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林道日記(Riding・Report)


ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。


このContentsは、適当に増殖します。

万座峠までのラスト2Kmは、稀に見る脆く険しい山岳道路である。何時崩れてもおかしくは無い。


林道日記(Riding・Report)

Si-101

山口入林道


極楽と呼ばれた万座温泉に
繋がる地獄の林道。


 
山口入林道は旧万座温泉への道路であり、昭和30年代まで現役でした。しかし、その険しい山道は度々崩れ、通行人を苛み続けました。
やがて草津から抜ける高原道路が新しく完成し、この旧道は山口入林道として余生を送っています。


標高1800m。万座道路の万座峠より尾根向いの笹ヶ岳を望む。笹ヶ岳の裏には志賀草津道路が貫通する。


●山口入林道
区間総延長:約7.7Km(全線未舗装)

概要
 現在の山口入林道は本来チェーンゲートによる封鎖が普通の状態である。しょっちゅう崖崩れが起こり補修や改良工事をくり返していた様で、ガードレールや路肩の補強コンクリートも真新しい部分が多い。因に某ツーリングマップル関東甲信越2001/4/2版ではゲート封鎖と記述されつつもお勧め林道とあるが、同誌中部北陸2004/4/3版では既にお勧めのチェックすら外され、一般車通行禁止とある。そこで「実際に行ってみた」わけだ。実は7年前には崩落通行止めでなんやかんやと10年越し3回目のアタックでようやく通過できた曰く付きの林道である。短いおいらの林道人生でこれほど通過できないのは南蔵王不忘山林道とここくらいなのだ。

 さて、始めて目にした山口入林道の第一印象は「よく作った」の一言に尽きる。谷底を見ると崩落の岩石に混じって土留めのコンクリートも見かける脆弱な地形と地質。森林限界に近く植物の育成が悪い故に保水力が低く、急傾斜によって諸っ中起こる鉄砲水。ある意味林道が在る事それ事体が山の損壊に拍車をかけているかのようだ。


起点。つい数日前まで通行止めのチェーンが張って
あったように見える。

路面状況は前半2〜3Kmがこんな砂利と赤土をくり返す。
斜度は20%近くあるのでは?とにかく急だ。

爆裂(確か)7連ヘアピンの一つ。画面左側が爆裂部分で管理者がブルドーザーで土砂を除けていたようだ。
沸き水が多く噴出し、また何時爆裂するか解らない状態で大変危険である。


 しかし、自然とは人間にとって厳しい環境である程、美しい表情を垣間見せるものである。崩れそうな岩隗に松が根を食い込ませ共存する情景は、自然の力強さを見せつける。また、このような道を徒歩や馬で湯治や輸送に携わった旅人の苦労や工事と補修に捧げられた先人の苦業を思うと、人の力の偉大さを感じずにはいられない思いである。


●支線ワサビ沢線(仮称)

区間総延長:不明(全線未舗装)

概要
 松川の沢沿いに出るとすぐにT字路っぽく支線があるが、林道標柱を確認するには至らなかった。地図を見る限り松川を上流に登るようだ。勿論工事中のためゲートがロックされていた。

工事看板による「ワラビ沢」なる川も手持ちの地図では確認できなかった。ちなみに、10年前の地図にはこの先に「奥日陰の湯」なる秘湯が記されているが、現在の地図には無い。

調査日(04/7/17)の状況:

 本当によく通れたものである。状況的にも何時、何処が流されてもおかしく無い状況だった。通れないと思って逝って見て、通れればラッキーという林道である。松川迄下りてくれば、あとの2Kmは普通の林道である。

松川に近くなると走りやすい。

ワラビ沢林道(?仮称)T字路。もう普通の林道である。

出口である七味温泉前十字路。奥に見える橋が終点(起点?)。


古 道 の 鼓 動

旧道・万座街道

林道・補足Trivia



七味温泉の山口入林道起点に立つ記念碑。時代に置き忘れられたかのようにひっそりと鎮座まします。

道には時として、

人よりも遠く深い歴史が存在します。

我々が生まれる幾世代も前の、

先人が残した道。

ふるきみち「古道」とは、

今のような機械設備も無く、

僅かな道具と、

気の遠くなる労力を経て造り出され、

管理者のたゆまぬ英知によってのみ、

現在に至る道なのです。


万座街道の碑
 
石碑の文章を記載(コメント)は個人的補足です。
万座街道・沿革

 山田温泉より松川沿いに、五色七味を経て原生林の中の急坂な山道を登り、眺望絶景の万座峠を越えて、海抜六千尺
(18,000m)の秘湯万座温泉に至る三里半の山道を古くから万座街道と言った。

 昭和28年、県道万座線が開通するまで万座への表街道の重要な役割を果たしてきたのがこの街道であり、湯治客や生活資材の運搬路として牛馬や駕篭の往来が頻繁であった。

 奥日影及び山田入地籍約一千七百ヘクタールの原生林に生い茂った樅
(もみ)(つが)(かば)(ぶな?パソコンに漢字がない)などの運搬や観光客のために林道の開設が奥日影森林組合によって計画され、昭和19年に着工、全長八千三百五十メートル(8.3Km)・幅員4メートル・総工費二千三百九十七万円をもって昭和34年に竣工した。(実に15年?)同36年高山村に移管されたが、七味より峠頂上に至る間の地質は極めて悪く、融雪・豪雨等の災害により通行不能の状態が多かった。

 特に昭和56年・57年と2カ年にわたる台風豪雨災害は三十三カ所に及び全線不能の惨状となった。これが復旧に当たっては国・県の積極的な協力指導により総工費一億五千二百余万円をもって見事に復旧、改良が完成し林道としての機能はもとより県境を越えての地域開発に大きな役割を果たすこととなった。

 ここに災害復旧工事完成にあたり関係各位に感謝し記念碑を建立する。

  昭和58年10月吉日 高山村村長 久保田常吉


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