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竣工から一世紀以上。 色褪せた紅に、輝きを失った銀に崩壊の予兆を感じた末継駅南の随道郡。 果たして北側の随道群は?。 |
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廃道日記(Riding・Report)012 |
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"切妻"屋根が特徴的な南側抗口の末継隧道。 お粗末な薄いモルタルで捲き立てられた末継随道天井面。 煉瓦に染み付いた煤煙が、水分とともにコンクリートを侵食し、 黒いシミとなって模様を描き出す。 |
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相変わらず質実剛健な北側抗口。 だけど水没&崩壊。 |
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水没と剥落。 ここも西日が効くのか?漏水で凍るのか 煉瓦の痛みが凄まじい。 末継駅のホームから新旧のトンネルを見る。 やっは、古い方がひと回り小さいね。 Photo by Foruk なんじゃこれは? この中途半端なゲートはなんじゃ?。 |
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夕筋随道側のゲートに出る。 末継以上に間抜けな冊だが。 夕筋踏切前。ここが脱出ルートになる。 国道6号旧道の夕筋随道に出る。 新旧の夕筋トンネルを望む放置された箱。 |
、 夕筋隧道南側抗口。 手前の末継随道に比べこじんまりした感じを受ける。 趣の在る廃れ具合だ。 |
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前回と変化はない重厚な壁に短いながらも きちんとピラスター(支柱)がある。 |
後ろに回ってみる。 |
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錆過ぎて良く読めないが有名な箱らしい(笑 |
ピラスターは既に割れている。
これも地震の影響か? |
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何となく翼壁部分を登って抗口裏を見てみる。木の影に見えなかったが、ちゃんと抗口の両端はピラスター(支柱)の形状であり、パラペットを定石通りに挟み込んでいた。 |
空の明るさが染みるぜ。 隧道はいわゆるスプリングラインまでが煉瓦、そこから上の天井が石造りだ。 したがって退避抗は煉瓦製。 |
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「前回剥離していたところがそのままだよ!!!」 北側抗口から5mほどの内部。漏水個所が増えている。 「珍しい腰下が煉瓦積み、天井は石積み」 石造りとなる夕筋隧道北側抗口。 |
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「銘板が落ちてる!!!」 流石に改修後70年は経過している。 鉄板が腐るのも当然だよな。 この翼癖が終わると同時に、管理道も終了する |
続いて、東禅寺隧道南側(東京側)抗口。 見事に調和した墓地公園と化している。 |
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いい感じだ。南側抗口から7割程煉瓦の天井が残る。 白いペンキの跡からうっすら 「東禅寺隧道」の文字が浮かぶ。 その下は読めない。 アーチ(迫石=せりいし)の4列の煉瓦の内、 2列目までがコンクリートで被されている。北側出口は天井モルタル仕上げだ。 |
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ここから広野火力発電者まではざっと3.5Kmほど。 写真左の山には津波で倒れた木や塩害で枯れた木が目立つ。 何も無くなってしまった折木川河口付近。 塩を被った土地には雑草以外に生える物すら無い。 「これが自然の猛威だ !」 防波堤は破損流失。 基礎から動いてしまって堤自体が傾いている。 |
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さて、帰るか。 |
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「道の駅よつくら、なう」 ひと回り小さくなったと感じる道の駅、 速い復興が優先か?。 |