ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。

林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

キャプこのContentsは、適当に増殖します。ション
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)021


二軒在家なる部落に建つ立派な標識。
県道351号は直角に右折し只見方面へ道を繋げる。林道は勿論左折である。




森の昆虫類の格好の餌食になっている林道標柱。来春まで持つのだろうか?

●沢沿いに繋がる模範的広域林道。
 小塩〜塩ノ岐線は国道282号線と平行して流れる伊南川、旧道とも言える県道351号線から出入りするにも拘わらず、なかなかのロングダートを持つ林道である。
 名前の如く小塩と塩ノ岐という集落を沢沿いに繋ぐこの道は、多々石林道が消滅せんとする今こそ、会津のソルトロードといっておこう。

TouringMapple2005.3版に掲載


表札に某雑誌のステッカーなどが貼ってあり、実に不愉快だ。貼ったヤツは直ちに撤去して欲しいが果たして剥がせるのか?しかも左右である。


二軒在家側からは表示が無く、少々判りづらい。


なかなかの雰囲気が漂う林道入口。穴沢橋という名前がいっそうの怪しさ?を醸し出す。

全体的には普通林道の模範的路面状況だ。



光が差すと美しい紅葉にお目にかかれる。杉林とのコントラストがきれいだ。

●基幹林道 小塩塩ノ岐線
区間総延長:約15.1Km
(未舗装14.4Km、舗装区間0.7Km)

概要
 出入口が同じ県道に接するこの林道は塩ノ岐の集落から入るが、その入口は塩ノ岐川沿いの二軒在家という不思議な名前の部落から突入する。
 ネーミングから察するにその周辺には二つの名字しかないのでは?とあらぬ事を勘ぐってしまう。非常に立派な標識があるので、伊南村から只見町に向かって走る限り見落とす事はない。

 集落を過ぎ、穴沢橋というこれまた妙なネーミングの橋から林道、未舗装区間となる。
 林道入口にはシロアリに我が身を持ち崩す寸前の林道標柱があり、人事ながら冬の豪雪を乗り切れるか心配だ。
 橋の表札に某雑誌のステッカーなどが貼ってあり、同じライダーながらその行為と感覚を大いに疑う処だ。貼った方には直ちに撤去して頂きたいものである。



路盤補修した箇所にひかれた砂利。
ちょっとぉ!
こりゃ玉石だよ。グローブ大の石がゴロゴロ。

 さて、林道内は多少石が多い物の路面状況は良好で、沢沿いの路肩崩壊にさえ気を付ければ、秋の頃には美しい林道である。一部に補修用としてはエラくデカい玉石が奉られているが、特に問題はない。渓流沿いの林道というモノは飽きさせない景観が良い。 頂上付近はそれなりに標高があり、時に白樺も見受けられる小さな高原っぽい処を抜ける。その後下り始めると小塩側の沢沿いに集落を目指し、久川城公園に辿り着く。

 途中に二つY字路があり、峠の手前でもある塩ノ岐側の一つは表示なし、小塩側の方は「普通共用林道 小塩線」という標識だった。
 
 
小塩側のT字路は手持ちの地図で抜けているかどうか確認出来ない為、今回は割愛となる。


水が流れ込む沢沿いには、このようなコンクリート補強が組まれる。


峠の手前にY字路。
MRは下から登って来ている。


バイクが通るなんてお構いなしに撒かれた玉石。
道が復旧していて良かった。



塩ノ岐沿いの渓流はなかなかにダイナミック。
既に紅葉は終わり、晩秋の寂しさが漂う。



県道側に建つ林道標柱と登山口表示、今年建てたのでは?と思うほど真新しい。この勢いを塩ノ岐側に分けてあげたい程だ。

 林道の最後は、久川城公園に辿り着く。県道351側の入口は公園南側入口と共用で、林道標柱も県道に建っていた。

調査日(04/10/23)の状況:
 沢沿いで繋いで峰越えする典型的な大規模林道のため、台風による被害を受けやすいようだ。
 8〜9月に路面崩壊し10月半ばに直ったばかりの様だが、写真の通りアブナいところもあった。それ以外の所は路面状況もよいロングダートである。峰越えにも拘らず、ルート上に眺望の良い所は余り無い。

●小塩普通共用林道
 
総延長:未計測(多分全線未舗装?)




手持ちの大小の旺文社地図では確認出来ない小塩普通林道。

 このあとの多々石林道があの調子なら、いっそ突入すべきだと思ったのは、このレポートを書いている時だった。入口を見る限りかなり通過林道っぽい。今後の要調査林道である。

●久川生活環境保全林公園

久川城跡。詳しくないので、伊南村の役場Webで拾って来ました。

 『新編合津風土記』巻44の青柳村の項には「久川城跡(中略)東西一町、南北四町、東西北三方に乾隍を廻す、北を本丸とし、二丸・三丸其南につづき、間に掘切りあり」と記された古城。
 同書及び所伝によれば、古町の館に住した河原田盛次が天正17年(1589)伊達政宗軍の来襲に備えて築城したもので、のち蒲生氏の支城となったが、慶長16年(1611)に至り廃城になる。
 遺構の保存の良好な点、歴史的背景および築城廃城の時期が比較的明確な点など、戦国近世初頭の山城としてきわめて貴重な史跡と認められる。
(『県教育委員会指定書(別紙)抜萃』)



道路管理者ではなく、利用者が置いた石に管理者がカラーリングしたかのような石累。
大分深く抉られている。
小塩側は幾つかこんな箇所があった。


大型車も回頭できそうな広さのT字路。
小塩普通共用林道の入口である。
何となく「抜けられそう」。
バイクの向きは進行方向と逆である。
画面右手空手前側が本道。


突然、林道が開け、舗装になった所が林道終点。
最近まで通行止めで、まだ看板が回収されずにいた。まさにラッキー。


どこだここは?桃源郷に迷い込んだ気分。


どこだここは?桃源郷に迷い込んだ気分。2


城跡を抜けると林道終点まではすぐである。


久川城については、
伊南村HP 
http://www.sanson.or.jp/mura/mura71/frame2.htmlより抜粋して記載させて頂きました。