かつての林道は沢と共に流されつつ、その痕跡を留めていてくれた。

廃道日記(Riding・Report)





道とは、詰まる所物流の変遷である。

明治維新によって汽車が入り、車に因って街道は道路となる。

地方ともなれば軽便鉄道や森林鉄道が作られ、

やかて林道<市道<県道と名前が塗り替えられてゆく。

直接であれ間接であれ、時代の要請がそうさせる道の移り変わり。

ここも、そんな嵐の生んだ一つの忘れ物である。



今日もそんな道を、TTRが走り抜ける。


ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
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このContentsは、適当に増殖します。
廃道日記(Riding・Report)020
 
プロローグ「サヨナラ夏ノ日」〜会津の峠へのオマージュ〜

 それは、さる試走ツーリングの折に地元の古老から聞いた話である。

 今は息子夫婦が家を新築した脇にある古い物置の様な家は、当時まだその家のおばあさんがたった一人で小さなお店を商っていた。
 二坪程の店内には僅かばかりのジュースとカンズメやインスタントラーメン(カップ麺ではない袋の奴)や洗剤等の生活用品、孫にくれる程度のお菓子類が、売っているというより自分が生活に困らない程度に備蓄しているかの様に置いてある店だった。
 軒先にある相当に古いコカコーラの自動販売機が無ければ、お店とは思えない程である。

 お店の直ぐ目の前にはかつての旧道らしく小さな祠と古く大きい杉の木が起っていて、僅かな木漏れ日がその直ぐ奥にある国道115号線の喧噪を驚く程小さくしていた。
 国道の更に奥、Y字に分岐した細い道が、かつての沼尻鉄道の道床である事を知ったのは10数年も過ぎたつい最近の事である。
 その路地の奥には、下りとなる土湯峠から速度超過した納税者に更なる税金を上乗せする為に、鷹の目で白梅が佇んでいる昼下がりだった。

「何処にいくんね」
「五色か秋元湖の方に・・・」


 お店のおばあさんはひとしきり世間話を一方的にすると、コーラを買った僕に行き先を訪ねて来たのだ。
「汽車があるった頃には温泉から市沢ぁ金堀にゆく道があっただよ、いまも山菜採りには行くがねぇ」
地図を見る僕に、シワくちゃの指が一本の点線を指していた。
「バイクで通れますかねぇ」
「裏のゲンさんは(バイクで)入るねぇ」
ゲンさんて誰?おばあちゃん?
 白梅の鳴らすサイレンが遠ざかると、僕は一礼して店を離れた。バックミラーに見送る老婆の姿が遠ざかってゆく。

 教えられた林道は完全に薮に埋まって、晩夏に突っ込む気にはとてもなれなかった。
 焼けたオイルの匂いにスズメバチが旋回を始め、僕は諦めてXRをレークラインに向けた。270ccに強化されたエンジンは軽々とフロントを持ち上げ、次なる試走コースとなる秋元湖岸林道に突入するのだった。

沼尻林道、それはレークラインが出来る遥か前に刻まれた、
今は廃れた林道である。



今回のルートは
TouringMapple2008.1版に一部掲載(点線表記、部分的に表記なし)。




参考文献一覧

著者、編纂

製作、発行

会津の峠(旧版、上・下刊)

会津史学会

歴史春秋社 1976

新版 会津の峠(上・下刊)

笹川壽夫編/著

歴史春秋社 2006

猪苗代町史

猪苗代町

猪苗代町

懐かしの沼尻軽便鉄道
懐かしの沼尻軽便鉄道
編集委員会編/著
歴史春秋社


 ブロー 1

 春のオフツアーの際に、ちょっとだけSJ30vさんと下見した沼尻林道はその
入口の銘板に昭和11年竣工と記載された戦前の林道である。
 車、特にトラックの民政普及が殆どないこの時代に、現役の車道として作られた林道は少なく、かつ現存運用されているのは珍しいと思われた。

 何故なら現在、福島県下の林道の古株は、かつて森林鉄道として運用され、昭和30年代以降に順次車道化された物が多いからだ。


PHOTO ALBAM

準備にも気合いの入る二人、
この後の寒さも知らずにまあ・・・(哭w。

 例えば、比較的標高が低く高低差が少ない阿武隈山系には福島県だけでも10を越える森林鉄道が存在し、その道床が現在でも林道などに転用され生き残っている場合が多い。
 
 それはつまり逆説的に、
森林鉄道繁栄以前の「生粋の"道路"開削」は大変少ない?という事だろうか。

 かつて沼尻鉱山では精製炉の稼働に大量の薪を必要としていたというレポをリンク先のTUKAさんの所で知り、10数年前の老婆の言葉を思い出したMRは、秋に再訪する企画を立てていた。

はたして、沼尻林道はまだ生きているのだろうか?
そして、
この道は何故ここに存在するのだろうか?

 当日、川桁の7-11には集合場所の主と呼ばれる漢、紅白饅頭氏がすでに待ち受けていた。

「すいません〜今日も事務ですぅ」


沼尻温泉の国道側入口にて。この交差点を誰が十字路と思うだろうか?。

 随分と腰の低い主だな?と思いつつ感謝、ここで確実に一本笑いが取れるネタである。
 遅い朝食を食べ始めると。軽快なエキゾーストとともに熊五郎氏登場!3人
で道路談義に花が咲く。

 車で逝ける所までと、こーはくサンが殿を務めて出発。途中の土取り場跡?を東に眺めて、いよいよかつては通行止めの看板があった地点を通過する。



東側の起点表記は既に読みづらい。


写真右手の空きは採掘場の跡らしい。



春にはもっと草刈りがなされていた分岐点。少なくとも07'秋迄はここに通行止めの標識があった。


「軟弱だな」
 昨日から朝方まで残った雨が路面を泥濘としていた。大量の落葉で路面の泥具合が見えない。












「あ?!」




やっちまった!痛みを堪えて立ち上がる。


 撮影のため左手でカメラを持ち顔の前に移そうとした瞬間、TTRは弾かれた様にリアを左に振る。待ってましたとばかりにカウンター気味にアクセルを廻した瞬間!今度は弾かれるようにリアが降られ、圧雪路の様に滑ってしまう。押さえられない。
 カラダが空を舞い、ハンドルで鳩尾を強打する。
まったく、出足から手痛いボディブローを喰らってしまった。

 ジャングルスウィング 2

「大丈夫ですか!!」
「ああ、大丈夫」
 結局、転倒後も左手はカメラを握りしめていた。ポケットにカメラを仕舞い、バイクを引き起こそうとするが、手足に力が入らない。
 仕舞ったと思ったカメラも、実は収まっておらずに屈むと零れ落ちる。セイフティコードを弄ってしまう指の動きがぎこちない。
 熊五郎さんに手伝って頂いて、あと一歩で場外ホームランだったニコTを路肩から引き起こすと右手に激痛を感じる。

「あらら、大丈夫ですか?」
ジムニーからこーはくさんも引き起こしの応援に出て来た。
「またしても(MRの転倒を)見てしまった(爆」
「すいません、ヘタッピでしてm(_ _;)m」
「いやいや、手ェ大丈夫ですか」
す、鋭い!しかし、冷静に見ればバレバレの仕草だったに違いない。

「滑るね、マジ」
「泥に弱いタイヤなんですよね」
DTに目配せする熊五郎さん。
「ちょっと手間だけど、撮影は停車するから抜いてって」
「分かりました」

 転倒を決して責めない熊五郎さんの笑顔に応援されて、再びバイクに跨がる。小さな尾根を抜けると林道は北斜面から南斜面に配置を換えた。高低差のあるコークスクリュー状の為、北西の風が吹けぬきにくく雪が積もり難い形状なのか?と考えるうち、春に到達した土場に辿り着く。

 熊五郎さんがインクラインの様な急斜面の作業道を往復する間に辺りを見回す。どうやらあの春以降は使われていない様だ。
「じゃあ、気ィつけて」
「お見送りどーもです」
 そして、こーはくさんが帰るのと時を同じくして、霧雨が始まった。

 突入した2台の目前には脛程の高さの浅い笹薮につつまれて熟成した戦前の道路跡が広がっていた。

いや、その表現には語弊がある。

 現実には”狭まっていた”と表現すべきだろう。
 そして現実は厳しく、林道は僅か600m程で路盤崩落という結末を迎えていた。崩落から先を歩くと、あちこち流されているものの、道床自体は鮮明に残っている。

「反対側から来てみますか?」
「そうですね、これはちょっと悔しいですね」
 
反対側からここまで来れれば、無理繰理でも突破する勢いの二人だった。
 早速レークラインから反対側の秋元湖畔にある市沢の部落から突入する。

谷側の路肩は実に不安な路盤。


土場は左に、道は前に。


植林境界をDT200WR改が駆け上がる、流石だ。


撮影しつつ、前進再開。


霧雨の中、果敢にアタックを開始する。


好い塩梅に廃れているナ。


しかし、600m程で突然・・・道が無かった。
写真手前で路盤は沢同然で崩れていた。


「仕切り直し! ゴー!!!!」
西側の市沢部落から、改めて駆け上がってゆく・・・。



 こちらの林道表記は昭和11年から12年と開削期間が表示される。


西の市沢部落にある沼尻林道終点表示板。
総延長が6.1512mとある。しかし実際には・・・

 入って1Km程で十字路、右(南西)中央(西)左(北東)の順に、熊五郎さんが先頭で林道にトツゲキする。右は約1.2Km程で二つの土場を介して終了、続いて本命の中央に分け入る。


沢沿いに道は東に。


T字路?北に分岐?



T字路?東の本線ってば、この正面藪道?マジですか・・・



振り返ると今来た市沢部落(西側入口)の道と上に登る分岐・・・。実は十字路かい?!

 真っ直ぐに伸び上がる一本の林道が、実際に路上を見る迄には大分薮を請いで走るが、TTRは突然目に見えぬ V字構にタイヤを取られつつ進む。
「道だ・・・」
ようやく顔を出した林道の路面はすでにその表情を泥濘に変え、先頭の熊五郎さんを絡めとる。


はたして繋がっているのだろうか?。

そんな「ほぼ廃林道」の沼尻林道ではあるが、時折不鮮明になるものの、明らかにダブルトラックの残る地形が在り、また浅い切り通し等が現存していた。嵐の様な荒れの後に、凪の様に静かに佇む道床が繰り返される。

 切り通しに投げ捨てられた輪切りの間伐材やスイングアームに掛かる泥沼を越えてゆく。
 右に左に、スウィングと言うよりシャッフルという方が正しいだろうか?激しく揺さぶられる。

 そして、セオリー通りに沢が近寄って来た。


猛烈な藪。
夏は絶対に来ない所だ。


猛悪な泥。
でも、顔は笑っている。
「コイツめ〜!」。


嵐の間の凪のようだ。


はたして繋がっているのだろうか?。


「鬼だな」悪辣な藪。ベトコンの罠か?ここは?


「何処かで沢越えして、北西から西に転換するハヅだが・・・?」
 先行する熊五郎さんの足が・・・止まった。
 彼は、おもむろに単車から降りるとザクザクと野原の様な道床を歩いてゆく。凍える様な霧雨に打たれ、それ故に美しく瑞々しい野草達が今年最後の緑の楽園を繋ぎ止めていた。
 その先には・・・
沢に寸断され、確実に通行不能の沼尻林道があった。


撮っている間にへたり込むTTR。
熊五郎さんナイス。


「おおっ!」青空に向かって延びる一本の道は、途中の沢で容赦なく寸断されていた!。


沼尻林道、終了。




グワッシ!?! 見事ハマったニコT。笑い転げる二人・・。


 2000tonノ雨

 十字路の分岐点、結局のところは、直進が正解で沼尻林道本線と思われた。
 十字路左の道は軽く山越えすると、秋元湖に流れ込む小倉川とおぼしき川縁で寸断されていた。熊五郎さんのブログを参照すると分かるが、川を越えた先にも点線の道がある筈だが対岸からは確認出来ない。
「残念でしたね」
「予定通り、金堀から秋元湖岸林道経由で”(仮)支線中津川線”
に出ましょう。

 市沢の部落に出るとドス黒い雨雲とともに雨は本降りとなった。大倉川大橋の上は単車の直進が出来ない程の猛烈な風雨だ。
 あわてて、金堀部落の手前にあるレストハウス跡で休憩雨宿りする。しかし、天候の回復は難しいとの判断で、取り敢えず林道経由でレークラインの中津川レストハウスに行く事とした。

 雨に煙る金堀の部落をゆっくり抜けると沢沿いの直線でスロットルを開けてゆく。ゲートを越え、林間コースをウネウネと駆けてゆく。
この時既に打撲した右手の甲はパンパンに晴れ上がり、左右で明らかに湯気の上がりが違う程に熱を帯びていた。
 金堀の由来となる沢を越えて林道がくの字に方向を南西に返ると道は中津川渓谷に向けての下りに転じる。林道を横断する水路代わりの轍をジャンピングスポット宜しく跳ねると、着地の衝撃とともに右手に激痛が走る。


通行止めの標識が立つ。
写真奥が問題の支線。


林間セクションを抜ける。


雨がまた強くなってゆく。



「ここで道が判別不能に・・・」。造林をぬって林道は標高を上げる。


「畜生!ツーリングらしくなってきたゼ!」

 痩せ我慢も甚だしい話だ。
 仕事中なら帰るに違いない。相変わらすの通行止め看板を横目に通り、中津川を越えて手掘り隧道を抜けてゆく。
 秋元湖の出口には相変わらずの"バイクゲージ”コンクリート止め。ところが先頭の熊五郎さんのDTはステップを軽く摺った程度で中央突破してしまう。
逝けるのか?
「ならばオレも!」
「グワッシ!」無論まことちゃんでは無い(爆
4StでクランクのデカいTTRは見事にハマって動けない。笑いながら熊五郎さんと二人掛かりでTTRを引き抜く。
すぐ広場である。ここから
北に一本の林道が分岐している。

 今の所確証はないが、MRが
中津川大橋架橋の際の工事道路ではないかと思っている林道である。

 09'春ツアーに一度通って生存(蘇生?)が確認された林道で、本日は撮影も兼ねて回るが春より倒木が増えて手強い感じ、しかも雨とあって滑るスベる。
 入試前の学生には絶対来て欲しくない路面状況だ。
案の定、倒木が越えられずにコースアウトしたニコTは杉林を抜け、再度林道に戻る(笑w
 


プランター?


「あ、あった」
日向はプランター、日陰は林道。


熊五郎さん2周目?。


これはこれで美しい・・「アーチ残存?」春に比べると実に広々している。
V字構が埋まっているがな(爆


 先行した熊五郎さんが早くも往復して迎えに来てくれる。その速さはおぉじぃさんと同等だ。
きっとザクとは違うのだろう(爆


シャッタースピード以上に素早く逃げる熊五郎さん。

春に潜った倒木も健在?で、ただその下のV字構は雨と落葉で中々に手強い。
 大きく尻を振りながら脱出。後方から撮影していた熊五郎さんを従え無事脱出し、激しくなってきた雨を避けるべくレークラインの中津川レストハウスに滑り込む。
 東屋で凍えるアウターを脱いでいるとお店の方に誘われ、早めの昼食とする。流石にこの雨はモチベを維持出来ない。
 ストーブの側で心も体も温まる思いで、昼食となる。


5m規格のハズだが
1車線に自主規制中らしい。


見えた!
レークラインだな。




10%を越える傾斜角で反転するレークライン。
ガードレールの隙間を埋めるかの様にゲートが存在するが、気が付く人はまず居ない。


 いつか晴れた日に。

 食事が済んでも雨がやむ気配はなかった。

 そこで、熊五郎さんに今後の活動方針などを聞いて頂いた。
 それは、著「会津の峠」に従って、現在通行が可能なルートを訪ねてみようというものだ。
 この本に因れば江戸・明治・大正・昭和初期にかけて会津には114を数える峠が在り、うち3割が幹線道路として現存している。登山道も3割近い路線、そして残りの路線は廃道となり、通行不能とされている。
だが、実際には営林活動の過程で林道として再開通したり、今も部落道として細々と現存している物もあるのだ。
 結局1時間以上レストハウスで休んだ後、実際に近くの峠に逝ってみようと言う事に成った。

                  つづく。
●沼尻林道線
区間総延長:6.1512Km(起点表示板による)
      東区間/約1.1Km 西区間/約1.8Km
      全線未舗装/
路盤損壊により通行不能。

ショートながら復活した?
極上の廃林道だ。


ソースカツ丼で腹ごしらえ。
あったかウマい。

調査日:09.11.の状況:
 路面状態は完全廃道につき路盤不良。(爆  バッキバキの廃道です。
 東(沼尻起点側)区間は08'~09'春頃に森林管理の為に営林所が林道を整備しました。しかし、整備した先600mで路盤崩落につき通過不能です。
 西(市沢部落)区間は林道内の十字路から先の本線にて、激薮及び泥濘と法面崩落が交互にやって来ます。特に掘り割りに間伐材が捨てられている区間は凶悪です。
 単独での走行は生命の危機に繋がります。ここを見るだけにして、現地では大人しくスルーしましょう。