プロローグ

 
時間は、既に2時になっていた。
 強行、いや凶行突破のツケは以外にも軽く、シフトペダルが90度外側に曲がっただけだ。
一昨年痛めた足も大丈夫そうだ。
 工具ザックから19のコンビスパナを取り出し、メガネ側をペダルに当て込んで逆方向に曲げ直す。アルミなら折れている所だ。

 俯瞰で写真が欲しいな?と思い、吸い殻を仕舞うと、ヘルメットに右手を通し、単車に跨り走り出す。サイドミラーに映る青一色の大空と眩しい太陽が、夏の始まりを告げている。
角度を直し、いや撮影方向に向けて距離を計り、おもむろに単車を停めて振り返る。

 カメラは覗かない。

 ハンドルのマップケースから煙草を取り出し、改めて火を付ける。

 エンジンを切ると、己が動きに併せて響く鈴の音と、風になびく森の音・・それは草の葉鳴りや小さな羽虫の羽ばたきや風に唸る木々の音が・・・耳に飛び込んでくる。
一度俯瞰し、改めてレンズ越しに合成時の分割パターンと合成部分を割り出し、流し取りの要領で右から左へ4枚ほど撮影する。
 実質3枚で組み上げるが、ピンの合った写真を一枚念頭に入れておく、いつもの手法だ。

「2時か・・・」煙草の煙が風にながされてゆく。ずんぐり黒いハチが、その煙を避けるかのように蛇行して飛んでゆく。
「燦さん達は、今どの辺かなァ・・・」
一月遅れのGWは、早くも1/4を消化していた。






06.07/08
国民宿舎梅花皮荘
Repo&Photo
/MR



国道399号線(県境は酷道区間もあり「国道を行く2」に掲載されたが、
あの程度は
この辺じゃ普通じゃねーの?)写真は最も道路状況の良い
茂庭地区。先の標識から右に曲がる茂庭関林道。
(福島側を焼松林道、宮城側を鳥川林道と言う様だ)

7日の理(ことわり)
ss-1

 
燦さんと話が飯豊と決まって直ぐに心躍ったのは、ようやく南蔵王に足を向ける機会が訪れたと言うことだ。
 HPの管理人という性格?上、どうしてもお客さんウケを狙ってしまう性癖を解消し、健全なイチライダー(どんな奴なんだよ?それは)と書いて、健全なライダーほど日和見でネガティブな奴はいないだろうな?
などと思ってしまう。


とうがい森林道入口。ここまでは良く通られる方も多い。
 本来、
 ライダーなんてアウトローもといアウトライダーじゃなきゃ(例えどれ程紳士的であろうとも?)イケないのでは?その上、廃道を好むなんてライダーの中でも異端中の異端だろうし。
元を正せば、異端の所行をHPで紳士的に見せてどうする?
 やはり林道に目線を戻そう、そう思った南蔵王行きだった。さほど方向違いでもないし、時間があるから赤湯か上山でソバでも手繰っていこう、なんだ普通の林ツーじゃないでスか?
と自己完結して望んだ。望んだハヅだった。(笑

 当日の朝は、急遽決まった朝5時の早朝工事をこなして、そのまま旅路に付いた。
 仕事から解放されたのは朝7時半すぎ・・・雲一つない良好な天気のもと、摺上川ダムの手前、茂庭から七ヶ宿に抜ける茂庭関林道とその枝道である
とうがい森林道を様子見にゆく。


開削当時、大きく崩れた斜面は緑に包まれていた。
林道は道幅一本分外に移動している気がする。
路面は良好である。


アルバム


焼松林道で県境越え。


見るたびに小さくなる標柱。


とうがい森(1。


とうがい森(2。



「大深谷(おおみや?)林道」入口は写真右!!。
深いジャングルに包まれているが、一応
七ヶ宿スキー場に出る。
左が「とうがい森林道」本道と思われる。


「大深谷林道」昭和56年竣功
福島営林署。


「大深谷林道」を望む。
赤線が林道です。

「とうがい森林道」
茂庭関林道の支線である林道で、95年頃までは大深谷林道を経由して七ヶ宿スキー場に通り抜け出来た。
98年頃、文字の地点で岩盤の法面崩落、道路上に高さ3m程度の岩盤が鎮座する。以後、他の部分も崩壊し現在は廃道状態。MRの最終通過は03年。



「とうがい森林道」分岐点より来た道を振り返る。


 2003年以来のとうがい森林道は緑のヴェールに包まれ、前世紀の表情は見る影もなかった。今回、HP編纂の都合から訪れ、起点にて改めてこの林道が「大深谷林道」である事を確認した。しかし、もはや林道はジャングルと化して、その通行を拒絶していた。
やむなく撮影のみして、茂庭関林道に戻る。

 次に七ヶ宿町関地区にて国道113号線を横断、遠刈田温泉に向かう県道51線から不忘山林道に入った。
今日は本当に空の高いいい天気だ。
「今日はまっとうな林ツーをやろう・・」
少なくとも、若葉の緑鮮やかな不忘山林道から湧水清らかな船引峠を越えるところまではそう思っていた。


路面は良好である。
本当に、横川堰の銘板に
三島閣下の名前を認めるまでは、思っていたのだ。
  そのまま南蔵王林道を下り切り上山に向かえば、当初の予定通りお昼にはソバにありつけただろう。

宮城県道51号線。ロードバイクが軽快に走り抜ける。


不忘山林道。
詳細なレポは林道日記にて。


横川の清流。釣り人が多い。


横川を離れるとガレる。

船引峠への登り。なかなかに凶悪。



美しい渓谷美を多彩な橋から堪能する。


しかし、奇しくも野辺山林道から登り、芳刈林道で「通行止」の看板を見ると、止せばいいのに悪い虫が出た。
高森林道をすんなり諦めたのに、セオリー通りとはいえ崩れた所まで逝ってみようと思ったのである。


船引峠から上山を望む。
 嗚呼,廃ライダーの性なのか・・・。
 予定調和のように突入してしまう。ここも通行不能区間、平たく言えば廃道と道義である。突破には撮影を含め2箇所で1時間程度費やした。



横川堰と船引林道。
「奈良崎が夢見て、三島が託した置賜の未来」先人の礎、此処に在り。
山形の道には、三島が付き纏う。



怒濤の野辺沢・芳刈林道。差王エコーライン裏に潜む罠。(違w


 その上、蔵王エコーラインで旧標識を撮ったり、赤湯に向かう国道13号線で破損した吉田橋を見つけて撮影してしまう。ますます時間は詰められてゆく。

しかし、その割に圧迫された感情はない。

 緊迫しているが、焦って無く、むしろ楽しんでいた。だから、先に道の駅飯豊で休憩をした。喉が乾いていたし、
定番の牛焼きが恋しかった。
朝4時に家を出て以来、美味しく頂いたのはイオン飲料と煙草だけなのだから、当然だろう。

 何故、こうも一人で走るとベッタリと走り詰めになるのか?煩わしい日常からこうも逃避したがるのか?
自分の面倒と尻拭いしか、したくない。
と、思いつつ・・・・
 ここで会社や家族にお土産を買って発送する。無駄に金を使っているなァと思いつつ、林道走行でボロボロになったチーズケーキは食べたくないので送ってしまった・・て、俺は俺の心配しかしてない(笑w


山形県道14号との分岐点。
振り返ると・・・。


おお、白看板!。


吉田橋

 この「吉田橋」は明治13年に前川に架橋されたもので、後年に奥羽線中川駅が近くに出来ている。総石造りの眼鏡橋(アーチ型橋)で、初代山形県令三島通庸が命じた土木工事の一つである。
 長さ7間(12.6m)幅4間(7.2m)高さ8.8m。アーチ型橋の上部に和風の欄干と飾り石を配置する和洋折衷様式である。当時山形県内に架けられた65箇所の橋で現存する11橋のアーチ橋の一つである。上山市内には、他に小岩沢地内に「小巖橋(通称:蛇橋)」が現存している。吉田橋は、明治の名工「吉田善之助」の設計・施工した石橋の愛称とも言える。三島の命で数多くの橋、隧道など土木工事をこなした山形土木史の巨人である。
                    (吉田橋袂にある県の案内板より抜粋)



一言に総てを語る「吉田」の文字。



おそらくは水道管?出来れば別にして欲しい。


明治13年架橋、100年を越えるに未だ健在で平成の車を通す。


しかし吉田橋は
「事故で壊されていた」
速やかな補修を望む。



事故るなよ、こんな所で。


もう橋は歩道にして残して欲しいな。
ヘタクソの被害が増える前に。
つーか?直せるのか?



県の案内板がある。


山形新幹線が通り過ぎる。架橋当時、後に橋のたもとを時速200Km/hの弾丸列車が通るとは名工吉田善之助も思うまい。


 リアのお手製ツーリングボックスには林道で振られても酒を持って来ているというのに。
まあ、あとは小国経由で一時間・・・。と思って居た所。

宇津峠に出会ってしまう。


「ぎゅうくし〜」
旨いんだな、これが。




道の駅飯豊の一角にある牛串屋。コロッケも美味しい。
先程まで凄い行列でしたが、何とか人が途切れた所を撮影。



ある峠のデジャブー
ss-2


宇津峠小国側抗口。下に見えるのが現トンネル、零度君は誰もいない旧道に佇む。
正面に工事看板が見える。



 
宇津峠は、私にとって心の片隅に刺さった棘のような場所である。
 しばらく、刺さった棘が膿んでいる事すら忘れていたが、さるレポートで棘がそこだったことを思い出した。(オイオイ・・・


平成4年完成の新宇津トンネル。看板の役目が建設中から在るだろうから20年近く建っているのでは?

 まさかこの時、この宇津峠が今回のツーリングのキーポイントになるとは、夢にも思わなかった。
地図上から現宇津トンネルに旧トンネルがあることは解っていたのだが、実際に行こう!と旧道に入ったのはトンネルを抜けて小国側での事、実際には旧道上に標識が残っているかも?と思い突入したのだった。
「もしかして、旧道のトンネルは通れるのだろうか?」
 旧道の入口には広いパーキングがあり、そこに昭和頃に建てられたと思われる現トンネルの工事看板「新宇津トンネル完成予想図」があった。普通工事が終わると撤去されるレアな仮設看板は、ここでは永年設置されていた。このパーキングから林道が一本延びていて現地の案内板を見ると、これがどうも越後街道の一部らしい。


越後街道十三峠案内板。見事なまでに「旧宇津トンネル」が記載されていない。新トンネル開通に併せて建植したのだろう。

無論江戸時代からとはいえ、現在の林道は車道として経線変更されてはいるだろうが。

 取り合えず旧道・・っと思ったがガードレールの向こうはさながらプランター状態で、旧道から標高をあげる林道に向かう。と、林道から工事現場の仮設道のような抜け道があり旧道に復帰できた。
 復帰した所は丁度橋「宇津橋」の上。
 何故か下り線側(南東側)の欄干が無かった。かつて欄干の柱が在ったところには穴が空いているな?と覗き込むと既にガードレールは宇津川に身を投じた後だった。雪国ならでは?とはいえ、ここまで見事に落ちているのを見た事がない。


明治期の旧街道?が残る。
一時旧道を離れ、現林道(笑
へ。



入口には旧街道の看板。


写真左は旧国道へ。
そのまま登るは明治旧道?。



旧宇津トンネルへの
エスケープルート。



旧国道に復帰(笑w。



旧宇津トンネルと宇津橋。藪に浸食されつつ、未だここにある。
写真右手の標識には「宇津橋」の文字が踊る。



銘板には珍しい青色の文字。

抗口には強固なフェンズが設置されてある。


 藤棚と化した余生を送る電光掲示板が、こちらを見ている。その奥にいまだ毅然として構える抗口があった。コンクリートで強固にガードされた入口と共に。

 その横から右(南)側に延びる林道の途中に、山菜取りであろうか?カローラが停まっている。気にせず単車を寄せて停め、カメラを手にウロウロする。
「扁額は何処だ?」
 珍しい、抗口横に青くエッチングされた扁額を見て、思い出した。


カーブ注意の電光板には背中に風雪防護板が付いている。



再び林道区間に。軽やかに峠に向かって進んでゆく。
写真右手はコンクリート橋である。




リンク先のヨッキれん氏のサイトレポがあり読んだことを、あの棘と共に漠然と思い出した。
「ここも
三島閣下の経線提案した道だよ」
そう、しかもここのトンエルは例の
「コンクリートに青筋が出ている」トンネルである。「スメクタイド岩盤」という特殊な地層を貫通してしまった故に僅か15年程で放棄されてしまったトンネルなのだ。その崩壊の過程は現在進行形なのだが、未だ坑内はクリアーな視界を有し、反対側の抗口が眩しく見えた。
「取り敢えず、林道回って赤湯側の抗口撮るか?」
独り言を言いつつ頭の中でヨッキれん氏のレポートを反芻するが、多分林道は途中廃道状態だったような・・?と、
 視線を感じて振り返ると、例のカローラと目があった気がした。

 相手はバックミラー越しにこちらを観察しているのか?後貼りのスモークフィルム越しでこちらからはよく見えないし、覗き込むのも失礼というモノだろう。
何げに踵を返して単車に跨り、その場を後に林道に入っていった。


最初は緩やかに登って行く。


時折、ヘアピンで標高を稼ぐ。
その途中には伐採道の枝別れ。




さらに、緩やかなS字を描いて登って行く。


 林道を山頂まで上り詰めたが、高圧鉄塔のある広場の奥は完全に藪に没して、この時間からの突入を諦めざるを得ない状況だった。
 地図を見ると、やたらに林道とおぼしき点線があるが、現地で道として認知できたのは2本、伐採道のような風体で通過可能か自信が持てない。そして、何か記念碑らしき所が一箇所。
 
何かの記念碑がある。解説の看板が倒れて仕舞い、解読不能。

 
やむなく戻ると、丁度先程のカローラがトンネルから林道に戻ってくる所だった。
「おかしな奴だな・・え!?」
ドアのガラスには目張りとも思えるガムテープが見えたのだ。
「じ・・・自殺かな・・・昨今流行の?」
零度の時計は4時を示す。
 イヤな雰囲気なので、反対側の抗口をそそくさと撮影すると、再び小国に進路を向けた。


頂上付近にある電波塔群。
藪に包まれて旧道が在るはずだが・・・時間切れ撤退!



そして、県道15号へ!


ありし日への巡礼
ss-3

 
零度君を国道113号線から県道15号玉川沼沢線へと引き離す。
 大平の部落から桜峠という美しい名前の峠を抜け、極楽峠を一時県道8号の子持トンネルに迂回し、滝の湯から県道15号に再接続、百合沢から樽口峠に向かう。



 子持トンネルはまだ開通間もない時期にBajaで迷い込んだことがあり、その時は白河ダムを跨ぐ叶水大橋がまだ架橋中でトンネルも路盤だけが砂利のままだった。工事中では在ったが地元の方のために車を通していた感じだったことを覚えている。

 この一連の峠道は相変わらず道幅狭く、経線の複雑な一昔前の峠道だったが、夕日の沈む前に樽口峠に登るべく、先を急いだ。
 デジカメは光量に敏感である。少しでも明るいうちに撮っておきたかった。上手く夕日が拝めればお慰み、と言うところだったが、夕暮れ迫る峠は雨もパラつく生憎の風景だった。


桜峠と大平峠へのY字路。
右というよりヘアピン。


真に「険道」と言うべき15号。
とてつもなく狭い。


横川ダム沿いにある「叶水トンネル」を抜け、Uターンする様に橋へ。


県道15号極楽峠のバイパスとなる「叶水大橋」とその先にある「子持トンネル」
「極楽」のバイパスは「子持ち」とは、恐るべきネーミングセンスだ。(笑w


 しかし駐車場には人の居ない軽トラ1台のみで、雄大な飯豊山系と壮大な雨雲を独り占めにしつつ、ここでも取り敢えず一服する。


時間切れとも言える夕闇迫る樽口峠。何かだだっ広い所だな・・その理由は翌日判明する。

 これもまた昔ながらの狭い峠を下ると、今夜の宿泊地でもある梅花皮(かいらぎ)荘に向かうのだった。


子持ちトンネルを抜け、県道15号に復帰予定で進む。


樽口峠の袂に到達!



誰もいない展望台から飯豊山系を望む。晴れたらいい場所だろうが、人も多そうだ。




後半戦に続く!





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