ご使用上の注意!

このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。

走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。

また、
掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も当方は
保証致しません。





コロナ渦の「2020の夏休み」
ふりだしに戻る。



 プロローグ
 
 コロナ禍の、その先へ。
1

 
世紀を跨ぐ世界は災難が多い傾向があるとされるが、自分が生きている間に大震災、経済危機、世界的疫病と凡そ学校で学ぶ人類の災害?が経験できるとは思いもよらぬ事であり、アフターコロナなる生活様式が生まれるなどとは、正に青天の霹靂と言う他ない。
 自分の人生が終わるまでに戦争だけは経験したくないと思い返せば、今でも受験戦争や就職戦争、挙句に交通戦争の真っ只中で生きている自分に気づく。

 そんなご時世でも、喩え世界が腐海に呑み込まれようとも、
旅はヤメられない。
 日本の何処かに私を待っている道がある、だから走らずには居られない。日本は四季の豊かな国だから、同じ場所でも違う季節に行ってみたい。
 
そして今日もツーリングセローのセルを回す。



取り敢えず積載した!ジパツー企画「ザ・過積載」を彷佛させる。

 思いのままに風任せに 1

 
3年ほど前に断念した「真昼山林道」に行きたいと地図を見て思い立った。GWに随分久し振りに十和田湖に行こうかと思ったがコロナ禍で外出を控え、この7月の4連休にと考えたが、天気がそいつも赦さない。
 だから前半2日で行ける所で、先の計画の帰りに立ち寄ろうと考えたいくつかのルートで最も古い記憶の林道と考え、前回も立ち寄りを断念したこの林道を三度思い出したのだ。
「どんな道だっけ?」
何だか全く思い出せない。

 林道の出入り口や道の具合、そもそも何に乗って行った?92/DT125R?92/XLR250Baja?峠の感じを思い出そうとしても何故か猪苗代の「御霊柩峠」を思い出してしまう。
 恐らく初通過は昭和、30年以上昔だ。そうか平成には一度も行かない林道だよな。
 聖書を見ると、まだロングダートが残って居そうだ。

 当日、モノロックケースE43NTL-ADVを装備し、さらに夜逃げ感が増幅された愛機ローストセロー君、
これ林道で転倒したら持ち上げられない感もさらに強まっているぞ。
 
まあいい「要は転ばなきゃいいんだ」(手段の為に目的を忘れるタイプ>俺?

 目的の林道である真昼山は、岩手と秋田の県境を抜ける国道107号線に平行する嶺越え林道である。
 正確には国道107号線は少しずつ西南西に横手へ、林道は西北西に六郷に距離を広げてゆくのだ。
 と、その前に錦秋湖の本体である
湯田ダムのダムカードを頂いて行こう。

 時間が惜しいので東北道に乗って北上を開始する。
 勇ましく行きたい所だがフルペイだしリアスプロケを落として加速重視にしてる分最高速が抑制されているので100km/hという比較的低速で進んでゆく。
 新調したフロントのDRCバネはノーマルより挙動変化を柔軟に受け止めつつ、ここぞという車線変更にクイックかつリニアに反応してゆく。


旅先Photo !

さらに夜逃げ感が増幅したな、
林道で転倒したら
持ち上げられない感タップリ


奥州市、名前だけはかっこいいな。


Nシステム増えたなぁ、
いずれ中国化するのだろうか?


「またやってしまった」ステンレス製のタンクローリーは罪だ。



「湯田ダム」到着!
(東北唯一の重力式アーチダム)

 
 9時ごろ、東北道前沢SAで朝食を摂る。SAは普段の連休ほどの混雑ではないがそれでも平日よりは人が多い感じがする。
 まあアフターコロナの終わりかどうかも判らないからあまり人の多いところは避けるべきだろうと、早々にSAを後にする。
 北上JCTから秋田道に入り北上西インターを降りて国道107号線に躍り出る。
 給油の後国道をさらに西進する!
 岩沢の部落を過ぎると国道の風景が田園地帯から険しい谷へと変わってゆく。
 山道らしい蛇行と徐々に強まる登り坂、最初の目的地は近い。

 始まったスノーシェッドの途中、左に開口する道路に
湯田ダム管理事務所のサインを確認し左折。
暗く閉ざされた世界から光溢れる巨大な重力式アーチダムの基部が見え隠れする。
 このダムは日本の最も古い治水整備事業である
大正15年(昭和1年)当時の内務省が策定した「河水統制計画」を原本とした昭和13年の「北上川上流改修計画」によって作られた「北上川五大ダム」の一つである。


 意外ではない影響。 3



デカイ。塙高89.5mは伊達じゃない。


「弓なりに堰留める」
塙総延長は265m、おおぉ戦艦大和(263m)とほぼ同じ大きさか。


対岸のあれが現在の北上線の旧線である大荒沢の
コンクリート製スノーシェッド跡だ。

その先には……
「本内隧道跡だ。
 
 国内に12基しかない
東北唯一の重力式アーチダムでもある。(mikiより)
 まあ実際に工事に入ったのは戦後だけどね。
「確かに美しい曲線だねぇ」
 駐車場でとりあえず写真を撮って眺めて、事務所に目をやると・・・
ガーン!
「コロナウィルス感染防止の為ダムカードの配布を当面中止致します」と窓に張り紙!
「マイガー!」


大正10年に「東横黒線」として開削され、
昭和37年の湯田ダム本体工事と同時に廃線区間となった。
廃線区間内にある3つの隧道の一つ。



 検索するとこの2日でアタリをつけて居たダムは全て同じ措置が取られている事が判明。
矢張り県外からの来客が不安視されているのだろう
(この時点では岩手県は感染者無し)
 
仕方ない、ちょっと廃線眺めて林道行くか、と気を取り直してダム管理事務所を後にし、国道107から先にあるカヌー乗り場に向かう。
 黒いカムリの同業者以外誰も居ない(笑 広い駐車場で対岸を眺めると、
おお、私にも見えるぞ!
 
対岸に北上線の廃隧道と続くコンクリート製の雪覆が。



なんじゃこりゃ?。
「湯本温泉→」て、何処?。
 大正10年に「東横黒線」として開業し、ダム本体の工事が始まる昭和37年まで使われた路線で、現在の北上線の旧線である。
 雨季の割に水位が低いせいだろうが確かに夏場の渇水期に水位が長期に下がれば歩いて行けそうな感じだ。
「行かないけど」
 まあ何と言うか、森の中にある現役時代を感じさせる廃線とか美しいと思うが、水に沈んだ所は無理に行きたいと思わないな?対岸から眺めるだけで満足である。
 
バイクで入れる訳でもないし(其処が基準か>俺)



「林道入口には見えん!!」湯本温泉て?地図にもねえぞ。



左草温泉は在るんだけど湯本温泉はねえぞ?。
秋田県側にもとーぜん無い。


「ここか・・・な?」。
「どこだよ?」
この辺に菅総理じゃなくて萱峠林道
あるハズなんだが?


 撮影と給水をして改めて真昼山方面に向かう。
 
しかしここで進路転進!カソリ氏オススメの萱(かや)峠林道に向かう。
 
真昼山のほぼ南にある萱峠は古くからの縦走登山路でもあり、同じ北上川水系の分水嶺だ。秋田側に出られれば真昼山林道と同じ六郷に出るので周回路になるだろう。
 
勿論初めての林道だ。
 県道1号線に直進せずに国道107号を西進、隣の落合の市道から北西に進路を変え、林道入り口となる左草部落に向かう。

 部落内の路地で迷ったが、ようやく林道の入り口を見つけて入ってゆくと橋を渡った先おコーナー状の三叉路の先で
いきなり出くわす
「通行止」看板。
「うわ、ダメか!」
 三叉路にバイクを止め歩いて林道に向かうと、ほぼプランター化した道に大きな女郎蜘蛛の巣がいくつも林道に張られている。それ程広くない道幅で急に登りになっている為か路盤は流水の跡が残っている。
 
最近通過がいないどころか、昨年または一昨年には既に通行止めの雰囲気だな?これは。




「キタコレ!!!」最近ネットに上がって無いのは通行止めだからか。

岩手県道1号線、青看で「真昼山温泉」

 最近確認すると2018年7月辺りにツーセロで通った動画がネットに掲載されていたが、その後はなさそうだ。
 ちなみにこの時既に岩手側は大規模な路肩崩落で通行止の看板が設置されていた。

 時計は間もなく12時だ。萱峠林道は諦め、近道から真昼山林道に向かう。

 こちらは袂にある
「真昼山温泉」の看板が苦もなく誘導してくれたが、林道基点が判らない。



そしてこれが真昼山温泉」ここまで普通の市道だよな?


現在位置。ここに支線分岐。
標高376mの尾根末端を大きく迂回してゆく

その大きなカーブからダートだ。


 温泉を過ぎた所で完全に舗装林道になってしまったのだ。
「さすがに風呂に浸る時間は無いか?」まあ明日でもいいか?
 
 >デジャブ 3

 さて、困ってしまった。
この林道の起点が見つからない。真昼山温泉からメーター読み700mのところで岩手県北上地方振興局農林部扱いの支線林道「下の沢線」の看板と分岐路が現れる。
 
ここでGPSをセット、本線を駆け上がってゆくといよいよ道がダートになる。
  この本線が付き従うのが北上水系の本内川、ログを取り始めた辺りから大きく方向を西から北に変え、本線を誘導してゆく。
 辺りは木漏れ日溢れる原生林と杉の植林が交互に現れる。



真昼山林道下の沢線 起点。下の沢線は入って直ぐにダート。


「本線はそのまま舗装直進」
ほう、その仕様は作業道か。


進路が尾根端伝いに西から北に変わると、
道は砂利になる。



ガッツリ転圧されて、まるで舗装路の様な
優良ダート?


 
 すると路肩に伐採工事の看板と泥濘んだ轍が、ダブルタイヤの大型車の通行を啓示している。
 やがて
伐採現場に入り込んだが、時間が丁度お昼ご飯のお時間というコトで、休みの間に現場をなあなあに通して貰える。
 軽く会釈をすると食事中のオッチャンがにこやかに手を挙げていた。
 最後に反対側は仮設のチェーン封鎖と看板で伐採区間が終了する。

 深かった谷も殆ど林道と変わらない高度となり、林道から美しい渓流を眺めながら木漏れ日を走るまさに絵に描いたような情景を堪能する。
 リアタイヤ交換して来て本当に良かった(笑


「あ……」




「おお、伐採作業中だよ!」


「通って良いよ(笑お昼時が幸いして通してもらう。
昭和42年11月竣功、葦毛橋。



立入禁止ではない、立入り注意とある。

「吊り橋?!」
 恐らく先ほどの営林関係者が対岸の伐採地への確認出入りのために渡した吊り橋だろう、渡されて左程時間経過のない新しい橋だ。
 これは渉るしかない!



簡単な封鎖、しかも片側のみとは。


「あ、吊り橋発見!」

架け立て?吊りたて?の吊り橋。




これは「吊り橋」とは言えないな。
丸太に繋がっているが、あくまで手すり代わりの
ワイヤーという感じだ。
一本の丸太に足場板を打ち付け、
上流側のみにワイヤーを張っている…………?

「単なる丸太橋じゃん!」



と思い立ち林道にセローを駐車させると、足元に注意しながら沢に降りてゆく。林道から水面までおおよそ3m、橋は道から1mほど降りた頑強そうな岩と木にガッチリと固定されている、張られた10ミリ程のワイヤーを掴むとグローブにうっすらと油が滲む程に新しい。
 10m程の川幅を1分ぐらいで渡る、引き返す。
「いいねえ、新しい丸太橋」
 軽く好奇心を満足させて再びセローで走り出す!
 北に向かってるという事は真昼山は進行方向左手の川向こう側だ、と思ったらGPSはその南側に並ぶ女神山との中間辺りだった。




「景色がいい林道は爽やか」


 やがて大きな看板とともに三叉路が現れる、看板は周辺にある名瀑の案内看板だった。
 西和賀町真昼山系滝巡りガイドマップと題された大型看板には12の滝が案内されているが勿論林道から森へ分け入って行かねばならない。
 
少し歩けば見られるものから、本格的な沢登り装備でパーティーを組まなければ危険なものまで豊富?に揃っている様だが、足元がエンデューロブーツのMRではどれも無理だろう。


コンクリート製の側溝が横断する。
その仕様から古くから在る林道と判断できる。


「どうやら滝の三叉路だ」

「全部で12瀑布」三叉路を左にゆけば、難易度の高い銘瀑布が待っている。MRは本線(右)直進だがな。


 と、地元の森林組合関係者らしい軽トラのおじさんから声をかけられる。
 軽く会釈すると同時に
林道の完抜けが確認された瞬間だ、GPSからはルートのまだ4割程度なのだが。
 写真を撮って三度出発、ここから源流も二手に分かれ、左の真昼本沢ではなく軽トラが下ってきた右の小松倉沢を登ってゆく。
 林道はこの沢の本当に湧水点近くで栗田艦隊レイテ湾謎の180度ターンを敢行して対岸の山脈に取り付き再び西に転進するのだ。


「さっきの三叉路で全体の4割くらい?」通行量があるせいか?超フラット。


さらに登る、登る。

「県道1号線沿いを一望」こんな見晴らし良かったっけ?。

あの鞍部が峠か?



「峠に到着」駐車代数は10台くらいか…

峠の南側、萱峠に向かう登山道を少し登って撮影。

「全長400km」まさに東北のキール、屋台骨。


 程なく高原のようななだらかな地形で周囲が開けると、見上げれば林道の鞍部が、見下ろせば岩手県道1号線沿いの前郷や猿橋辺りの町並みを一望する。
「こんな林道だったんだ!」改めて感動する。
そしてやっと峠に到着!
 
真昼峠?とは言わないがここが秋田県と岩手県の県境であり、その県境に沿って南北に縦走登山路があるのだ。


奥羽山脈の尾根沿いの高山植生を保護する為
のグリーンベルト。


登ったり降りたり……
余り標高を変えずに走ってゆく。


まさに岩手/秋田の県境に居る。



「南側、真昼岳及び萱峠方向を望む」
写真左が岩手、右が秋田。

まあ。ちょっと単調かな?と思うけど悪くない秋田県側の下り。


 改めて下界を見下ろす。
 ご多聞に洩れず無線マニアがアンテナを立てて無線局を開設している。
「ああ、何だか解った気がする」そう、思い出した。
 あの時代、ここは猪苗代の霊御棺峠に雰囲気がよく似ていたのだ。
初めて来た昭和の頃、ここにも霊御棺峠と同じように登山路をバイクで登っているライダーがいたのだ。
 北側も南側も見える山頂までバイクで登る地元ライダー達。
「今はもう出来ないだろうなぁ」


流石由緒正しい基幹林道、
ヘアピンに見晴台。



「何も見えん(曝!」設置から20年も経てばねぇ(笑w



森の中を走る。
飛ばせる路面にスピードも乗る。



だんだん傾斜が付き始める。


 若く過激な時代は過ぎ去り、思い出だけが熱く残っている峠だった。
 当然のように今は登山口にブロックタイヤの跡はない。
 一通り撮影を済ませるとMRは愛機とともに峠を後にした。
 
 >温泉付き
 シングルキャンプ
4

 峠を抜けたところで全体の6割を消化して時計は2時を指していた。

 全力で駆け抜ければ1時間で走れそうな嶺越え林道も、写真を撮ったり吊り橋を渡ったりと遊んでいては、ちっとも進まない。
 秋田県側はこれでもかという程のヘアピン攻勢でそこそこに道も荒れていたが楽しく通過する。
 大股沢の源流に到達すると林道は掌を返すように穏やかな直線路となって沢と仲良く六郷に向かって西進してゆく。最後は超フラットで速度も上がる。
 やがて放牧地のような草原の真ん中で舗装路と交差して唐突に真昼山林道は終了した。


沢に向かって下り始めると。傾斜に拍車がかかる。



そして常軌を逸した傾斜角に…(爆w
浮き砂利のコーナーにグレイチングは反則だな。


流石水源地、沢が多い。 昭和四十六年十月竣功「北ノ又沢橋」。


綺麗に並んだ造林。 人間の育てる山も綺麗だ。


「内ノ又橋」竣功年不明。親柱ごと沢に転落していた。確認不能


最後の直線

 終点で写真を撮っていると地元のおじさんに山越えして来たの?と声を掛けられしばし歓談する。
 笑顔で別れ、近くの浄水場の木陰でコンクリートのタタキに腰を下ろして聖書を睨む。
「ここかな?温泉付きキャンプ場」


「あったか山」という施設に妙な親近感があるので行ってみる事にする。時計は2時半、カーナビでは20分くらいだ。
「3時には荷物を下ろせるか?」ちょっと早いがいい時間だ。
 1時間あれば田沢湖畔まで出れるだろうが、今日は十分堪能した。
 それに距離もいいが明日の夕方は福島も雨っぽいので早めに帰還と考えればこの辺が妥当だ。
 だが実際に到着して受付に尋ねると、この温泉保養施設はロッジのみの宿泊でキャンプ場自体は無いとの事だった。



「到達!!!」うん、この絵図は覚えている。  



「やっと到着」千畑温泉サンアール付属仏ヶ池キャンプ場。


申請すれば無料で使える。
千畑温泉の施設を使わなくても泊れます。


 何でカタカナの名前なのか解らんが、時間的余裕がなくなって来たので来た道を戻ると、え?キャンプ場なんか無いじゃん!温泉スポーツ施設か?プールとか道路を挟んだ向かいはテニスコートとか?
本日2回目なので恐る恐る受付で聞いてみる。
 もう一箇所の千畑温泉「サン・アール」という温泉施設に行ってみる。
「はい、手前にある池のほとりの道路向かいにグラウンドと併設されております」



「早く来て正解か中々好い場所に着けたな。


ちゃんとキャンプサイトが盛り上がっている。
奥に在る間伐材は焚火に使って良いとの事だが、
場内は直火禁止である。



「一泊一名バイク1台お願いできますか?」
「はい、大丈夫です」何故か誓約書(申込書でもある)にサインと注意書きを渡される。
という訳で無事キャンプサイトをゲットだぜ!
 六郷村営のこの施設は温泉施設が有料だがキャンプ場は無料、トイレも洗い場もある丘の上の森の中という風情だ。
 来た道からだと殆ど見えないが、千畑温泉から戻ると成る程キャンプ場がある。

 え?この設備でタダなの?しかも3時半だというのに誰もいない。
とか言って、荷物を降ろす前に家族連れが現れた(笑
 二つある洗い場の手前入口側にある洗い場に一番近いテントサイトに陣取ってテントを立て、荷物を幕下に収納すると、温泉セットを積み直して近くのスーパーに夕飯の買い出しにゆくのであった。



「やっぱ焚火だよ」

六郷の夜は更けてゆく。





 
  
次回予告。
 満載のツーリングセローは
前日通行止めだった萱峠に秋田側から再挑戦。
 はたしてその結果は……?
後半戦やいかに。


         
つづく