廃道日記(Riding・Report)



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竣工から一世紀以上。
色褪せた紅に、輝きを失った銀に崩壊の予兆を感じた末継駅南の随道郡。
果たして北側の随道群は?。



参考文献 「鉄道廃線路を歩く」宮脇 俊三 著 JTBキャンプブックス
     「鉄道と煉瓦〜その歴史とデザイン~」 小野田 滋 著 鹿島出版会
     「廃道を読む〜隧道詳説3 煉瓦隧道」 永冨  謙 文 「日本の廃道」07号

キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)012

 日本列島を震撼させた3.11は未だに浜通り地方にその傷跡と、原子力災害という途方もない人災を手土産に置いていったままだった。
 
昨年ようやく広野町まで開通した常磐線も、その先の富岡・大熊周辺や津波で列車ごと流された亘理、新地周辺などは未だに再開の目処が立たない。

 MRが四倉〜竜田駅間の旧常磐線明治隧道群を見に行ってから震災を挟んで7年の歳月が流れていた。
 この日、末次駅のホームに立った二人が見た末続の旧部落に建物は無く、駅周辺や高台にある住宅地だけが津波の被害を免れて健在だった。
そして、海には、在るはずの防波堤も無くなっていた。

「常磐線明治隧道、再び」(後編)

今回のルートはTouringMapple2013.3版を含め基本的にROAD MAPには表示無し。
なぜか「やまやまGPSヤフー等高線地図モード」には旧随道の表記あり。

 津波を乗り越え、煉瓦の殿堂、再び。  4 
 
 
末続駅南側の明治隧道、館山・深谷沢・天神沢、そして長年の懸案だった大沢隧道を無事に秘密兵器で閲覧した二人は最南の原見坂は諦めて末続に戻り、今度は北側の隧道群を見に行く事にした。
 北側には同じく駅から順に、末続・夕筋・台の山・東善寺・そして常磐線最長の金山隧道がある。このうち、アクセスできない台の山と金山隧道は今回オミットとした。
因みに、来訪した4月の段階で開通した常磐線の暫定終着駅は広野駅であり、その先の竜田駅がやっと6月1日からの運転に漕ぎ着けたばかりだ。金山隧道はその更に北に位置する。

 特に金山隧道は当初、再訪の際には全長1.6Kmの北側抗口接近がハイライトとなる予定であったが、抗口は東京電力福島原発第二発電所正面ゲートに繋がる一本橋の直下、東京電力福島第一発電所から半径10Km圏内という近接地点であり、かつ抗口は深さ1m前後に水没している。水田が津波被害による塩抜きもされないままに放置された湿原と化した抗口
周辺は20mmシーベルト以上のホットスポットだろう。
 我々が生きている内は近づく事すら出来ないだろう、そんな予感がする場所なのだ。

 と言う訳で、
後編のスタートである。(核爆!。



"切妻"屋根が特徴的な南側抗口の末継隧道。


お粗末な薄いモルタルで捲き立てられた末継随道天井面
煉瓦に染み付いた煤煙が、水分とともにコンクリートを侵食し、
黒いシミとなって模様を描き出す。



相変わらず質実剛健な北側抗口。
だけど水没&崩壊。



ハケーン2!
 内壁の巻立てにひびが入り漏水している。そして何時しか崩落するであろう。だってあのリシン吹き付けみたいな天井だもの。


 北側のトップは末継隧道、南側抗口が切妻屋根の特徴的な明治煉瓦隧道である。
 しかし優雅な南抗口にくらべ内部は何時でも幽霊が出そうな禍々しい空間で、まるで
「バイクで走る胃カメラ映像」状態、ハッキリ言って気持ちが悪いのである。

 しかも氷柱の様に鍾乳化したコンクリートが
天井から滴ってくるではないか?
「あの黒いシミは………?」
「煉瓦にこびりついた蒸気機関車の煤煙が染みてるんですかねぇ……?」
 
あまりに綺麗に煉瓦の形に染み出ているのを見ると逆に気持ちが悪いぞ!
「さほど被害はなさそうですな」
ウソだった。
北口にはその予兆がくっきりハッキリ表れていた。
「漏水だ……!」
 まるで天井を南北に切断するかの様にキッチリと亀裂が天井まで延び、割れ目から水が滴っていた。
「恐らく、雨天時にはここにウォーターシャワーが出来るんだろうな」
「ヤだなぁ、ソレ」
 
しかも北側抗口もズタボロになって漏水が水たまりになっているではないか。抗口脇には崩れ落ちた煉瓦の破片で法面が出来ている。



 
水没と剥落。
ここも西日が効くのか?漏水で凍るのか
煉瓦の痛みが凄まじい。


 末継駅のホームから新旧のトンネルを見る。
やっは、古い方がひと回り小さいね。
Photo by Foruk


なんじゃこれは?
この中途半端なゲートはなんじゃ?。



「両脇からダダ漏れのゲート」
JRの仕様なんだろうが、意味無し。


 手前に漏水個所が出来てしまった為か?抗口の煉瓦に水の染み出たような痕跡は少ない。
「あれ?」
 
隧道を抜けると、そこにはなんと分岐点が増設済みだった。
(写真を失念(泪w )
 どうやら残土置き場のようだ。
 そして正面の道にはガードフェンスが問題アリ在りで設置してあった。


 この場所、鬱蒼とした雑木林のような感じだったが津波で流された様だ。
今は残土置き場になっている。

「筒抜けだよねぇ」
「何か問題があるのだろうか」
 しかし、通過には予想通りに何ごとなく次の夕筋
隧道まで到達してしまい、その先の親切新設ゲートもスルスル素通りしてしまう。
 夕筋踏切を介して、管理道路のさらに北には新旧の夕筋トンネルが抗口を見せていた。

 旧線である夕筋随道ぞいにはマニア御用達の捨ててある放置プレイを受けている。
 先に見た末継随道に比べて、ややこじんまりした印象が在る夕筋随道。
壁に定着した木が成長し、徐々に煉瓦を侵食しているのだが、校門は今だ辛苦の煉瓦を纏い続けようと孤軍奮闘していた。

 

夕筋随道側のゲートに出る。
末継以上に間抜けな冊だが。


 夕筋踏切前。ここが脱出ルートになる。
国道6号旧道の夕筋随道に出る。


新旧の夕筋トンネルを望む放置された箱。



夕筋隧道南側抗口。
手前の末継随道に比べこじんまりした感じを受ける。


趣の在る廃れ具合だ。



 前回と変化はない重厚な壁に短いながらも
きちんとピラスター(支柱)がある。


 後ろに回ってみる。


錆過ぎて良く読めないが有名な箱らしい(笑
 ピラスターは既に割れている。
これも地震の影響か?


 何となく翼壁部分を登って抗口裏を見てみる。木の影に見えなかったが、ちゃんと抗口の両端はピラスター(支柱)の形状であり、パラペットを定石通りに挟み込んでいた。

さて、入ってゆこう。
 夕筋随道はこの一連の随道群の標準仕様という事だが、ここも天井と中心付近の壁は腰下までモルタル加工が施されている。天井部分はその下地が石造りである。
 そして、前回も少しモルタル崩落していたが、案の定その傷口が広がっていた。
ついに文字の跡も消えた改装銘板。
いやいや、板じゃ無いな。


 いやいや、あの地震の衝撃を受けてこの程度で済んだと言うのが僥倖だろうな。ピラスターといい、竣工明治28〜30年代の煉瓦随道と考えれば立派である。

 
夕筋随道の北側抗口は清楚な石造りである。



 空の明るさが染みるぜ。


 
隧道はいわゆるスプリングラインまでが煉瓦、そこから上の天井が石造りだ。
したがって退避抗は煉瓦製。


「前回剥離していたところがそのままだよ!!!」


北側抗口から5mほどの内部。漏水個所が増えている。
「珍しい腰下が煉瓦積み、天井は石積み」


石造りとなる夕筋隧道北側抗口。


 左右のピラスター(支柱)と一段競り上がるパラペットが門型を形成する安定したデザインだ。その趣は重厚で、煉瓦造りの南抗口と一線を画している。翼癖代わりの長い法面も特徴的だ。煉瓦積み程では無いが、石の隙間から鍾乳質が流れ出ていて、その範囲が広がっている感じがした。

管理道はここで途切れる。
北抗口を鑑賞した二人は、先ほどの夕筋踏切から国道6号に合流し、東善寺随道に向けて北上を開始した。

 震災のしこり

 
東禅寺隧道は広野駅の直前である。
 南側の折木川と北側の浅見川に挟まれた小さな半島のような地形の首根っこに二つの穴があいているような感じで旧線の東禅寺隧道、現行線の東善寺トンネルが並んであるが、実際にはこれまでの随道群より距離があって二つのトンネルはファインダーに収まらないのだ。

 この東禅寺隧道、震災の影響は全く感じられない。
相変わらずC62-48号機を格納動態保管したくなるような場所である。


「銘板が落ちてる!!!」
流石に改修後70年は経過している。
鉄板が腐るのも当然だよな。



この翼癖が終わると同時に、管理道も終了する



 続いて、東禅寺隧道南側(東京側)抗口。
 見事に調和した墓地公園と化している。


 だがよくよく見渡すと、東禅寺隧道前の田園は見渡す限り埋められ、雑草が生い茂っていた。やはり津波で浸水して稲作が不能な状態なのだ。


東禅寺の住職が隧道をお借りしている?標識柱。期間も延長されている。

 取り合えず写真を撮って隧道を通過、浅見川の護岸まで進んでみる。

「おお、何が起こった!」
 雑草と雑木林の中に東禅寺隧道が在り、その背面は一面幽玄な竹林がお寺の雰囲気にマッチしていたはずだが、草むらも雑木林も全て竹薮に埋め込まれていた。


 
いい感じだ。南側抗口から7割程煉瓦の天井が残る。


白いペンキの跡からうっすら
「東禅寺隧道」の文字が浮かぶ。
その下は読めない。


アーチ(迫石=せりいし)の4列の煉瓦の内、
2列目までがコンクリートで被されている。北側出口は天井モルタル仕上げだ。






 広野駅はホーム寸前まで津波が到来したという
駅よりわずかに低いこの隧道前にも、津波は北側の浅見川からもあがってきて東善寺随道にも一部津波が入ったのかもしれない。塩害に強い竹が北側抗口で大繁殖しているのも、その辺が理由ではないだろうか?。

「MRさん、ちょっと海岸線と、広野駅も廻ってみていいかい?」と、ふぉるく社長。
「大丈夫だ、問題ない」とMR、2台の原付きは海岸線に向かって走り出した。
ここから目前の折木川の河口までざっと0.6Kmほど。
「平地に家が無えぇ」ここからでも遠く河口の護岸が崩れているのが見て取れた。山沿いの比較的高い位置にぽつぽつと住宅が在るが。今走っている県道391号線から南の折木川沿いには電柱すらまばらだ。
 海岸線はさらに無惨の一言に尽きた。あれから3年、廃材が片付けられた以外に進展のない防波堤の破損に、
津波の無慈悲なまでに激烈な力は何万トンもあるだろうコンクリートの防波堤を基礎から引き剥がしていた。
 
広野火力発電所を望む北側は山そのものが津波に削り取られ、いまだ目測10m以上の高さで木が薙ぎ倒された跡が散見できる。



ここから広野火力発電者まではざっと3.5Kmほど。
写真左の山には津波で倒れた木や塩害で枯れた木が目立つ。



何も無くなってしまった折木川河口付近。
塩を被った土地には雑草以外に生える物すら無い。



「これが自然の猛威だ !」
防波堤は破損流失。
基礎から動いてしまって堤自体が傾いている。



 広野駅で付近住民から津波の話を聞いた我々は、ここで終点、往復となる普通列車を見送って帰路についた。
今度は6号線を南下し、道の駅よつくらで買い物を済ませて帰路についたのだった。

調査日(14/3/23)の状況:
 路面状況は優良、つまり単なる道路です。時折、ジモティが使う程度でしょう。その大部分が現常磐線の保線用道路と化しています。
 進入はお手持ちの広域ロードマップ程度で十分。館山随道
以北のルートは南側と違い、一方通行ながら基本的に侵入規制は在りません。明治煉瓦随道を御堪能ください。



さて、帰るか。



前回レポ。
07’雨の常磐線「旧線明治隧道群」
 

 
「道の駅よつくら、なう」
 ひと回り小さくなったと感じる道の駅、
速い復興が優先か?。