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林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。



旧堀切邸正門全景。赤川林道の生みの親とも言える堀切氏。
歴代当主が尽力した赤川堰の管理道路として生まれた同林道は、
"福島の林道の元祖"とも言えるのでは?
(旧堀切邸 http://www.iizaka.com/contents/kankou/horikiritei.html )



キャプこのContentsは、適当に増殖します。ション
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)074-2


赤川林道終点および銅屋林道終点付近と思わしき広場。
車が数台停められる。


●万世大路から穴原温泉への近道。赤川林道と堀切氏。

 赤川堰は飯坂温泉の名士、堀切氏が田園開発のために私財を投じて作られた灌漑用水のダムである。赤川林道は赤川堰の管理用の道として最初に作られたものと推測する。
 後年に赤川そのものを管理する為に林道となり、赤川に沿って延伸したと推測される。


 飯坂温泉や赤川に於いて、地元の名士である「堀切氏」抜きで語る事は出来ない。現在の福井県から小作人として渡って来た初代は、流水土木によって飯坂温泉を川の氾濫から守り、やがて時の白河藩主より大地主を授かった名家である。
 時代の変遷にあわせて領民の立場に立った行いで、時には私財を投げ打って河川や町の改修、飢饉の救済を行なったという。以前、"日本の廃道"でMRが投稿した記事にある飯坂の遊郭街「若葉町」も政界進出を企てる県令三島が堀切氏の財力を目当てに作らせたと言われる様だ。
 因みに1940年に「日独伊三国同盟」にフランス大使として調印したのが、当時"堀切三兄弟"とよばれた長男の堀切善兵衛だったりする。



近年、旧堀切邸が整備、公開されている。明治大正頃の蔵が3つもある豪邸で、内部も豪華でモダンだ。

話が少々脱線した。
 さて、問題の赤川林道は初代堀切氏が天正6年(1578)にあばれ川だった赤川の流水を変える土木工事を行ない、飯坂町の上流で摺上側に流れ込む様に改良した事に始まる。
 元禄2年(1689)には赤川の中関が改良され、町の飲料/農業用水の礎となり、その後の嘉永元年(1848)に自費で赤川前堰を建設。11代当主が堰の取水口を上流に移し、それに併せて全長410mの隧道を掘ったという。これが現在の赤堰の原型となるだろう。水神を奉ったとされているのもこの頃らしい。
 現在の赤川林道そのものは昭和37 年竣工とされるが、つまり道自体は既に存在していたのだ。林道追認はあくまで「車道開設」なのである。

TouringMapple2012.3版掲載。初登場!林道表記なし。



またも路肩欠損、流失防止のドカシーが張られる。


微妙にうねりながら護岸に沿って林道は行く。



全開だ !! まるで森林鉄道の如き緩い勾配の直線である。


●林道 赤川線
区間総延長:約2.8Km
(全線未舗装、この中に銘板表記の林道延長0.77mも含まれる)
(*市道交差点より林道入口まで/1.2Km
の舗装路部分は含まない。)
概要

 銘板には昭和37年竣工と言う記載しか無いが、終点には水神様を奉ってあり、林道銘板の記載距離から逆算しても、その地点が銅屋林道側の終点の様だが、どうも赤川林道側の終点には少々届かないのが悩みの種である。
 林道としてはここで終了なのだが、管理道路としては、途中に銅屋林道を介して赤川の源流に遡って行く。それに付き添うのが飯坂林道であり、赤川堰がかつて飯坂温泉界隈の飲料水であった事を考えれば、当然の延伸と林道名称と思えるだろう。
 今回は終点からの突入であるが、しばし川下りをしよう。

では、逝ってみよう。
て、長い直線の後・・・・、


ん?ナンだ?
何か立ってるぞ、オイ?。


いきなりコレかい!!


ああ〜〜・・・


墜ちてるぅ〜〜!!!!


深ぁい〜〜・・!!!!。


 銘板表記の林道全長も含め、銘板からほぼ1Kmくらい、ダラダラとした直進だ。正確には微妙にゆらゆらと蛇行してイルのだが?ほぼ直進と言っていいだろう。これは、水神コーナーからすでに堰が始まっており、林道は堰に沿って楕円ながら直進的に作られたからだろう。
 見通しさえ効けば、スロットルは全開であるが、公道でしかもカメラ片手の運転なので手加減を・・・などと思った矢先である。
アブナい危ない。
 先程と同じくバイクを置いて写真撮影、思った以上に水面までの距離と高さが在って驚いた。

 幸い、法面側に道幅が約1m程残り、ニコTは余裕で通過が出来た。その先はほぼ直角のコーナーで、待避所的に道幅が広がり車輛の交換が出来るのだ。
 丁度ここに起点標識が建っていた。先程の銅屋林道の銘板よりさらに一回り小さい奴である。
 ここからおおよそ1Kmちかく赤川堰の護岸を走る。やがて民家前で舗装が終了、護岸から離れ、謎の公園入口が封鎖されたヘアピンコーナーから三度護岸に出るとやはりアチコチで舗装道路の路肩が陥没、崩壊していた。
 ブルーシートだけの危険な所もあったが、総じて市のロードコーンで封鎖されていた。舗装路が堰から距離を取り始める頃、赤川に潤された田園風景に包まれて、登り上がったニコTは市道に合流した。
 舗装が切れてから市道に出る迄の距離は実に2Km、林道の表示距離とほぼ同じであった。

調査日(11/6/5)の状況:
 路面状況は良。国道13号線側に在る林道から穴原・茂庭を経由して茂庭関林道を七ヶ宿の関に出るのによく使う抜け道です。
 ただし、写真の通りこの時点では通行止めです。特に4輪は今後どの程度修復するかに因りますが、当分通行出来ません。二輪は無断?で通行が出来ますが、十分お気をつけ下さい。

追記
 1年後、赤川林道を再訪すると、件の補修工事が始まっていたが、相当岩盤が脆いのか?崩落した道路下の壁に当たる部分が全面コンクリート吹き付け処理となっていて驚いた。
工事看板を読むと、この後崖側に新たに土留めの壁を作り、安定させる様だが、足下が堰であるので、見た目以上に重工事になりそうだ。



その先に林道標識が在る。後日このコーナーに工事現場事務所が出来るとは・・・。


相変わらず護岸沿いを走って行くと、民家が!
と、手前の倒木が!。


民家の手前で舗装路になる。
林道じゃない?ここは私道?。




でも廃公園に行く道はヤル気の無い封鎖と「福島市役所」の名称が!
やっぱり市道なのか?。



工事期限がH24/9月までの工期だ。
しかも図案を見ると重そうなコンクリートの土留めが出来そうだ。
 

調査日の1年後の状況。コンクリートで崩落箇所が固定されている。

調査日(12/7/5)の状況::
 件の工事は終わっているので現在は4輪も通れるハズ?。震災から1年半で復活していると思われます。関係者の通行が増えると予想されますので速度は控えめに。



廃公園前のヘアピンを過ぎると道は登り始める。


でも、相変わらず陥没が多い。


浄水場に向かう緩やかな市道に出る。
その前方には・・・?


飯坂温泉の町並みが見える。
右折して広い道を降りてT字路左で穴原温泉(R399)に到達する。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ション
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)074


話は銅屋林道まで遡る。突然現れたY字路、
矢印が銅屋林道本線、トラロープの簡易規制が
飯坂林道である。


赤川林道の延伸林道。
 飯坂温泉の名士、堀切氏が河川改修、田園開発のために私財を投じて作った灌漑用水のダムである赤川堰。
 
管理用の道として最初に作られた轍がやがて車道林道として改修されたもが赤川林道であると推測する。
 後年に赤川そのものを管理する為に赤川に沿って延伸したと推測されるのが飯坂林道であり、まだ摺上側ダムが計画される前に飲料水の確保を目的に開設された林道と思われる。
 
TouringMapple2005.3版掲載。初登場!林道表記なし。

●林道飯坂線
計測区間:約6.8Km(全線未舗装)

 先に申し述べて置くが、飯坂林道は
片道ピストン林道である。
 赤川の源流部分まで平行に進むが、林道自体は赤川に交差する事無く、高台の平場で終了する林道である。
先の解説に在る理由でオマケとして掲載し、赤川林道の一部として取り扱う次第である。

では逝ってみよう。

と入ってすぐに林道ゲート前で声をあげる。


笹薮にまみえて、標識色々。
ありがちな罠、確認。


昭和49年竣工の飯坂林道。
福島営林署謹製のコンクリート銘板である。


なんじゃこら?

営林署の所行にしちゃ珍しい?。大型のタイヤが滑り止め。
つまり冬場でも林道に入るんだ?


赤川に沿って、地割れ。


 通行止めの入口の手前には大型トラックのタイヤが埋め込まれている。
前に
俎板山(まないたやま)林道の通称B区間で土留めに使われていたのも驚いたが、福島営林署もこんな技をつかうとはね。
と思って気が付いた。
 林道の勾配もさほど急ではないのにこんな大げさとも言える滑り止めを付けるとすれば、大変滑るか大変重い物を出し入れするかだ。
 水源と言う観点から、冬場でも管理の為車が入るのでは無いだろうか?
 ゲート自体は難なく通過し、続いて倒木を潜ると左コーナーの先に地割れがあった、深い。赤川の方に滑っている様だ。高低差こそあれど、林道右下(北側)は赤川の源流である。
比較的長い直線を過ぎると、道は川に向かって降り始める。その右コーナの崖下で崖が崩れて道を塞いでいた。
「こ、コレは・・・?」
路上にこんもりと盛られた土砂は、ざっと高さ1m、幅3m程度の物・・とは言え、4tダンプ1台分程度だろうか?。


源流のせせらぎを耳に、奥へ。
何だか前の壁が白い・・・?。


なんだかとってもヤな予感。


よし、抜けた!


またまたなんじゃ?(爆!
猛烈コンクリート舗装。



道路が軽く埋まる法面落石。


 その先は崩れがなさそうなので、取り敢えず越える。先のコーナー迄10m位在るが、進路クリアーの様だ。
 先のコーナーに見えた所は、かつての土場を思わせる広い所だった。そしてその左手には白い絨毯の様な違和感を感じる道が・・・?
「なんじゃ?コリは?」
 いや、勿論コンクリート舗装なのだが何故こんな所で?初めて来たのは20年近く前だが、こんな所舗装化する林道には見えなかったんだがなぁ。そして、そんな舗装林道もあえなく土砂崩れで通行止めとなるのだった。


調査日(11/6/5)の状況:
 路面状況は良。何の為のピストン林道なのかは憶測だが、取水の為だと思われる。謎のコンクリート舗装が事件解決のヒントだ!。



終了!!!。これ程の道を作る理由は・・・?




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