廃道日記(Riding・Report)
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2016 万世大路新沢橋再び! |
廃道日記39-2 旧橋日記4 再訪「"新沢橋"」そして「"大路橋"」。 |
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橋の命は、 はかなくて。 それは隧道にも匹敵するゲート。 その沢を渡る事によって ハッキリと季節や気候の違いを、 肌で感じる事が出来る 空間ゲート。 しかし、 隧道に比べて、その命は短い。 隧道も橋梁も、 かつて百年存命を詠った時期が在った。 そのコンクリート技術も、 今では限界の説がある。 一本の峠に、 二つの橋が送る 異なる結末。 |
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向かって右が栗子山隧道明治坑口、左が栗子隧道昭和坑口である。 |
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移設された「警察官殉職慰霊碑」。 未だに年一回、法要が営まれると言う。 新沢橋の山側にある境界杭。 実はこの場所……? |
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「多分工事用仮設橋の橋台跡?」多分ね。 「息災か?新沢橋よ」橋台の手前がさらに大きく 流されてしまっている。在った筈の路盤補強もコンクリートも跡形も無い。 |
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「配筋の露出が多くなっている?」 下流に架設する毎に、水面との距離が倍々で高くなる。。 「ガードレール柱より太くなった木」 欄干が珍しい四角い柱のガードレールなんだよな?昭和30年代の物らしいが?。 「あれれっ?」親柱が崩れているぞ?。 |
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ああっ!反対側もだ!!。 成る程、石を組み上げ、真ん中に 生コンを流し込んで固定したのか! |
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こうしてみると木の根っこで割れてるのかも知れない。 「うわぁ!!これはマズいな」綺麗に見えるが 橋の床面を支える部分は殆どコンクリートが剥げ落ち、鉄筋が露出している。 「痛々しいな…」足下の石は工事用架設橋の橋台の様に見える。 |
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昭和の路盤に比べて、明治時代の路盤は 木の太さがふた周りほど違う。 |
しかし昭和一桁のこの時期、国の財政も決してよろしくは無い、在る意味三島閣下のお力で明治時代は全国レベルで山形・福島は実に恵まれていたとも言える。 |
「支流架橋地点」 新沢の名も無き支流に橋台が残っている。 明治、大正、昭和の始め迄使われた旧道だ。 |
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さらに奥に道が続いている。 大正時代、二代目のコンクリート製の橋台が 在ると言う。 |
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「旧旧道と旧道の三叉路」 手前が明治開通から昭和12年まで使われた旧旧道。奥が新沢橋を擁する旧道。 もっとも橋の袂までは国が、橋から東側は福島県所轄の工事となる区間の境。 |
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前進開始! 落石デカーい!。 当たればひとたまりも無い! |
落石じゃなくて山体崩潰だろう?。 ほぼ頂上からそっくり落ちてる様に見えるが? |
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「無事突破!!」橋の手前が直角コーナーと言う事で、ここは路側帯なのだろう。 いや、車両プールと言った方が正しいかも? 「キタよ!」ああ、道幅が減ってゆくのに薮密度は上がってるぅ。 |
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ますます濃く(酷?)なる薮、 前が見えない。 |
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「死霊の盆踊り攻撃」走る!と言うより避ける? 「行き場を失って」山側に逃げ込む、どっちも激薮だけどね。 |
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今日も盆踊り日和、みんな元気に踊ってるなぁ。 |
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「明治の石垣?」年式不明だがいい感じの石垣の旧国道。 |
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「おお!フェンス薮区間終了か!」。 でも藪密度は高いままだ。 「非常脱出経路、確認!!」 |
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「悪茶轟!待機確認!」脱出は可能だ?。 |
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「最終コーナー?」この薮の塊感はなんなんだよ!。 しかも足下は何げに泥沼だよォ(涙w |
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「キタ!!!!」
「ついに到達!大路橋!!!!」 は?。 「木橋が落ちてる!だと?」。 つーか、半分コンクリートPC橋だと? |
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大賂橋の下を流れる沢。この時期雪解け水がまだ流れている筈だが、既に枯れ沢状態である。。 |
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路肩に境界杭。「九ノ二〇」住所? |
路肩にまた境界杭。「○に山」とある。 |
「片車線のみ木造とは?」 これまでの遺構とはまるで了見が違うぞ。 廃止が昭和41年だから…… 「大路橋、50年振りに車両通過す!」 |
この撮影ポイントが脱出路入口。(非正規) |
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「無事脱出!!」踏み痕がある脱出路、 ガードレールの隙間から復帰。(Photo;2009/3) |
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「GPSで見る」昭和の七曲がり、完全制覇だな!! |
次の廃道も見てみる。
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