廃道日記(Riding・Report)



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このデータは、あくまでMRの走ったルートの覚え書きです。
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参考文献 「鉄道廃線路を歩く」宮脇 俊三 著 JTBキャンプブックス
     「鉄道と煉瓦〜その歴史とデザイン~」 小野田 滋 著 鹿島出版会
     「廃道を読む〜隧道詳説3 煉瓦隧道」 永冨  謙 文 「日本の廃道」07号


竣工から一世紀以上。
色褪せた紅に、輝きを失った銀に崩壊の予兆を感じる。

キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)034


無事到着!おにぎり背負って、出撃だ。



 日本列島を震撼させた3.11は未だに浜通り地方にその傷跡と、原子力災害という途方もない人災を手土産に置いていったままだった。
 
昨年ようやく広野町まで開通した常磐線も、その先の富岡・大熊周辺や津波で列車ごと流された亘理、新地周辺などは未だに再開の目処が立たない。

 MRが四倉〜竜田駅間の旧常磐線明治隧道群を見に行ってから震災を挟んで7年の歳月が流れていた。
 この日、末次駅のホームに立った二人が見た末続の旧部落に建物は無く、駅周辺や高台にある住宅地だけが津波の被害を免れて健在だった。
そして、海には、在るはずの防波堤も無くなっていた。

「常磐線明治隧道、再び」

今回のルートはTouringMapple2013.3版を含め基本的にROAD MAPには表示無し。
なぜか「やまやまGPSヤフー等高線地図モード」には旧隧道の表記あり。

 "心配"停止状態からの蘇生。   
 
 
話は2年以上前からあった。
 震災後、あの明治隧道群の行く末が大変気になっていた。末続地区は避難区域指定も手伝って、特に末続駅の情報が得られなかった。重い腰を上げたのは常磐線が久ノ浜を越えて広野駅まで開通した報道だった。
年明けには行く、そう決めていた。

 当初の予定は2月11日だった、雨天の場合は翌週の16日。
しかしこの日、前日から降った雪は60センチを越える大雪となり、あえなく計画は頓挫した(核爆!。

 かくて4月吉日、二人は改めて隧道を見る為に顔を揃えた。ここてかねてからの心配事があった。
「積載出来ますかね?」
「何とかなんじゃね?」
 前回寿ベルで参加した社長も、今回は再復活したXL80改、MRは昨年から導入したKLX125である。
これをMRの悪茶(アクティ@軽)に積んだのだ。


「片方が小さいと2台積まるんだな」
「けっこう積まるもんですねぇ」
 2台、二人が乗り込んだ悪茶は東北・磐越・常磐道を乗り継いで、やって来ました
「道の駅よつくら」

 
このモロ四倉港防波堤沿いにある道の駅も、震災当時は津波に全家屋が飲み込まれ、それでも何とか残った建家も解体されてしまい、今は新しい一回り小さくなった感じのする道の駅に生まれ変わった居ました。
今回はここで車をデポして久ノ浜、末続と行く事とする。

 
当日はバイカーも多く集まっていたが、いきなり軽ワゴンから2台のバイクが降ろされると、ちょっと視線を感じるな。
 タダで停めるのも悪いので早めの昼飯でもと思うのだが、相棒の社長は手前で見かけたセブンイレブンの100円おにぎりセールが気になる様で、結局おにぎりとコーヒーを買って久ノ浜法面に向かうのだった。



津波で打ち上げられたテトラポットが徐々に片付けられてる
久ノ浜海水浴上付近。


無事だぜ!末継駅。


 
本日も講師は、ふぉるく社長です。
 宜しくお願いします

Photo by Foruk


廃ライダーMR!今日は
鉄分補給も兼ねて林道廃道、即参上!

Photo by Foruk


 2台は一路国道6号線を北上した。
普段の6号線より、全然交通量が少ない。トラックが居ないからだろうか?
 久ノ浜海岸は未だに護岸工事中、津波に薙ぎ払われたテトラポットが岸壁に弾丸のように打ち込まれている。

 かつてクラブで何度か使った海岸沿いの和風レストランが営業していて愕いた。
 一見平静さを取り戻して居るかのようにも見えるが、住民よりも工事関係者の方が多く見受けられる。

 国道6号線、久ノ浜の連続トンネルを抜けた2台。先頭のXL80は社長が10年来、動態保存しているマシンだ。
 昨年からキャブの交換と調整を行い、ようやく仕上がったとのこと。デッドストックのCRM50のフロントフェンダーがいい味である。
 一方、MRのKLX125も僅か9000Kmで痛恨のクラッチ交換を終え、好調である。

 末続駅は、7年前と変わらぬ姿で我々を迎えてくれた。
 
常磐線の運行が開始され、震災当時にニュースやネットで見た張り紙なども撤去されていた。
「生き残っていたか!」
「いやぁ、良かった」


 末継駅のホームから新旧のトンネルを見る。
やっは、古い方がひと回り小さいね。
Photo by Foruk


実は震災による津波でホーム下の市道が浸水。
ホームも床に被害があったが修復している。



末続駅のホームから海を望む。
河口付近の古い末継の部落は跡形もない。


「確か高さ制限の標識とか在ったハズだが」
強度に優れた物だけが生き残っていた。


 しかし、ホームから太平洋に視線を移すと、かつての末続の部落は跡形もなく、駅周辺と高台にある団地以外は、荒涼とした空き地と、いまだ復旧の陰も感じさせない破壊された海岸線が見えていた。

 駅からホームの下を潜って部落に向かう路地には
隣の家にも人の生活する気配すらなく、石垣には海水に浸かった様な横一線の跡が残っていた。

 ガード下にあったはずの橋桁注意の看板、最大高さを伝える標識もなくなって居た。いや、一枚ずたずたに千切られた警告標識が、塩水で錆び錆びになって橋台の下に添えられていた。

 ホーム下の田圃は最近土を換えられ除染されたようで、山土で分譲地のようになっていた。
 地震と津波で末続駅のホームに損傷があったと聞いているが、まさにこの市道の上の所が破損していた様だ。
津波のせいと思われる。
 しみじみと、駅の待合室でコンビニのおにぎりを頬張る。
 駅舎は震災のことなど忘れたかのように初訪問の時のままで、時を止めていた。電車が来るアナウンスが響く。
 各駅停車の下り電車を撮影すると、二人は前回と同じように、館山隧道に向かった。


 引き潮に取り残された危険標識。


 ホーム下の電化配線は津波を被ったせいか?
全て新品に交換してある。
廃レールのホームが残っていて
何よりだ。




部分開通の常磐線、
暫定終点の広野駅行き普通列車415系。
初めて常磐線復活をナマで感じる。




写真を失念したのでここだけ07'の写真。館山隧道南側抗口。

 晴天の霹靂?  

 館山隧道に向かう小高い丘の住宅地は津波の被害が少なく、いまでも変わらず住人が生活を営んでいた。当時と同じ住人かは不明だが、この時ばかりは心が穏やかになった。
 館山隧道も特に変化はなく、極めてフツーに通り抜けられた。
「良かった、変わらないですね」
「煉瓦に崩れ無しは凄いな」



 「館山ずい道 延長85.04M」
 「覆工巻厚表示 1954,1」
 「30」
と、前回と変化はない。



フツーに、極めて普通に館山隧道を通り抜ける。
Photo by Foruk


「何か前回より煉瓦の色が良くない気ガス.....」
Photo by Foruk


あ!落ちてる!!!


「百年前の隧道だからなぁ」
「てゆーか、こんな土木遺産が普通に通れるのが凄いよな」
 まあ、この館山隧道なんか、特に通行止めというわけでも無く、極めてフツーに通れて、ホームまで行っちゃえるんだから。
ところが、何だか裏側の坑口は様子が違っていた。
「これは………?」
「こんな落ちてましたっけ?この煉瓦」
「いや、初見だな」
 
実は見たことが無い訳ではなかった。
 
あの万世大蕗にある栗子山随道の山形側坑口の崩壊に酷似していると思った。
 夏と冬の温度差と
結露による煉瓦内部からの凍結破壊と表面欠落である。紫外線の影響も大きい。
 染み出した泥汚れは地震による液状化現象だろうか?大量に汲み上げられる地下水の圧力変化かも知れない。
「何かが変わってしまったんだ」
 ポータルに巻き付いた木が、まるで煉瓦崩潰を止める楔になっているようにも見えた。


ハケーン!
コレ、鉄砲水の前触れ。恐らく中は空洞か、水圧で押出された煉瓦が引っ掛かってる。高圧で耐えられなくなると壁ごと崩落するぞ?


 取り敢えず館山隧道の無事を確認した我々は、くるりと振り向くと深谷沢隧道に向かって突き進んだ。
「ここも前に来たままだろうか?」
 だが、外に異変が起きているのが隧道の中からも判る程だった。
「森が…無くなっているよ!」
「ありゃまぁ…」
 
天神沢隧道への明かり取り区間は、周りの木々がすっかり無くなったどころが、隧道近接の山が削られていたのだ。


 
まるで色が違う!
地震による液状化で煉瓦の目地から
粘土が染み出ているようだ。


 
これは酷いな、煉瓦の色が死んでる。


煉瓦が飛び出て落ちるのは
高圧の地圧変化に曝された為だろうか?。
植物の根があると防げるのか?



 続いて、深谷沢隧道北側(仙台側)抗口。
 何か?ここも煉瓦が抜け初めていねーか?。


深谷沢隧道南側(東京側)抗口。あ!!

山が無いぃ〜!!!


「こりゃあ、宅地化だな」
 すっかりルーミーになった明かり取り区間、連続して見える天神沢隧道まで
山が激変しているようだ。
「何か、レンガがせり出してない?」
ていうか……?深谷沢随道の南抗口
「うわー、壁割れちゃってるよ!」
「地震か?」
「いや、山の周りの地形がこうも変わっていると、地圧変化による変形や地下水の経路変化で壊れる可能性もあるだろうね」
「もしかして人災なのか?」
 通りすがりの林道廃道オタと撮り鉄乗り鉄の二人に、地圧変化に伴う煉瓦随道の統計的破損確率なぞ知る由も無いが、
地震と造成というダブルパンチに随道が曝されている事は間違い無さそうだ。



 割れている!!!
ああ、記念物級の「格子帯」
パラペットが〜!(血涙w


天神沢隧道北側(仙台側)抗口。
あれ?こんなに明るかったか?ココ。


 
マジ!!造成地だ!!!!
その先は天神沢隧道北側(仙台側)抗口。


天神沢隧道北側(仙台側)抗口。


 次は目の前に隧道の先も見通せる天神沢隧道である。
 この深谷沢隧道南口同様に、北口の斜め上が造成の末端にかかっているが、見る限り目立った破損や煉瓦の抜けは無い。ただ、矢張り泥の染み出しで煉瓦の色が失われているのが見て取れる。
 隧道の中は、この明治4連隧道群の中で、
唯一天井までモルタル化されていない、完全オリジナルである。


 
ここも目地から土が染み出している
感じだ。



「明治煉瓦の銀河系 !」
前回より暗黒星雲が広がっている・・・?。


 だが、そのオリジナル故に天神沢隧道は新たな悩みも抱えていた。
 天井の黒ずみの拡大である。もともと確かに蒸気機関車の煤煙で天井は黒かったが、その上に震災のホコリのような物がこびりついてグレーの天井に変わっていたのだ。
 それもオリジナルの証と言えばそうなんだが、煉瓦の色と言うかコントラストがぼやけて来るのは悲しい。
 北抗口はそれでも、東京側の南抗口は見事な煉瓦の紅と、高熱で薫製になった銀色の煉瓦が見事に調和した明治隧道を見せ付けていた。

「さあ、来たぞ!」



煉瓦の内壁ながら3つある退避抗は石積みだ。
道床自体は車道化に伴い砂利引きしてあるので、
若干高いと思われる。



天神沢隧道南側(東京側)抗口。


 リベンジ!

 そして最後は
前回チキンな逃げ方をした大沢隧道なのだ!
でも、
これだけハワイアンに明るいと、何となく通過出来そうだぞ。(希望w)

 北側抗口はその左側に上の山から切り落とされたかのような、路肩に丸太が積まれている。
 大沢隧道はこの4隧道中最もモルタル覆い面積が多い。この北口から10mほど腰下の煉瓦ら見えるが、残りは全面モルタルを打たれている。
 そして、相変わらずカーブの為南抗口がココから見えないのだが。
 そこはバイクの廃ビームで闇を切り裂いてゆく。
「あ、モルタル剥がれてるよ!」
 地震の影響か隧道周囲の地形改編の影響か?大沢隧道は唯一腰下まであった昭和28年ライト工業KK謹製の内壁モルタル補強が一部剥げ落ちていた。



大沢隧道、徹底的だ!
待避所までモルタル仕上げだよ。
別にここは強度と関係ないんじゃないかな?


 大沢隧道の出口付近には大きな水溜まりがあったが、これを越える。
「パーン!」
「やべぇー!
 電車だ !!!」



因縁の大沢隧道北抗口(仙台側)
ここも非常に汚れている。


大沢隧道は、ほぼ全面覆いだ!
ちゃんとコテ仕上げされている。
ムラのない綺麗な仕事だ。



巻立て落ちてるぅ〜!!!


おお、美しいぃ!!!
 大沢隧道の南抗口は軽く水没、原因は漏水と思われるが。
 


  
「始めての大沢隧道南抗口」


 いい歳こいて何やってんだか?
 
あわてて大沢隧道の切り通しというか翼壁に隠れるおっさん二人であった。
 大沢隧道を出ると。目前にはずっと先まで、いわゆる管理道路が続いていた。ちょっと間をおいて、この先には原見沢隧道が在る筈なんだが……?
電車がこない事を確認して、取り合えずズケズケと入ってゆくが……。

まさかまさか?。
次のトンネルまで走って行けるのか?
ウソだろう?ええ〜〜〜!


「だよね〜」
やはり手前でみちは途切れた。当然の事だが、この道自体が廃線路跡なんだから、秘本線合流しちゃえば道が無いのは至極当然である。
「ダメでした」
「じゃ、末継隧道経由で広野駅まで往ってみましょう」
こうして、二人は引き返して逝きましたとサ。
 


「大沢ずい道 竣工28.12.15.」
 「施工者 ライト工業KK」
 始めて見たけど一番情報量が少ない。


 
うわ、パラペット矢筈積みだよ・・、
東京側は相変わらず豪華だ・・。




 
「ウソだった、だよね〜〜!」
 この堤も津波に有効な防波堤だったようだ。




常磐線東側(海側)に家屋は無い。
側道もここで終了。




 常磐線西側(山側)には多くの
新築住宅が並ぶ。




 
再び大沢隧道北側抗口。
「北側にも在るぜ、改修銘板?」


調査日(14/3/23)の状況:
 路面状況は優良、つまり単なる道路です。時折、ジモティが使う程度でしょう。その大部分が現常磐線の保線用道路と化しています。
 進入はお手持ちの広域ロードマップ程度で十分。ただし館山隧道以南のルートは原則立ち入り禁止仕様です。
見学は自己責任でお願いします。
勿論、現常磐線軌道上への侵入は厳禁です。



 
内容は同じだった。