名な安ヶ森林道の名称は実は栃木県側の名前。
福島側は「鱒沢林道」と呼ぶ。




その名の通り鱒沢を登ってゆく。


川を渡る・・・支流の沢筋は暗橋を含めると5〜6カ所、本流も2回ほど渡る。


 ダブルサイドバック、テントを外すとようやく手掛かりとなる純正キャリアを掴める様になる。

 息を整えて林道に仁王立ち、
エイヤっ!とばかりに車体を引き上げる。ミッションレバーがミッションカバーに接地してギアを抜く事しかできない。
 安定した足場にバイクを押して立て直し、しゃがんでタイヤレバーでコジりフットレバーを定位置に直す。その一連の動作には、足首の間接が開いた様なガクガク感と体重を乗せるとハイジャンプ出来そうな痛みが脳天に突き届く。
 解いた荷物を積み直し、やっとバイクに跨りエンジンを掛けて走り出すと、既に転倒から40分ほど経過していた。
 かくして未だ檜枝岐地内に戻った時には時計は11時を指して居たのだ。


 
大誤算
 国道352号線岩本橋で旧橋の橋台を鑑賞した後、湯ノ花温泉の入口沿いに当たる舘岩村役場前で給油。お昼頃に鱒沢林道に突入する。

 この時点で既に痛みに為に正確な判断が出来てはいなかった。順番と天候である。



お昼時の晴天ながら、早朝とはひと味違ったハッキリとした色合いを見せる紅葉。



本流を渡る橋の隣には旧橋の橋台が残る。
これも林鉄か?と勘ぐってしまう。
一目見て道路橋と解る橋桁の幅だ。



 未だに何故木賊に抜ける大規模林道を抜けなかったのか?岩本橋は確かに胸中にあったが、こんな切迫した時間で逝くのは…?

 勿論その時は気が付く筈もなく、昼食はおろか朝食すら摂っては居ない。脳内予定では今頃川俣ダムの茶屋で昼食の筈である。
すべては予定無き予定の・・いいや、もう。
 鱒沢林道を登り上げ、鱒沢川と別れを告げる頃に撮影ポイントに辿り着いた。
曲澤橋と鱒沢隧道である。
 東北は南会津と北関東に風穴を開けた最初の林道の隧道、竣工は昭和36年と言われる。勿論曲澤橋も同年竣工だ。



昭和三十六年竣工「曲澤橋」。他の橋とは明らかに違う昭和初期のエッセンスを感じる橋だ。


曲澤橋を渡って左にステアすると回り込む様に右の直角コーナー!そして・・・。


「鱒沢隧道」
記念碑によれば曲澤橋と同年となる昭和三十六年竣工とある。
トンネルの中から覗く紅葉は、さながら万華鏡のようだ。



 このツーリングの為に購入した3ヶ月振りのタバコを吸って、電池が無くなるほど写真と格闘する。



 何度も走った東北脱出定番林道だが、隧道をこうして眺めるのは初めてである。
 ここは開削当時からの自動車専用林道で、同年の開通式は村民あげての盛大な物だったという。因みにこの林道、栃木側の名前である「安ヶ森林道」が通称として名が通っている。





落ち葉と紅葉のコントラストを走る。


碧掛かる透明の清水。
咲き誇るかのような紅葉。
岩盤を流れ落ちる沢水・・・。


 

既に名もない沢になる。
当然橋には欄干すらなく、これが作業道としての本来の姿である事を痛感する。


 しかし5〜6年ほど前に安ヶ森(栃木)側は全面舗装となり、ダートは県境から舘岩側の13Kmを残すのみとなっている。
 それでも、途中DR-400など数台が果敢にコーナーを攻めている所から、まだまだダートフリーク御用達の林道である事が窺い知れる。
 隧道より先の沢沿いはまるでオフロードコースの様な赤土のダートで、コース走行に完熟したライダーには堪えられないだろう。当然普通林道なのでガードレールすらなく、曲がり切れない場合は自動的に「鳥人間コンテスト」の参加者となるが、無論テレビ放送は予定されない。



沢から離れ遠く舘岩村を見下ろす様になると何処に逝くのか少々不安になる。



安ヶ森林道は全面舗装。MR的には意味のない普通道路と成り果てた。
しかし鱒沢はまだまだ楽しめるルートだ。



 赤土の頃には視界も開け、遠く舘岩村も見渡せるコーナーを上り詰めると、竣工記念碑と共に県境が現れ、林道は安ヶ森と名前も変えて、路面も舗装道路に衣替えする。

 かつてGWにはここからの下りで雪屁に突っ込んで雪崩のごとくヘアピン下の道路に雪崩落ちた輩も居たそうだが、いまはガードレールが据え付けられ、まるで別な林道に来たようだ。そういや、四輪駆動車で子連れ新雪アタックやって遭難しかかった人も居たよな?。
 つまらない下りを端折って、栃木県道249号線を湯西川温泉で休憩する。
ドクターペッパーを飲みながら「薬師の湯」に入るか迷うが、予定の本数を全くこなせない現状に涙をのむ。
座ると足が痛くて立ち上がるのも億劫だ。


「狩人の里」の看板に思わずエアコンのCMを思い出し、しばらく狩人の「あずさ2号」を口ずさんで土呂部峠に駆け上がってゆく、紅葉見物の乗用車は可能な限りブチ抜く。

 峠を右折しいよいよ田代山に進路を向ける。この林道、いつのかまにか県道350号線に昇格して、しかも秋しか一般通過出来なくなっていたのだ。川俣檜枝岐林道共々秋限定のルートと化していたのだが・・分岐にゲートが出来ていて驚いた。
 話には聞いていたが、古を知る者にはこんな山の中にゲートと管理のオヤジがいるのは異常である。



完全舗装、もはや何も言うまい。


県道249号線到達。道路際にはキャンプ場の標識があり道に迷う事はない。



県道249号線、湯西川温泉からさらに登る。
三河沢ダムのT字路を左折、土呂部峠へ。



これでもか!と言わんばかりに通行止めの看板の上に「通行止め」の案内板がある。
暫く来ないうちに懇切丁寧な看板が付いたもんだ。



しかし200m足らずで砂利道は舗装化される。


 
 しかも、さらに痛恨の出来事が待っていた。
「馬坂林道通行止め・川俣湖方面通行不可」である。
 事実上これで田代山を攻め下るしか無くなった訳だ。と、そのとき05'XR230が馬坂からあがってきたので手を挙げて挨拶を交わし、情報交換となった。幸か不幸か川俣檜枝岐林道の分岐までは通行可能で馬坂林道出口近くの川俣ダムの袂が崩れているという。
 時間は既に2時前であり、もはや時間的には田代山を下る時間しかないが、やはり気になるので馬坂林道を逝く事とした。
 XRさんにお礼を言って別れる。馬坂林道は中間部分が舗装されていたのでこれまた驚いた。舗装は路盤補強やのり面補修の箇所を総て舗装化していたが、実際には全体の半分程のようだ。馬場川を渡ると逆位置に先ほどの川俣檜枝岐林道起点に合流する。


 Y字路には通行止めの看板があり檜枝岐側とは対応が違うよ。写真を撮って満杯となったデータをパソコンに流し込む、これを何事もなく林道の橋の上で行う私。さらに数枚撮影し、やむをえず引き返す。



どうやら法面改修と道路舗装はセットの様だ。


ヘアピンを多用し急速に標高を下げてゆく。


馬坂川に到着



馬坂林道と川俣檜枝岐線との分岐点。因みに写真手前側が川俣ダム(南西側)に出る本道。
左手直進の川俣檜枝岐林道も、栃木側は馬坂林道2号線という名称のようである。



 朝の檜枝岐が晴天で朝日の中の紅葉を堪能したせいか?川俣湖沿いの馬坂周辺は今ひとつ色にピンが来ない?と思ったら、西側から駆け足で鉛色の雲が流れ込んできていた。

「しまった」
 そう、当初の目論見では田代山は昼イチで下る予定だった為、天気との兼ね合いをすっかり忘れて居たのだ。
馬場林道から田代山のY字路に戻ると田代山から下りてきたスーパーシェルパのおじさんに道を聞かれる。



反対側はちゃんと通行止め表示があるじゃないかい!(-.-#)。




 
県道化された田代山林道の入口。
随分ゴツいゲートを組んだもんだ。



路面状況、景色も問題ない・・ハズだが。
周りはなんか白っぽいぞ。



霧というより、雲の中だな。


 先の05'XR230さんと自分の情報を話すと、がっくりとうなだれて一言「来た道戻りますわ」ナンバーを見ると関東圏の方だ、時間は3時をすぎ、既に戻る時間一杯らしい。

 絞り出せ!
 戻るスーパーシェルパを追ってRAID君を発進させる。紅葉撮影のため停車するシェルパに挨拶し、快調に登る。
 逝けるか?と思われた天気も尾根沿いの馬の背を走る頃にはすっかり霧に包まれ、2000年秋の企画「県境林道走破3ヶ年計画」で走った時とほぼ同じ、濃霧というよりこれはもはや雲の中である。
 バイザーがたちまち水滴だらけになって、視界を奪われる。バイザーにガラコを塗ってあるが、スピードが出る区間は限られるので、ブラインドコーナーではまるでフォトショップのナンバー隠蔽加工写真のようだ。
 霧の中から県境のゲートと標識が現れ、再度福島に突入する。


 このゲートを撮影中、スーパーシェルパさんが追いつき、束の間談笑する。しかしお互い時間のない身「じゃ、またどこかの林道で」と挨拶し、別れる。そして、もう一つの衝撃。
 既に私は歩く事もままならず、重く痛い左足を引きずってRAID君に跨る。
下り初めて直ぐの、田代山登山口は快晴だった。
 夢にまで見た秋空にそそり立つ大銀杏はすでに散り始め枝を曝していたが、バイクから降りて写真を・・電池がない。
え、新品入れたじゃん!流石12本300円アルカリ電池、並み以下の保ちだよ。



これが福島・栃木県境である。ホント、ゴツいゲートだな?
厚い霧はデジカメのレンズに水滴が付いているようにも見える。



県境から福島に下りてすぐ霧が晴れる。
田代山登山道の駐車場にある大銀杏は秋の終わりを告げていた。




田代山の下り。このとき既に左足の激痛とカメラの電池切れでゆっくり止まって撮影すらままならなかった。

林道日記に載せた以上に実は橋が多い。
もう「痛い」が百回単位で増殖している。



 バックを見るとスペアが無い?しまった、昨晩ランタン代わりに使った懐中電灯だ!林道走行で撹拌された電灯は、見事に通電状態で見つかり、もはやカメラなんぞに使える訳がない。
 必殺の「電池の電極を湿らす」攻撃に出る!(いや、単に舐めただけなんだけど)これが効いて、何とか林道終了までに16枚の撮影をこなす。
(結局自宅まで保った!(^_^))

 かくして湯ノ花温泉に舞い戻ると5時前、足が痛くてバイクに跨ったまま、タンクに肘をついて休む。も1本2Km足らずの林道に逝きたかったが、流石に今日は諦めて帰路に就く事とした。電話ボックスにカード電話を見つけ、足を引きずって自宅に連絡し、コーヒーを飲んで一服する。
結局、何も食べてない。いいダイエットだよ、ホント。
既に漆黒となった国道3本をひた走り、下郷で1回休憩し自宅に7時半に到着した。

 エピローグ
 という名のプロローグ

 翌日、会社に許可を取って病院で診察を受けると、「靱帯裂傷の一歩手前」「足首の関節が開き気味」という診断と共に湿布薬を頂く事となる。
「溜息しか出ねぇ」
 そして話はこの週末の
「リベンジ!旧道R121!!」
に怒濤のごとく突入するのであった。



湯野上側の田代山入口。こちらも立派な設備が出来ていました。




Debt End HINOEMATA-1
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