林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。

 その峰越え林道は、ひっそりと佇んでいた。


キャプこのContentsは、適当に増殖します。ション
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)062


国道6号線まであと11Km。
114号線原釜トンネルと矢具野トンネルの間にその林道はあった、


一見普通の峰越え林道だがいろいろと疑問がある。


開設の昭和54年から在るのであろうか?
すっかり自然に同化した標柱。


昼曽根地区から入ると林道は小さなコーナーを重ねて急速に標高を上げてゆく。


路肩補修工事と一体で工事したのか?
この辺の側溝だけやおら立派だ。

●繋がる南相馬林道行脚。
 林道ラビリンス
「はじまりの迷宮・・」。

 舞台は原町森林鉄道が隆盛を極めた相馬藩御用達の御森
 当初全く予想がなかったが、森林鉄道の跡地である助常新田川冬住林道と、旧八木沢峠から始まる県道12号線の沿線を訪ね歩く内に見付けた林道達である。
 一つ尾根隣にある昼曽根小畑線は、かれこれ10数年前に一度通った事がありその存在は知っていたが、今回走ってみるとなかなか興味深い事柄が浮かんできた。

 正式名称は峰越連絡林道昼曽根小畑線といい、その名の通り国道114号線昼尾根地区と一つ北東に山越えした小畑地区を迂回する林道である。開設年度は昭和54年竣工と言うからこの地区ではかなり若い部類に入るだろう。
 浪江町昼曽根地区が原町森林鉄道の恩恵?の一翼に掛かっていた事に対し、小高町小畑地区は文字通り地区の里山であった。ある意味独自に進化してきた「御山」であると言える。

 小畑地区は森林鉄道期の明治から昭和30年代まで加速的な変化はなく、森林・水源等の資源を活用する里道が現存していたと考えられる。
 林道途中にある金山峠は古くから存在していて、先日の栃窪橲原線支線の様に江戸時代からの里道(抜け道)なのかも知れない。
TouringMapple2008.3版は林道表記。

峰越連絡林道 昼曽根小畑線
区間総延長:8.6Km(未舗装)
概要
 
峰越連絡林道昼曽根小畑線は、その名の通り国道114号線昼尾根地区と一つ北東に山越えした小畑地区に出る林道である。途中に金山峠を持つ。
 現在この地区、正確には県道42号線沿いにある横川、鉄山ダムの東側に当たる部分は「県の森」の指定を受け、保全や遊歩道の管理と言った事業が進んでいる。



「橋だ!」しかし橋の上まで伸びたダブルトラックが、
現在のやや放置気味な管理を反映している。


橋を後ろに林道はさらに登ってゆく。かつての待避所は雑草の天国となりつつあった?。



小さくても「峰越連絡林道」標識は完備。
見えにくいがな。


橋の名は昼曽根橋。流れる沢も昼曽根川(笑。
昭和54年3月竣工というから、この林道工事中の最大の難所だろう。
 



次々と襲いかかる「横断排水溝」100m前後毎にあるジャンピングスポット?。


一応排水設備です。ほぼジャンプ台ですな。
やたら数が多いです。


写真の撮影位置からでは全く解りませんが、
写真左手の糊面にはお墓のような石碑があります。

 紹介するこの林道の一部である小畑地区から八丈石山へのルートもこのお散歩コースに案内されているので、対向車及び歩行者には要注意である。

では、いってみよう。
 天気予報では晴れという事だったが、当日の現場は霧がたちこめる生憎の天候である。
 何故なら朝方と言うこともあってまだ森も暗かったのだ。デジカメは明るさに敏感である。想定時間内での撮影は困難が予想された。
 県道42号線、原浪トンネル出口の東側から林道に入る。国道と林道の分岐にはすっかり草臥れた標柱がある。現路線の竣工が昭和54年と言うからこの辺の林道の中では若い部類だが、標柱は開設時の30年前から建ってるのか?。
 まだ国道が見える内から林道はダブルトラックに変わる急な坂を上り詰めてゆく。案の定森の生い茂る所はまだ暗く、通常撮影でピントを合わせられずにカメラは使えない写真を勝手気ままに量産してゆく。
 ひとしきり枝道が分かれるつづら折れをミスルートに気を配って駆け上がると、一旦道は気が変わったようにゆったりと登るラインに切り替わる。
「あ、橋だ」
 
その理由は新たに設置されたコンクリート橋であった。



実は十字路・・・。
「この林道・・・」


 「昼曽根橋」は開通と同じ昭和54年竣工という銘板が付いていた。橋自体の意匠も会津などの林道でよく見られるタイプの構造と欄干である。
 さらに沢をかわす様に大きなヘアピンで沢を跨ぎ更に登ると、周りの山陰がなくなり、林道は尾根沿いの位置で水平移動に入る。
 間もなくY字路が見えた来た。
「いや、十字路だな?」
 確かに背後には道があり、ここは十字路の様だ。しかしそんな事より、
目の前の林道標柱に釘付けとなる。


「助常(出水)林道」なの?

 一体、助常林道はどれ程の枝道があるのだろうか?
 
MRの知る限り助常(平の沼)林道、助常林道境沢線(仮)。助常林道本線などを確認している。


平成4年度竣工とある助常出水線。
地図では下のダムに出るのだが・・・?。


さらにその先のY字路がある。


八丈石山?ああ、この辺なのね。
車の通った跡があるなと思い行ってみる。



「遊歩道だな?」山頂までの登山道なのだろうな?ここはUターンしよう。
撮影位置は車3台程度が止められるスペースがある。


 八丈石山の入口を過ぎるても道はほぼ標高を変えずに蛇行しながら北東に進んでゆく。間もなく地図にある金山峠なのだが、僅かにアップダウンする尾根筋はなかなか下らない。
コーナーの奥にどうも墓石らしき物を視認、花立てに一輪の手向けが、走り去るTTRの風圧に揺れている。
 あれは原町森林鉄道にもあった友子制度と呼ばれる古いしきたりの墓かもしれない。森林鉄道の一帯、特に馬場林道には林道そばに幾つかのお墓が見られる。
 地図ではこの辺に三叉路があり北西に分岐すると鉄山林道辺りに出る筈なのだが・・・?
「?今のは?」と下りはじめに怪しい分岐がありUターン!


ガードレールに側溝、路側帯、小畑側の方が
必要な物が揃っているよなぁ。


「もしかして!」 イエイエイエイエ、全然違いまスた。
デモ、別な発見が・・・?



記念碑の記載事項は次の通りである。

林道開設事業記念碑
峰越連絡林道 昼曽根小畑線

昭和52年度着工 昭和54年度竣工
延長4,68m 全幅4m

施工者 (株)時田組
     横山建設(株)
     東北工業建設(株)



 しかし残念ながら分岐の先は道が消える。伐採道か?と様子を見た帰りに初めてそれに気が付いた。
「林道開削記念碑?!」
 
こりゃ気づかないわい。いい塩梅に完全に同化してる。やはりここが金山峠らしい。
 取り敢えず下ってゆくが間もなく民家が現れた。小畑地区の最深部、集落限界点である。一軒だけの家の前を相変わらず犬に吠えられつつ抜けるMR。
 この家の道路向かいは小さな溜め池があり、これは地図に載っている。林道は沢に沿って下り始め、その直ぐ先にY字路があった。


Y字路がある。
ゆるやかな右コーナーが昼曽根小畑線、左に入っていくのが「県の森」
吉野沢沼への縦走ルートだ。



放棄された養豚場らしき建物を過ぎると、
民家の屋根が見える。


小畑地区最奥の民家。元気な犬に吠え捲られる。


「これがお目当ての林道カナ?残念ながら間違いだった、いい林道だが。


「これかぁあぁぁ!」
 
喜びも束の間、路傍の案内板を見て一人立ち尽くす。「県の森」案内マップ?ハテ、何のことでしょう?
 ここで初めて、林道の小畑側が何故に整備されているのか?見当が付いた。林道部分も八丈石山まで遊歩道指定なのだ。
 残念ながらそれらしい道はなく、先ほどの犬小屋の奥に続く陰りが気になるMRだった。

 ここまでで既に4Kmを越えている。どうやら記念碑に書かれた4.6Kmはこの辺迄の改修なのだろう。

「取り敢えず終点まで行こう(泣w」
 走り出すと、あの一軒がやたら山の奥にあることが解る。既に沢ではなく金谷川の川沿いに林道を下ってゆくが、相変わらず周りは鬱蒼とした森だ。


コース案内板がある。
ここから遊歩道スカイランの始まりなのだ。


まるで里山と森を分ける境目のようなヘアピンカーブで沢を迂回する。


 林道は山肌に沿って合流する沢をヘアピンでかわしつつ里に下りてゆく。
やがて林道と川は橋で交差するが、何げに下を見ると・・
「あ、橋台・・」
 橋には親柱や銘板はないが、少なくとも記念碑にある昭和54年以前の橋だろう。当然下に見える橋台と木製の橋の残骸は更に古い事だろう。溜め池といい、江戸時代には道があったのではないだろうか?


現行の橋から約1m程下に旧道と橋の残骸があった。
石組みと橋の部品だろう木が見える。

さて、
 山を抜けると突然視界が開ける。そこは砂防ダムが作る広い空間だった。
林道はまさに地図通りの緩やかに左に傾いでゆく直線となった。ついつい非常識な速度が出てしまうMR。
 砂防ダムを越え橋を渡り・・・道は舗装に回復し・・町内に出てしまう。


木漏れ日の中、沢からのマイナスイオンを
浴びて走る。


橋だ!しかしコンクリートは昭和30年代を彷彿とさせる作りと高さだ。
朝日鉱泉の手前の「猿倉橋」と欄干の意匠が似ている。



これ全部・・・
「砂防ダムか?!デケ〜〜第2もものき橋にて。



コーナーでは外側のガードレールの外なんて見ない物なぁ。
見てたら即自爆やがな(爆w。

「あれ?林道標柱ないのかな?」改めて戻ってみると、標柱は路肩の土手から倒れかかっていたのだった。

調査日(09/7/20)の状況:
 路面状況は基本的に良。現在はほぼ部落間の抜け道ですわね。
 八丈石山を境に、林道の路面は二つの顔を見せます。
 昼曽根側は複雑なコーナーと横断側溝が縦横無尽に繰り出される手強い林道。小畑側は尾根づたいのやや荒れから民家以降は高速ルートと約8Kの中に一通り入ってる感じです。
 加えて県の森ルートはピストンながらも林間コース、良い感じでした。

金谷川を再び第1もものき橋で渡る。
ここから舗装路である。


余りに見当たらないので戻ってみると、
「発見しまス
た!!」。
コーナリング中に外は見られんてばさ(爆