「戻って入浴してみた」。
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●移り行く歴史の温泉。
最初は間違えました。
再確認ですが、飯豊連峰の南側、会津山都にあるのが「飯豊鉱泉」、北側の山形小国にあるのが「飯豊温泉」である。
飯豊鉱泉、鉱泉と言えば、あの赤いお湯"鉄泉”ですよ。 会津はかつて鉱山王国ともいわれ鉱泉も数多く存在しましたが、今では鉱業そのものが衰退し、鉱山労働者が温泉を利用するコト自体、話を聞かなくなりました。
いいとこ、スパリゾートに衣替えというのが、殆どではないだろうか?
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作りは普通に「国民健康保養温泉」
真ん中に身障者車いす用のエレベータを持つ合理的な設計。
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鉱泉は温泉より効能がありそう、でも源泉温度は温泉法で温泉と認定されるギリギリの温度で仕方なく沸かし湯?が多い。
それはつまり設備に負担が掛かると言う意味合いから、古くからの鉱泉旅館はご主人一家の老化とともに衰退し、いまや風前の灯火なのかもしれない。
また、そんな温泉宿を支えていたのは、古くからの登山者の方々です。
残念ながら、戦後の第二次登山ブームの頃に各地に出来たそういった温泉宿も、ブームが逝くと共に廃れて、かつての様な繁盛が望めないのかもしれません。
今回訪れた飯豊温泉も、戦前/戦後と隣り尾根とも言える与内畑鉱山を筆頭とする鉱山地帯のまん中で、尚かつ霊峰飯豊山の登山口にある温泉として栄えたのです。
しかし2008年頃に民宿の飯豊鉱泉は廃業したらしく、その役目を村営の温泉施設に移譲したと言えるだろう。
すぐ近くを造成される「大規模林道飯豊檜枝岐線」がもっと早く完成していれば"あるいは"延命で来たのかもしれませんが、完成が大幅に遅れた今となっては、意味の無い事ないコトかも知れません。
個人的には、林道なんて砂利道の方が良いのだけれどね。
温泉の効能?ですっかり文字の抜けてしまった源泉浴効能表。
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一階下に降りると再びのれんを潜る。
立て札側は先程のエレベータへの通路。
6人分の洗い場が別に誂えてある、
内風呂は二つ。無色透明の循環湯と源泉湯だ。
写真手前が源泉湯。
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「見よ!この色の違い!!!」
写真左の循環湯は名の通り源泉に加水して塩素を通して殺菌したもの。
右の源泉湯は文字通り加水無し。実はけっこう熱いが、効きそうだ。
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かつての鉱泉から戻って、村営温泉施設「いいでの湯」に浸かってきました。
熱塩加納村からだと、逝くのがまた一苦労。今回は一部林道マニアに有名な五枚沢林道に行く手前から左折し、
かつての名炭鉱与内畑を抜ける県道383号線を延々と、またこれがモんの凄い険道の極みみたいな道。もともとは林道、産業道路格上げで県道化ですね、この道は?
で、やっと本来のルートと言うべき県道385号(表玄関の道の方が後の番号?どんだけ産業道路優先?)線に合流、路傍に翻る「手打ち蕎麦」に視線を送りつつ、ものの15分程で到着する。
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「ああっ・・目が回るぅ」
家族連れが出るのを待って外へ。
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情緒溢るる露天風呂。
夏に来たときゃ空一面に"霞網の緑"だったものなぁ〜。
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ちょっと疲れが天井に見える施設ながら、なかなかに小綺麗。宿泊施設も在ると言うが、急な台風でキャンプ不可の際は飛び込みで大丈夫だろうか?などと考えながら、大人500円を払う。
実はこの温泉、二回目の取材である。初めての入浴は晩夏の8月末であった。しかし、山中の温泉に不可欠の惨事を防ぐ手だてが、
実に宜しくなかったので1年が過ぎて、今日の来訪となったのである。
そして、ロビーを抜けて風呂に向かうと、お約束通りに通路を階段で下がる構造で、お年寄りにも優しい専用エレベータも完備しているが、普通は階段オンリーである。 左の"のれん"の男湯に降りて行くと、変わった作りの脱衣所が在る。
何が変わっているかと言うと、囲炉裏の在る和室が休憩所として在る事だ。無論畳敷き、湿度の高い脱衣所に設けるもんじゃ無い様な気がする。
普通に座るベンチ、トイレやコインロッカーなどもあるので、広さもあって好感は持てる。
幸い、浴室には子連れの家族が一組だけ。早速脱いで、家族の居ない浴槽に浸かろう。
浴室の最初は内風呂、3面ガラス張りの内風呂には向かって左に無色透明の循環風呂、右に赤い鉱泉(源泉)風呂があり中央の一組の岩場で仕切られる。
その仕切の岩間からそれぞれの浴槽にお湯が絶え間なく流れ落ちてゆく。
湯舟に消える波紋と沸き上がる湯舟が印象深い。右の源泉に身を委ね、外を見ると硝子を隔てて露天風呂が在る。
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露天の湯舟に浸かりつつ、視線を右に・・・?。
ここにシャワー?。
打たせ湯だった(爆
しかもつぎ口が広く、お湯がバラけて落ちて来る。
全然ダメぽ。
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