プロジェクト”Web"

2004.5/16


そこには、ダート者全てが夢見悦楽があった。
そこには、
漢の浪漫をくすぐる甘いささやきがあった。
そこには、
人生左右するめくるめく迷路恐怖があった。


PROJECT-1 旧国道13号線「万世大路」探査ツーリング
 
第二部

「二ツ小屋隧道」は明治14年に作られた道路で、昭和11年に拡幅工事が施された隧道で、福島県内で存在する通行可能な隧道の中で最古の部類に入るものです。
 煉瓦で門柱を象るモダンな作りの開口は幅約6m・高さも同じくらいですな。電灯が付くらしい架線の跡があり、隧道長は大体300mほどで苔むした銘板には昭和12年竣工の文字。入口には施工当時に亡くなられた方の慰霊碑がありました。

(後日これは明治天皇御来行の休憩場所を記した碑と判明しました>MR)




沢山飛んでいたセミ、熊さん素手で捕えるとは!
もしや貴方様は南斗五斜…失礼。


鳥川(からすがわ)橋。本体はしっかりとしている。
昔は一級国道、今は駐車場。


後づけと思われる欄干は崩壊が激しい。
支柱まん中に2本鉄パイプが貫通する穴が在るが、
戦時中にでもとられたか?痕跡すらない。


画面左側が陥没し無理矢理こうなるコーナー。
写真撮影位置で入れ替えて曲がる。

 危険なので2台一組で入ることとなり、まずはおいらとSJ30Vさんが突入。内部の崩壊は激しく写真を撮りながら進むMRの手にも冷や汗が、というより漏水で内部は雨のようですなぁ。4カ所の落盤があり、特に中央の繋ぎ目?の段差のような部分と北側出口(だと思う)の天蓋崩落は見るも無惨な状況です。北側出口は横ののり面も崩落し雨水が流れ込んできて、トンネル出口はさながら小河のせせらぎのよう。しかも緊張して入った後にジモティが難なく普通車で通過するのを見てかなりの拍子抜けでした。山菜シーズンだものなぁ。
 4つのタスク「橋」

5


 約2.5Km付近でを通過。欄干のコンクリートは瓦解し、剥き出しの鉄線が歳月を物語ります。
当時、大滝根村から登ると栗子隧道まで都合4つの橋がありました。下(福島側)から順に新沢橋・鳥川橋・大平橋・拮甲橋といい、今回は途中進入のため新沢橋が割愛されています。つまりこの橋は鳥川(からすがわ)橋と言うことですね。明治14年に建造され昭和11年に掛け替えが行われた橋であり、現在は山菜シーズンに駐車場と化していました。



王子製紙の土地看板?
製紙会社は各地でこうした山を管理している。



景色よく開けた所に測量用の仮三角点?
現在建設中の高速の測量点か?


相路肩に寄せると堆積した泥でスタックする。
写真奥の軽トラも実はほぼスタック状態。

 ここからはまるで人が変わったかのようなルートで道幅も半分程しかなく、モロ林道です。路盤崩壊のためジムニーすらスイッチバックするコーナーを抜けると、予想通りに植物が道路に覆い被さり始めていました。バイクはともかく、なりふり構わず新車で薮に突っ込んでくる熊さんには脱帽致します。
残雪雨上がりと言うことで泥濘も多く、バイクはハンドルを取られがち。グリップしそうなところはガレている状態でした。

 昭和41年まで福島〜米沢間の路線バスがここを走った記録があるのですが「うそだろ?」という感じです。ちなみに区間全長は44kmで所要時間は2時間20分だったようです。現在の国道は30分かからないよなぁ。

 緩い下り坂で何と山菜取りの軽トラと対面、僅かな薮の隙間にバイクを寄せるとズブズブとフロントタイヤがぁぁぁ〜沈没!。薮の奥に道幅が解る所で目測2mちょっとの半分程が林道でしたが、薮側は沼のような泥濘部分でした。

 車高が下がってキックペダルが踏み抜けずに始動出来ないので、取り敢えず後続のジムニー2台を先行させます。ジャケットを脱いで大汗かきながら再始動、セルモーターが恋しいひとときです。

 突然、最終回???。

6


 そこから100mほどの入口から約10.2Km程で突然道路は通行止めとなり、林道は雑草に覆われていました。しかしよく見ると人が歩ける道があり、まずはバイクで突入。
 状況を見ながらといいつつ薮が深くなったので、こいつはダメかと回頭したところに歩きでSJ30Vさんが来て、そのまま薮の奥に
「一寸先行ってみてきます」すげえ!と思いつつバイクのエンジンが停止。
5分くらいでかけ直すと、10m位先でSJ30Vさんが手招きしている。

「大丈夫みたいですぅ〜」というので、再び薮かき開始。「何か立場が逆だよなぁ」と思いつつ追いつくと、やられた、と言う思いがよぎる。 目の前の道はなく、5mほどの眼下には沢が! どうやら道が川に流されてしまったようだ。



道路が寸断された地点。写真右側に在る部分がほぼ一本橋状態。


ジャングルにぽっかりと開くコンクリート橋。


高さは5〜6mくらい。一部石垣が崩壊している。
イワナらしい魚影も見える。

SJ30Vさんは徒歩で更に奥に進みますが、元々この道路自体が石垣と盛り土で組まれた台形の道路であり、大体長さ10m・幅約3mのすり鉢状に沢に崩れた道路に、僅かに残る通行可能領域は長さ4m、幅30センチの一本橋?状態なのです。まずは気を取り直して写真を撮ると、SJ30Vさんが「二つ目の橋在りましたよ!」早速バイクを置き去り確認にゆくと、あった!二つ目(本当は3つ目)の橋「大平橋」である。
 最初の橋同様コンクリート製で、幅約3.5m・全長は約150mぐらいである。鳥川橋同様、明治14年竣工、昭和11年改修が行われている。大平橋と拮甲橋は開通当初モダンな鉄製の欄干が装備されたが、恐らく豪雪のため破損が絶えず、昭和の大改修でコンクリートに作り替えられていると思われる。鉄製の欄干の表札は無惨にもはぎ取られているが、昭和19年に鉄器徴発にも遭っている筈なので2回目なのか?と推測される。福島側の欄干土台が崩落し、アプローチはジムニーが一杯の幅しかない。本日の状況ではこの辺が限界かな?と考える。バイクが2台出てれば思い切ってゆくが、熊が徘徊する地域での単独行動は危険である。

 なにより、さっきの
崖上一本橋が危険すぎる。せめて前後に大木が在れば、ロープと滑車を使ってバイクごと命綱を組めるのだが。

 嗚呼、しかも天罰テキメン!。

7


 薮に置き去りにしたバイクまで戻りキック一発!その瞬間妙な挫骨音が聞こえブーツが空しく中を蹴る。え!何?と見ると「キックペダルが折れてる〜〜!!」思わずSJ30Vさんと顔を見合わせ唖然呆然。どーすんだよ、おい!と自問自答してしまふ。  薮の中では押し掛けもままならず、300mの薮を押して突破!よく見ると周りは毛虫だらけだ!声にならない悲鳴である。通行止め部分では熊さん親子が待ち草臥れていた。


 この時点でお昼であり、ここまでで突入から2時間が経過していた。熊さんに事情を説明しここでの昼食は危険と判断し、五色温泉まで後退(進軍?)する事となる。

既に事前調査で米沢側は砂利採取場が休日休みの際は門が施錠され入っていけないことが解っている。そしてこれも確定的にここからはすべてエンジン押し掛けである!はふ〜! 

 栗子西トンネルをぬけて板谷から五色温泉に駆け上がり、旧五色スキー場ごしの空き地でいきなり店を広げ、焼き肉を始める。目の前に温泉と言うことで発泡○が振る舞われ、楽しいお昼の時間である。小熊ちゃんも一生懸命おにぎりをほおばる。食べ飽きるとたんぽぽの種を吹いて遊び始める、まあ、2歳半はこんなもんでしょう。



後ろ向きになったキックペダル。もはやこれまで?


 親熊さん共々五色温泉で風呂に入り極楽気分を味わう。なかなか気に入って頂けたようで、おいらもほっと一安心である。
この後、さらに驚愕の事実に遭遇するが、まあその話は確定が取れてからお話するようにしましょう。

隊長:「酒池肉林道(洞)調査隊、今日もゆく!」
突撃隊員:「いいのか?こんなんで?」
バックアップ隊員:「いいんじゃない〜」



五色温泉でひと休み。探検後の風呂は格別だねぇ。
お客さんが居た為に当日の撮影は出来ませんで、前のアーカイブで。