プロジェクト”Web"

2004.5/16


そこには、ダート者全てが夢見悦楽があった。
そこには、
浪漫をくすぐるささやきがあった。
そこには、人生左右するめくるめく迷路恐怖があった。


PROJECT-1  旧国道13号線「万世大路」探査ツーリング


国道の新旧交代から40年、
かつてはバスが通る旧道は、今も森に侵蝕されつつ存在する。

 プロローグ

1


 掲示板で意気投合して「なぜ今更?」なのかは解らないが、とにかく話は始まった。こんなマニアックな疑問に?とは思うが、「今はどうなっているのだろう?」という疑問は、「ダメもとでも自分の目で確かめてみよう!」という思いと変わる。趣を同じくする友人が居て、その思いは極めて現実的な企画として動き出した。つまりは「実際に行ってみよう」という決断である。
 と………えらいごっつい話の
ウラでは、
「ダメなときでも楽しめるように、焼き肉とビールを持っていこう」
「近くは温泉の宝庫だし、折角だから温泉にも入ろう」
「たいした人数もいないから、出たとこ勝負で行きましょう」

って、
一体どの辺が「探検は漢(おとこ)の浪漫」なんだよぅ!というコトになってしまいました。(これが男の浪漫の実態なのか?)
時は春も半ばの5月。雨にたたられ1週間延期したこの企画は、一体どうなるのでしょう?

 MR的「廃道」とは?

2

 ここで今更ながらに廃道・古道を再定義してみよう。

 双方とも言えるのは、昔は使われていたが今は別にルートがあり、利用頻度の低い道路というコトだろう。
 極めて個人的な見解としては、明治維新と共に車の文化(駅馬車のような「車輪が付いて、在る程度の大きさ(たたみ2畳分を目安として)があるもの」を指す)が一般・地方に普及をする頃、つまり道路に対する認識、求められる汎用性が大きく変化した頃を境に、それ以前の道を「古道」と言って良いのではないか?と思います。

 したがって、古道は現在でも遊歩道や登山道に名前を変えて人々に利用されたり、または元の山に還ったりするものでしょう。

 一方廃道は、勿論今の古道でにも廃道となった処があると思いますが、この場合は明治以後に自動車文化の隆盛と共に作られ、更なる発展の名の元に捨てられ(廃棄され)てゆく道路を主に指すと思います。特筆すべきは、昭和40~50年代の経済の高度成長期に流通の発展と共に道路需要が飛躍的に増大を求められ、故田中角栄元総理大臣の「日本列島改造論」などに象徴される道路行政の、ある意味横暴とも思える程の道路整備事業の恩恵(弊害?)の産物とも言えるでしょう。しかも現在進行形なのですが。


また同様な理由で鉄道にもこれが当たる(廃線)と思われます。



東栗子トンネル福島県側から突入。
この部分は接続林道で旧道13号線では無い。


これか?直進が本来の旧道13号。
既に自然に帰りつつある。
画面左側には
草に隠れて明治時代の土留めの石塁がある。



今回の調査隊の全貌(爆)車両3台とバックアップ隊員熊さんと愛娘小熊ちゃん(本日のヒロイン)。



 国道13号線「万世大路」よもやま話。

3

 今回の企画にあたり、国道13号線の変遷を観ると、先ほどの定義同様のことが伺えると思います。元々、新たに建設される「東北横断自動車道、福島〜米沢間」のルートが実際に工事が始まると、元の旧道と重なる為に入れなくなるのでは?という危惧が発端でした。
 実際には現在の栗子トンネル程度の標高なので、より高い旧道栗子隧道の下に新たにトンネルが造られるコトになるようです。

 旧栗子隧道「万世大路」は、明治9年に当時の県令(現在の知事に当たる)三島通庸によって作られました。当時の県令と現在の知事との決定的な違いは県令は明治政府直轄の役人であり、特に三島通庸が顕著にその国政を地方に強力(横暴?)に推し進めていた処が随所に見られます。
 先に山形県令となり後に福島県令も兼任する三島は、この区間に大量の物資を流通可能な交通網の整備を掲げ工事に着手します。
 アメリカ製の当時最高級の掘削機械を導入し、オランダ人技師の元で強固な岩盤と想像を絶する自然の猛威に苛まれながら、隧道は明治13年に完成。14年に接続する全線が開通し、明治天皇がこの地を通り「万世大路」の名称を与えました。
工事には地方からも多額の費用と人員が費やされ、三島はその強引な手腕で「鬼県令」と呼ばれました。(彼には他にも福島事件や宇都宮事件など、明治政府の名のもと強引な中央集権主義が見て取れる)



二つ小屋随道南側(?)入口。
写真右に慰霊碑らしきものがある。

 その後、動力付き自動車の普及と共に、昭和11年に新たな栗子隧道とルートの一部が改修されます。やがて福島〜米沢間にバス路線も開通しますが、元々は馬車用の道路とトンネルですから、大量の車がもっと楽に上れるようにルートそのものを変えてしまう必要がありました。

 やがて、昭和42年に栗子ハイウエー(「ハイウェイ」ではない(爆)現在の国道13号線東西栗子トンネル)が完成し、万世大路は旧道となります。今回のお題は、国道の座を譲るまでの約40年間使われていた旧道ルートです。

 調査隊、突入!

4


 当日は3.5人のご参加を得ました。気温22℃ 湿度70% 天候晴れのち曇り、夕方から雨、降水確率0/40%.
 7-11でお昼の主食を買って林道突入前に記念撮影して出発。本日の行程は東栗子トンネル脇の林道から旧道に突入。二ツ小屋隧道を経て本命となる栗子隧道福島県側に到達を目標とします。栗子隧道は年度不明ながら現在は崩落のため通行が出来ません。今回の隊員でもあるSJ30V様の記憶にも「10年位前には通れた」とのお話で、他にも今回残念ながら不参加のふぉるくろーろ氏からも同様の発言があり、どうも平成4〜5年に崩壊したと考えていましたが、どうやら昭和47年頃に既に崩落していたらしいです。



逆文字に並ぶ随道銘板。昭和9年3月竣工とある。
昭和10年の区間改装時の銘板のようだ。

内部の状況

天蓋が瓦解し、滝のように降り注ぐ雨水。


よく観察すると金網のような先にもう一つ
コンクリ壁?が見える。ほぼ中央接続部らしい所。
外周全体に段差が在る。
 ネットでのアーカイブを検索する限り、近年オートバイで到達したのは某ORRの管理人様のみと言うことで、いやが上にも期待は高まるおいらであります。午後から雨の予報でもあり廃道探査は午前中勝負ですね。旧大滝根村(地図上は大滝)からのルートは現行国道13号に分断され、橋落ちもあって生きてるルートではありません。
現在は高速道の工事道路のため通行止めらしいです。あとは廃道で一番の問題と言えば、植物の育成状況だろうと意見が一致。後はこの目で確認するだけとなります。林道を駆け上がる順番に参加者をご
紹介しませう。
 先頭の95'XLR250baja改は本日隊長を仰せつかりましたMR、おいらです。続いて速くもモーグルのヘアピンで苦闘するSJ30Vさんは今日は名の如く2stジムニーで参加(ハンドルネームはジムニーの型式番号なんです)本当の予定はWR250Zなんだけど。最後にバックアップ隊員で長年の友人熊さんと本日のヒロイン愛娘の小熊ちゃんがのる660ジムニー(JB23W)。
 林道から入って600mの所で旧道との分岐、旧道の下り側はほぼ廃道状態で自然に帰りつつありますが、林道側よりも道幅自体は広い様です。ざっと幅3mはありますね。1.2Kmほど登ると突然前方に「二ツ小屋隧道」が現れます。
「二ツ小屋隧道」は明治14年に作られ、昭和11年に拡幅工事が施された隧道で、福島県内で存在する通行可能な隧道の中で最古の部類に入るものです。
 煉瓦で門柱を象るモダンな作りの開口は幅約6m・高さも同じくらい?ですな。電灯が付くらしい架線の跡があり、隧道長は大体300mほどで苔むした銘板には昭和12年竣工の文字。入口には施工当時に亡くなられた方の慰霊碑?がありました。



南側から入って最初の崩落点。



小川状態の北側出口。天井の瓦解部分が見える。完全に穴が空いているのだ。