伝説の廃道は……今?。

完全に沈黙!。


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。

また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



かつての最狭ダート県道区間も最狭完全舗装!」
これで"県道"とは片腹痛い。



2015 秋のキャンプミーティング「喜多方・三ノ倉」


 
お読みになる前に。
キャンプ初日はリンク先の
WINDYEXCURION;http://www9.plala.or.jp/windy-excursion/(管理人:燦さん)のブログに先行して掲載されています。
ブログ:http://blogs.yahoo.co.jp/windy_excursion/26943501.html 
初日はこちらでお楽しみください。
燦さまのレポも秀逸です。(MR)


さて、二日目も後半戦。「ちょっと急ぐぜ!」




五枚沢林道入口。
かつてあった林道標柱も無く。

「通行止!!!」


胸がアツくなる言葉だぜ!。
取り合えず前進出来無くなるまで行ってみよう(基本)。


 通行止め? 4

 
五枚沢林道と大規模林道飯豊檜枝岐線を擁する赤崩越え(何故「峠」と言わないのかは不明)に、途中某掲示板で話題に上る極小もとダート県道を介して越えてゆく。
 それにしても、五枚沢の部落はすっかり寂れていたのに愕く。



「路盤崩落の為通行止め」
会津森林管理局


   
赤崩れの峠に到着。
何処が路盤崩落なんだろう?何処にも無いぞ。


西沢林道に行ってみる。
相変わらず流された道は放置だ。


かつては釣りや食事で賑わっていたイワナやヤマメの養魚場は廃業久しく、部落は静まりかえっていた。
 部落の最奥にある五枚沢林道は通行止めの看板が上がっていたが、セオリー通り「行けるところまで行ってみる」(笑w 
 排気量のあるおぉじいさんがセロー225先行する。
 
 実際登ってみると、幾つか洗掘や路盤欠損の所が見られる物の単車では十分に通行が出来て、取り敢えず県境の広場まで来れた。
 ここでやっと一服タイム。
 おぉじぃさんが恍惚としてニコチンを接種する。その間にMRのKLX125が追いついた。



「戻るか?」
と、ここで見た軽虎が山形ナンバーなので
通行可能が確定的と成る。



「大規模林道から小規模連絡林道へ」
写真の「高造路橋(たかぞうろはし)のたもとを、右折。



 ここでMRがこの先のルートで解説すると、かつて福島5大極悪林道に数えられた「西沢林道」を、おぉじぃさんが見に行くと言う。
 彼の言い分によると、あの駒止の旧道も行けたんだから、もしかしたら行けるのでは?などと思って見に行ったのだが、寸断の沢はまたしても濁流で形状が変わっていた。

「足場板1本あれば渡れるか?」
まあ無理でしょ。と軽くいなされ、西沢を後にする。


峰越連絡林道?
高造路から上和合に出るルート。
最初は高造路〜遅谷間。


「ここが高造路の峠」見通しが効かなくなった。
 牧草地を抜けるのだが、放置プレイで荒れていた。林道も荒れ気味。


下の「遅沢地区」が見えて来る。

 この沢、実は会津の峠にある黒岩地区から尾根沿いに赤崩れに抜けるかつての間道と思われる。

 林道流し二人旅。 5

 さて、葡萄沢も路盤欠損があるだけで荒れてはいたものの難なく大規模林道飯豊檜枝岐線に合流する。
結局通行できたじゃん!



日本の里道(笑、どんなパクりやねん。


遅谷の部落に到着、そのまま道也直進である。
ここから遅谷〜広川原(温泉)である。


 まあ、西沢林道で山形ナンバーの軽虎が居た時点で確定事項だったんだが。
 ここでMRは俄然時間が気になり出す。
 S老師が3時には喜多方に来る
だろうが、現時刻は2時前である。白河ダムを林道でショートカットして行こう。
 ダム経由より距離も短く、他の一般車に左右されないだろう。
と言うことで、やにわに
林道高造路〜広河原線にトツゲキしてゆく。


小高い丘から来た道を振り返る。
霧が酷い。



「遅谷の峠」と言うのかは、実は不明なのである。
この区間で最高標高だったはず(笑w


3区間の内、結構スピードの出る区間がこの遅谷〜広川原間?。


 このルートも震災以降久しぶりに通過したが、最初に高造路に入った途端に除草されずに夏草が伸び放題だった。
 急速な過疎化で林道にある牧草地も使われた感じが無く、手を入れられていないのだろうか?
 そんな予感が的中して、林道はなかなかの荒れ具合である。
 ハッキリ言って震災以降は全く放置プレイだったようだ。楽しいけど、時間が掛かりそう?そんな感じだ。
 
このルートは二つの沢と三つの峠で都合3つの林道区間が存在する。
 大規模林道沿いの高造路から越戸沢部落の区間、越戸沢から間欠温泉で有名な広川原の部落に出る。



「快晴なら雄大な飯豊連峰をバックに!!」
このルートのハイライトも"曇り"には勝てない。



 さらに県道4号線沿いの上和合部落に抜ける、聖書ツーリングマップルにも掲載済み林道である。
 この区間では広川原側から営林の車が入っているようで、上の高原区間では伐採されて日の浅い林の跡とダンプやトラックのタイヤ痕が散見された。

 対向車も居て愕いたが、作業着や安全チョッキなどから営林関係者のバンではないかと予想できた。
 そして荒れた下りを降りると広川原の部落の端に出た。


どうやら最近伐採作業は行われたようだ。
森の筈が剥げ山に変わっている。



 
 ほぼ"カミナリ型"の伐採道!ちょっと行ってみたい気もする。


 本来ならさらに広川原から隣り尾根を越えて小屋の部落に出るのだが、
MRの記憶違いで広川原から山形県道4号線に出てしまった。

 時間よ止まれ。 6

 
仕方がないのでそのまま4号を東進、高野沢付近の舗装林道クラスの極狭区間をバリバリ降りてゆく。

 
下りのオフ車、特に125辺りは殆ど減速無しにノーブレーキで曲がってしまう軽さが武器で、扱いに日の浅そうな大排気量バイクを平然とカモって行く。
 この頃から休み時間が少ないためにヤニ切れでおぉじぃさんがべったり付かずに離れるようになる。


飛ばせる筈が!蛇行する洗掘(涙w


「よし!広川原だ?」


ええと、「そして間違えた?」
ダム下に見えるのは「フォレストいいで」のコテージ。


標高463m程、山形県道4号線西置賜郡飯豊町と東置賜郡川西町の郡境を越えて、
川西側の狭いつづら折れを下る。



そして3時過ぎ、無茶なペースながら国道121号線沿いの「道の駅田澤」に2台は辿り着いた。
 まずはトイレをこなしておぉじぃさんのメールを確認すると
2時にはレークラインを通過して道の駅裏磐梯からメールしてるではないか!
ホントにメイト90で来ているのか?
 こうなると喜多方まで30分もかかるまい、案の定返信すると既にキャンプ場を確認済み、今は喜多方市内で買い物をしてるようだ。一方こちらは完全に山裏に来てしまった。
 
むしろこっちが30分かかるくらいではないか?

県道8号と合流、交差点を右折。


県道8号重複区間、一路国道121号へ。


「道の駅たざわ」に到着。一服して再び走り出す。


風雲急を告げるメールに大峠バイパスを突っ走る!


県道4号線川西町終点。
T字路は国道121号田澤バイパス。

煙草もそこそこに、2台は再び喜多方に向けて走り出した。


 二日目の夜。 7

何はともあれ、3人は目出たく合流出来た。
「取り敢えず、今日は温泉行きません?」と言う訳で、まずはクルマで3分と近くの旧熱塩加納無村営温泉保養施設「夢の森」に向かう。
 こういう時にクルマがあると矢張り便利だ、と思いつつ温泉に付くと入浴券を買ってるウチに救急車?急病人騒ぎに巻き込まれ、雑談しながら少々待つ事に。
ストレッチャーを見送りつつ、入れ替えに男湯に入って
新しく出来た露天風呂で寛ぐ。




加熱が足りねぇ!。
まあアリガチだが。
 温泉で壇を取ると、キャンプ場に戻って、早速宴の用意を始める。
 タープから保冷バックやら野菜入り段ボールを取り出して、驚いた。
「ホルモン焼き2kgパック」な、なんじゃこりゃぁぁあ!
 
大量に切り残ったキャベツ類、開封すらされていないジャンボフランク1kg・・・日本酒、ビール類。
 
そして今日のキャンパーは我々だけである。
 沖縄に殺到した米軍の如き圧倒的物量に、3人は頭を抱えてしまった。

 明日の朝は「喜多方朝ラー(メン)」と決めていたので食料品は今夜中にどうにかしなければイケナイ。
「こりゃ、喰うしかねえな」
S老師の一言はまさに「ハラを決めた」セリフとなった。


よし、焼けてきた!途中で止まるは地獄か?。


・・・・もう食べれません。

あとは火を起こしてひたすらに焼いて「喰うべし!」x3まさに酒池肉林(違w
 ここから2時間、喰えども減らぬ大量の焼き肉に全員がうんざりする事となる。
 その割に
「酒は別腹」なんだから始末の悪いオトナ達である。

「焚き火はいいなあぁ」
 感慨もひとしおに、タバコをくゆらしながらS老師が夜空を見上げる。
 立ち上る炎と共に、釣られて見上げたMRとおぉじぃさんの頭上にも、満天の星が輝いていた。


「焚火最高」炎の踊る様を、飽きることなく眺めて呑む。


 名物見物。 8

 
それは恐怖の瞬間で始まった。
 三日目の朝8時、3人は手早くタープに荷物を押し込め、バイクで朝ラーに行く事にする。メイト90で付いて来れるのかな?とミラーに目をやった瞬間!
生死を決する猛虎の如き突っ込みに襲われる。
老師!目がマジンガーZ目になってるぞ!
あっけに取られているうちに廃道仕様のKLX125がアウトからメイト90に抜かれる!
「流石」すぐさま後ろについて・・・って、減速してねええええええぇ!
次の左ヘアピンで私は見た。
 ちょんブレーキでフロントをダイブさせるとすかさず切り込んでアクセルオン!暴れるメイトを押さえ込んで轍にフロントを乗せ上げ、見事にクリアしてゆく。
「なんだよそりゃ、そん
なんアリかい!」呆れて物が言えない。
 あっという間に不思議な世界、
ど〜してセロー225がダートでメイト90に煽られている?
 とにかくブレーキランプは体勢替えの直前2秒くらいしか点いてない。
 セローのブレーキリリースポイントより外奥で一瞬だけ光る。たじろぐセローを大外から被せて曲がって行く。排水路の段差をジャンプ、フロントも滑ってる、リアも滑っている!
「何故転ばないんだ!」二輪ともスライドしてるが重心調整してスロットルは全開!



ラーメン「一平」創作ラーメン料理店と言う感じ。
普通の喜多方ラーメンに飽きた人お勧め。


店の方針らしいが、少し濃いめの味付けは賛否の分かれるところ。
醤油はすっきり、味噌は濃いめ、チャーシューは甘トロという印象。


つーか緩めてねぇ!タイヤってタテジマのビジネスタイヤだろ?
 
ダート区間だけでブッチギリ終了かよ・・・?スゴいもん見ちまった。
眠気が吹っ飛んだどころか気を取り直せず、どんよりと国道を喜多方に向かう。
 「喜多方で朝ラー」または「朝ラーで喜多方集合ツーリング」は一部のツーリングライダーには基本らしいので、時流に乗ってみたりする。
 喜多方市内には朝6時幌から開店しているラーメン店が5〜6軒(多分)あり、まずは「まこと食堂」に行ってみた。
そして驚いた、

なんだこの行列は?100m位並んでるぞ!MRはまこと食堂自体たまにしか行かないが、朝からこんなに並んでいるのは驚きを通り越してガッカリしてしまった。
 気を取り直して第二候補の
ラーメンの「一平」に行ってみるとほぼ店の長さ程度、人数にしてざっくり20人程並んでいた。並ぶのが嫌なのだがそれ以上にもうこれ以上店探すのも面倒だ。


朝の暖かいラーメンが幸せに思える。
おいしい。


旧国鉄熱塩駅の辺りから右折。
宇津野の部落から林道へ。
熊野神社が古道を彷彿させる。


名も知らぬ峠越えの林道。檜原越えから江戸、明治、大正、昭和戦前まで使われた
熱塩加納村に向かう間道の最後の姿である。



 幸い二人は何処でも良いや、程度の話だったので並ぶ事とした。
 大体15分程で店内の席で注文出来たので、良しとしよう。
 待ってる間に本日の行動予定詰めるとS老師は夕方から仕事なので午後には帰って仮眠したいと言う事だった。
 午前中身軽なうちに旧大峠をチラ見して来てキャンプ場を撤収、昼前に解散と言う行程を決める。
「なかなかウマかったですよ」という評価に胸をなでおろして、一路旧道に向かうつもりがMRがルートミス、間違って熱塩加納温泉方面に出てしまう。

峠の名前は判らなかったが、
「林道杉山・宇津野線」という路線名は確認。
全面舗装で杉山の部落へ。



「キタ!!」廃道「大峠(旧国道121号線)」道路的にも政治的にも歴史的なルートである。(詳しくはこちら)


 
旧JR喜多方線の塩川駅でUターン。ああ、メイト90にブチ抜かれた悪影響がこんなところで(違w
「確か尾根を横断する舗装林道が在った筈」と地図確認し、路地に突入。
「林道杉山・宇津野線」は実は古道である。それこそ江戸時代頃から大峠(その前は桧原峠や欄峠)と熱塩加納村を最短距離で結ぶ間道として栄えた歴史があり、今でも峠の東西の部落には神社が設けられ、旅人の安全を守って来た。
 
旧121号線はもはや通るクルマも少なく、閑散としていた。
 誰もいない、紅葉の舞い散るつぎはぎだらけの舗装路を何処までも北に登って行くと、採石場の仮置き場の先に、問題の三叉路が在った。
左折が
「旧国道121号線だ」
それは完璧とも言えるゲート閉鎖だった。
「これはスゴいゲートだな」
「カンペキですね」

各々に感想を述べながら、目を皿にしてゲートを見ている。
「わ、ボルト溶接してある。壁までぴったりガードが組んである」これはこれで難攻不落だな。


ワイヤーのエンドボルトがナットで
溶接されている。



約50cm間隔で通される鉄パイプ。
豪華南京錠付き!




こりゃあ峠の主も泣く罠。そんなに危険な道とは思えないが?


 
だれか入口の横に10tダンプ一杯分の砂利か造成に使う土砂を捨ててくれると助かるんだが。(笑w
 余った生コンでも良いや(笑w
やるやらないはともかく、色々アイデアを練って時間となる。3人は灰皿にシケモクを仕舞うと、今来た道を再びキャンプ場に戻って行った。

 テントを乾かしながら備品を撤収、時間切れとなったS老師は乾かす暇もなく引き上げた。MRとおぉじぃさんはゆるゆると積み込み、1時頃帰宅の途に付いた。
「また来年もやりましょう」と声をかけて。


「当分の間」っていつまで?
電話すると開けてくれるの?


「また来年」そうね、今度は春にキャンプしましょ。

今回の来訪林道
林道五枚沢線 / 林道赤崩線 / 葡萄沢林道 / 大規模林道飯豊檜枝岐線(旧第八工区) / 葡萄沢林道 / 林道高造路・遅谷線(仮)/ 林道遅谷・広川原線(仮)