ご使用上の注意!

このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。

走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて
無断で補正しています。

また、
掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容による
いかなる被害も当方は
保証致しません。











 プロローグ「雨」 1

 
大和インターを通過した先は、遂に路面がほぼウェットという状態に成った。
 MRは基本雨天にバイクには乗らない、故に雨具を保たない。まあ今時の3シーズンジャケットは防水機能に優れ、ちょっとの雨はビクともしないからだ。
 それに対して下半身は、今回も林道がメインではないのでキャンプしやすいようにGパンにトレッキングシューズという足回り、当然この雨ではたちまち濡れてしまう。
 三本木の手前のファミマで雨宿り
がてら休憩しようと、雨雲レーダーを移推を見ながら水溜りを避けて進んで行く。コンビニで暖かいコーヒーを頬張りつつ地図で検索すると、目の前とも言える距離に日帰り温泉があるではないか?
 落雷の破裂音と空気振動がまず直ぐには止まない強烈な夕立の様相を呈していた。



旅先Photo !

この日のトップは国見のさる旧道標識。

ああ、ついに地に落ちたか。




もう既に判読不能。
地に落ちてから2年くらいか?もっとか?



「まだ9時過ぎ、こりゃ朝風呂決定だな」
 真っ暗な雨雲を眺めつつ、あと3分間だけ雨の中を走って、雨が止むまで風呂に居る事を即決すると、MRは直ぐに用意を整え走り出した。
「こんな大雨なのに温泉の名前はひまわり温泉かよ」まぁ「おまわり」よりはいいか?と気を取り直し温泉に滑り込むロースト君であった。
 
 ひまわり温泉に没する。 2

 時計は9時半、ひまわり温泉「花おりの湯」はなかなかに人気があるらしく、連休中の農作業の合間を見て来たじいさんやゆったりと定年後の生活を温泉巡りで過ごす老夫婦などで既に10人程の列が出来ていた。
 MRが入場券600円を買う前に、係の人が整理券を渡して行くとMRには4番の札が配られる。雨で逃げ込んだのにな、などと思いつつ開館を待つ。
 壁に張り出されたポスターで今日の演し物が判る。成る程人気があるんだな、と思い立つ。外はまさにバケツをひっくり返した様な雷雨だ。
屋根下にローストセロー君を置けたのは非常にラッキーだったな、これは。
 10時のオープン時には30人程の行列で、皆さん早速大休憩室に場所取りに行ってました。MRは人波に逆行して温泉へ。



あ・ま・や・ど・り。
ちょっと休もうぜ、相棒。
人が多すぎて、浴室の写真は無いのだ。
 HPには「完全源泉掛け流し」などと書いて在り、実際に弱アルカリの美人の湯であった。
 
内風呂もそこそこ大きく、圧巻なのは露天風呂の箱庭感だ。まるで何処かの温泉旅館のような庭園露天風呂なのである。
 
そして、当然の様に雨の中露天風呂に浸かって・・ね、眠い。
 こんな土砂降りの露天でも眠いのかよ<俺。
こ、これはイカン!意識の有る内に風呂から脱出せねば・・。
 しかし脱出直後、MRは乾き切っていないGパンとともに大休憩室の片隅で深い眠りに付いてしまうのだった。

「イカン、このままではリンちゃんになってしまふぅ〜」(夢の中で叫ぶ>俺)



券売機で券を買う前に渡される整理券。
何で俺はこんなの持って並んでるのだろう?
 うなされる様に起きると時計は丁度12時、窓の外は雷雨も止んで青空が広がる。
 
人気の演芸が始まる前に、MRはバイクに再び荷物を載せて、まだ少し乾かないGパンに未練を残しつつ、向日葵温泉を後にした。

 我ながら巧い換し方だとは思ったが、それでも2時間の停滞は行程的に苦しい。勿論目的地は在ってもねぐらは持ち歩いているので、まあ余り心配はしていないのではあるが。
 ロースト君は鳴瀬川の川岸を抜ける宮城県道152号を一路流れに沿って東に進んだ。




「晴れた!!!」さあ、出発だ(笑w


「気仙沼線だ!」

「廃線なのか?」閉鎖されているぞ……!


「トンネル名」が見えない……


銘板に藻が着いてるよ。
暫く海水に浸かってたのかよ?このトンネル?


軌道床のバラストが流されている……


これは「ふみきり」か……?

 県道はまるでアミダくじの様に他の県道と交差しながら目紛しく鳴瀬川の南岸と北岸を渡り歩く。
 涌谷町で県道61号に乗り換え、今度は旧北上川と気仙沼線に伴われて柳津町を通り抜けると国道45号線に接続する。そのままさらに東を求めて走ると陸前戸倉から
ようやく目前に恋い焦がれた太平洋を見る。
 国道に入ってから流石にバイクが多いがピースを求められるのは1割程度だ。
 志津川湾をぐるりと時計回りに国道45号を進んで行く。その方向は海に出てから北へと変わって行った。
「知らない道だ」
 これまで何度も通った国道45号線だが、震災後の風景はまるで別世界の知らない道と知らない町に変わっていた。勿論何度もニュースで見ていたし動画で見ていたのだが、やはり何処か上の空でいたらしい。
 鈍感なのでやはり自分の脚で来ないと実感が湧かないのだろうか?加えて中途半端に無料化された三陸道が混乱に輪をかけていた。
「ここは何処だ?どこなんだ」



恐るおそる…中を覗いてみる?。


「枕木も線路も健在!!!」
津波でPC枕木ごと浮き上がったか?。


ターンして北方向へ……
その先にも隧道がある。

 海へ急げ!。 3

 海添いの町何処もは表現の下手なライトノベルの風景の様な殺風景なコンクリート城壁とやたらダダっ広い造成放置の赤土が砂塵を巻いていた。勿論町も見えるのだがまるで知らない未知の町だ。
 その高速のインター前の信号機に捕まる。
自然と右手の下に見える海岸線を眺めるとメガテンになる。


「軌道床は流失していた」
九多丸隧道南抗口から南を振り向く。




実はけっこう奥まっては居る。

「隧道だ!隧道がある」
 
ハザードを上げて車列から離れ路肩にロースト君を寄せると、バイクを降りてもう一度確認する。
間違いない、トンネルと言うより矢張り隧道と呼べる古さと断面だ。考えられるのは・・・と地図に目を凝らす。
「気仙沼線だ」
 
幸い?下に降りる道があるので行ってみよう!ていうか隧道があるのに路盤が無い!
 よく見るといまMRが横断しようとしている足下の国道45号も単に高速の入口と言うだけではない大規模な改修工事が見て取れる。
「ここも津波に呑まれたのか?」ざっくり海岸線から距離にして50m、高さにして20m近い。
 3階建ての鉄筋コンクリートビル屋上に相当する高さだぞ。



残念?「こっちも閉鎖か」


「九多丸(くたまる)隧道」と言うのか。


線路とPC枕木と……津波のゴミ?。


オイオイ、
丸多丸トンネルになってるぞ!名称……。



九多丸の北側、線路は鋪装され
橋は再建され……舗装路?
白棚線かよ。


 何故か耳元では大瀧詠一が「夢で会えたら」を淡々と歌っている。イヤ本当、ここで気仙沼線の廃線?(いやこれは、海岸線に再建しねーだろう?普通)まさかまさか?
 さらに驚いた事に下りてみると、下に一軒家があって人も住んでいる事だった。マジかよあんな津波を経験して、まだ海岸線に住むのかよ、おじいちゃん?
 一つ前のマーチの奥には一つ手前と言うか石巻寄り(つまり南側)にも隧道がある。その馬蹄形の断面が_道用隧道である事を強く肯定している。北側(気仙沼方面)にも隧道があるがその間約300m程は一部盛り土すら流失して無い。既にレールは回収された様だが、枕木も一緒に回収したのだろうか・・・?
「いや在る、あるぞ!」
 隧道の前10m程の所にロースト君を置くと、おもむろに隧道に歩く。この時点で隧道内には線路と枕木がそのまま置いてあるのが見える。
すげえ!自然に脚が早足になる。
 隧道名が判らないが貫通した隧道は金網で閉鎖されているもののちゃんと貫通していて、枕木も線路も残っていた。が、どうやら反対側の路盤も流失しているようだ
 振り返ると3m下に砂浜、真後ろの線路路盤は次のトンネルの途中で分断流失している。
これで本当に復活させる気なんだろうか?
 幸い?バイクで行けそうなので流失した路盤を乗り越えてゆくと、潮の香りよりむっとした雑草に匂いに包まれたまるでジャングルの中に有る様な坑口に達する。
「九多丸隧道というのか」
 今度は名称板が健在で隧道名がすぐ判ったが手元の電子地図にその地名は見当たらなかった、
 ちなみにその電子地図を拡大した時に気仙沼線が途切れ途切れに表示された事に気が付き、事実ここも途切れていたのだ。
 九多丸隧道も先の隧道と同じ様にフェンス封鎖ながら線路と枕木は健在だったが反対側の坑口は恐らく津波の残骸にまみれ線路が途切れていた。
 写真を撮ると元の国道45号線、  インターには行かずにそのまま国道を北上すると本吉町に入った所でさっきの気仙沼線と並ぶ。流れ込む川の河口に、既に新たな橋が架橋されていた。
「え、橋更新してるじゃんか!」
 思わすその先の丘陵地帯を線路が切り通して割っていたので、その上の切り通しに掛かる橋に上がってみると、鉄路は既に舗装路に成っていた。



「気仙町」

もはや何も言えない」よく持ち堪えたな?
旧陸前高田市立気仙中学校。



津波高さ14.2mとある。
完全に呑まれたのか!


まるで内部で爆弾が炸裂した様だ。


 爪痕。 4

 案の定と言うか時間がないと言うか、クルマの流れに沿って進むと何時のか間にか気仙沼バイパスから三陸自動車道に入り込んでいた。
 海岸から遠く離れて居るにもかかわらず、あれ程あった大きな町の所には更地と巨大で遠大なコンクリート製の防波堤ばかりが目立っていた。
 唐桑半島の付け根を越えると下り坂から
ボロボロの学校が見えて来て、思わず足を止めた。隣の気仙町である。
気仙中学校旧校舎である。
 
鉄筋コンクリート造3階建ての校舎は恐らく海側の斜め45°から大津波を喰らったものだろう。表面積の大きな正面では倒壊の衝撃だろうがからくも免れた様だ。
「壁面のチャンネル文字が無い」



「震災遺構として保存されるらしい」


アレ?あれに見えるは…(爆w

 30センチ程のステンレス文字は通常4〜6mm程度のボルトで穴に接着という加工だろうが、津波の振動で抜けたのだろうか?。
 窓ガラスどころかサッシ枠ごと抜けて蛻の殻となった校舎をしばし呆然と眺める。
 
3階建てを支える基礎が猛烈な引き潮に掘り出され、露出している。凄まじい、ここで亡くなった生徒もいるのだろうか?



「あっ!!奇蹟の一本松」
かつての本体は枯れ果て、これはコンクリート擬木みたいなもんだが、多分。


復興に程遠いかつての気仙町。
とても国道45線沿いに見えない。

 当時の記録には、生徒や先生らは国道を挟んだ山に非難して、被害者はなかったらしい。
 賢明な判断だ。屋上にはなんと津波に高さを示す看板が付けられていた。学校に非難してたら大惨事だったろう。
「高さ14.2m」
 
校舎は津波に完全に呑まれたのか!ひとたまりもないな。
 撮影していると、一台、また一台とクルマが止まり、同じ様に呆然と立ち尽くし、やがて写真を撮って行った。
「あれに見えるは…?」



道路沿いに在る集合住宅は「下宿定住即新住宅」という。
5階建てのコンクリートビルの4階まで津波に呑まれる。
これも震災遺構として陸前高田市は保全の予定。

一般立入禁止だが、内部写真が公開されている。


 対岸にぽつんと立つ松が見えた。
「いわゆる奇跡の一本松か?」
ここだったのか?あの松は。たしか枯れて今立ってるのは擬木だったよな。
行ってみるか?と出発すると、国道角地の出光のGSが津波の被災をものともせずに営業していて驚いた。
 新規開店ではなく全くの再生スタンドだ。コンクリート製の平屋の事務所はサッシこそ新品だが壁と言わず屋根と言わず津波のキズだらけだ。
 給油機こそ新品だが街灯は折れ曲がりそれを叩いて戻した跡まである。凄い生命力を感じる、スタンドはこうではなくては。
 スタンド裏の気仙川を渡る橋は仮設橋だ。そこから見ると奇跡の一本松に人だかりが見える。駐車場からかなり長い距離を歩く様だ、これはパスだな?と諦めて直進する。
 道路沿いに先ほどの校舎同様に基礎が露出し僅かに傾く5階立ての集合住宅が見える。
「5階は無事なのか」




「目的地、旧大槌町役場、到着」
内部が見えるようにポリカーボネイトの窓がある。


町のど真ん中に巨大な慰霊碑が
あると同じだ。

正面駐車場には慰霊碑と地蔵らが安置される。
焼香台から絶えず香がかおる庁舎前

 4階まではドアも窓も流され反対側の風景が見えるのに!町に因ればこれも震災遺構で保存が決まって居る。
 その反対側にある「オカモト」スタンドのポールサインにも14mと津波表示が在り、今だ破損した外装がそのまま残っていた。
 ここでまた自動的に三陸道に乗ったローストセローは大船渡・釜石を華麗にスルーし一気に大槌町に到達した。

そこは、そこだけはまるで別の時間だった。
日も傾いた5時20分。予定時間を1時間チョイ遅れて、今日の目的地である「旧大槌町役場」に辿り着いた。
「凄惨だな」
 
おだやかに夕闇迫る現場は、昨年見た宮城の大川小学校と同じ匂いがした。
 それは塩にまみれた鉄の腐る匂いと時折香る線香のはかなげな匂いだ。



「町舎正面玄関」建物は漁港(大平洋)に対峙する。
正面ドアサッシが中から外へひしゃげているのは猛烈な引潮の力だろう。


南側に大穴ここも正面から津波を喰らい
その後引き潮で壁が抜けたのだろうか?船とか激突してそうだ。


津波で削られた壁面が剥落する。
洪水の水はもはや汚水だ、津波だから塩分濃度もケタ違いなので鉄もコンクリも侵蝕スピードが早い。
 
 町長を始め町の首脳陣20数名が絶命した惨劇の場所は、新しい区割りの真新しい住宅やコンビニに囲まれているのに、地元の人は目を背ける様に前の道を通り過ぎて行く。
 本当にここは更地であるかの様に、だれも振り向かない。
いや、振り向けないのだろう。
 町を二分したこの「震災遺構」である町舎の保存是非が起こるのは当然だ。現場で現実を見て、その異様な空気感を感じてMRは思った。近くを通る子供ですら、振り向かない。
 
 他に入れ違いでクルマ2台、5人程が町舎を見て、線香を手向け手を合わせ、涙目に帰って行くのだが、通りがかりのお年寄りも何も言わない。いや、矢張り言えないのだ。

 町の首脳陣亡きあと、何れ程苦しい状況に立ち入ったのか?それを考えると仕方のない事なのかも知れない。
 自ら残さないと判断した町民、その決断に深く頭を垂れて、町舎を離れた。



「刻はあの時のままに、止まる」
津波に呑まれた“午後3時17分”で時計は永遠に停止している


建物は解体してもこの物見櫓と時計は
施設を造って残すという。



 そして、燃焼試験。 5

 
津波とその後の大突堤建設によってややこしく解り難い船越家族旅行を見付けるとようやくチェックイン出来た。管理人さんの案内で一通り場内の説明を受けると取り敢えずテントを建てて身軽になり、隣町のドラックスーパーまで買い出しに行く。
 時計は既に7時を指して流石に暗くなって来た。いや、良く保ったと言うべきか。
 お酒の品揃えに不満が有る物のオカズとおつまみも無事購入し、いよいよ燃焼試験の開始だ!




「燃焼試験…成功(爆キャンプにはやはり焚き火だ。
 

 そう、先日の焚火会の後、もっとお手軽に焚火がしたいと思い立ちステンレスネット式の携行焚火台を新たに導入、きょうはその第一回燃焼試験なのだ。(無論明日は第二回だ!)なのに気づいたら着火剤を忘れている始末。ご自由にお使い下さいと言われた間伐材入れはお昼の土砂降りですっかり濡れて、延焼を阻止している。使わないかまどから炭ガラを頂き、新聞紙と一緒に絞って火をつける。
「燃えない時にはその辺の木の枝を切って使っていいですよ」などと凄い事を言われた。
 挨拶を交わした隣りの自転車の方は一人静かに、その隣りハーレー乗りらしい多分60歳は越えてるだろう愉しいオヤジと仲間達がどんちゃん騒ぎである。
「ああ、かえってジモティの方が騒ぐよなぁ」
 先月に自分たちがやった焚火会の既視感が被る。他人の振り見てとは良く言うが、ウン、気を付けよう。その時思い出せるかどうかが問題だが。
 やっとこさ燃え上がった焚火を眺めて、すでにメシを喰い終わり買って来た氷結310は飲み干し、地元のワンカップ300はそろそろ終わり、自分の意識もそろそろ終了という雰囲気だ。
 燃焼試験に満足すると、テントに潜り込んでお休みのMRであった。





  
次回予告。
 満載のツーリングセローは
 冬期通行止めの峠を、
 越えられるのか?




         つづく