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林道日記(OFF-ROAD・DIARY)

ご使用上の注意!
このデータは、あくまでおいらの走ったルートの覚え書きです。
ですので、スポンサー以外のクレーム一切お断り致します。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
走行日を良く確認し、一か八か?役立ててください。



キャプこのContentsは、適当に増殖します。ション
林道日記(OFF-ROAD・DIARY)077-3.5



〜古 道 の 鼓 動〜

道には時として、

人よりも遠く深い歴史が存在します。

我々が生まれる幾世代も前の、

先人が残した道。

ふるきみち「古道」とは、

今のような機械設備も無く、

僅かな道具と、

気の遠くなる労力を経て造り出され、

管理者のたゆまぬ英知によってのみ、

現在に至る道なのです。




「奥の細道」遊歩道?一応、白沢村道という事か?。


●奥の細道の正体?。
単車が治らなあぁい!
という事で、今回はチャリンコを投入。幸い?遊歩道という事で自転車には持ってコイのダウンヒルである。
誰が言ったか奥の細道、いざ出撃!
(BGM:戦車行進曲!パンツァーフォー!)

TouringMapple2012.3版に掲載なし。初登場!一部の広域地図に点線または里道表記。

●白沢村観光協会指定
 /奥の細道遊歩道(仮称)

区間総延長:約0.8Km(全線未舗装)
概要
 歌人にして旅人の松尾芭蕉と曽良が郡山に来たのは万葉集に謳われた安積山や安積沼の花かつみ(菖蒲と思われるが未だ研究者の間でも意見が統一されてはいない)を見に来たのだが、実際に来てジモティに聞いてみると安積山は二つあって、どちらが正しいか解らなかった。沼も消滅して花かつみも眺める事敵わなかったらしい。

 万葉集に書かれているのは現在の日和田にある安積山ではなく、片平村の安積山(俗名、正式な名を額取山と言う)と言われていた。また山ノ井清水も片平村にあり、さらに2人を惑わせる事となった様だ。


いざ!出撃 ! !。
最初は緩やかな下りに始まる。


やがて、なにやら岩場と看板が見えて来る。
冬場だから潔い程だが、夏は来たく無いな。



松尾芭蕉「奥の細道」300年記念碑。


碑 誌
 松尾芭蕉は元禄二年(1689)三月二十七日江戸を出立
し、「奥の細道」行脚の旅に出ている。同年四月二十日みちのく(白河の関)に入り五月一日この地(日和田/本宮/白沢)を通過した。
 碑刻の句は
芭蕉の初めての文学の旅「野ざらし紀行」にあるもので今年「奥の細道」紀行三百年記念しあわせて旅を人生と芸術の道とした詩人芭蕉を永く顕彰してここに句碑を建立する。

平成元年十一月三日
碑陰文 日本大学教授 永塚 功
建碑 白沢村観光協会 会長 鈴木高男


山路来て
なにやらゆかし すみれ草
          
芭蕉
(青字の部分は、勝手ながら補足を入れました。)




 結局、芭蕉らは花かつみを見る事も無く、安達ヶ原黒塚で岩屋を見て信夫まで行くのだが、このルートは安積山から阿武隈川を船で渡り、安達ヶ原に向かう途中と思われる。原町の卒塔婆峠の例からも、ここから北は案外今回の林道ルートと重複している”奥の細道”かも知れない。

調査日(05/8/27)の状況:
 路面状況は良。つーか歩道だから。平成元年以来、殆ど放置プレイという感じの遊歩道だが、下草刈りは抜け落ちなく行なわれている様だ。歩道にはなっているが、道幅は軽虎サイズが確保されている。
 山チャリどころかフツーのママチャリでも逝けそう、下りだけならば。

 このあと隣りの村道を大夏張林道に戻るまでが地獄の苦しみだったので、出来れば5段以上の変速機持ちのチャリを勧める。

 蛇足だが、芭蕉らが訪れる一足先の約80年前(慶長6年/1601年)に、この安積沼と沼部一杯に広がったで在ろう花かつみの雅な風情を堪能した
一人の"漢"がいた。
 どう見ても構図が間違ってるだろう、お前?的な野生馬を戦友
(とも)とし、漫画もアニメもパチスロでも大活躍という歌舞伎者
「前田慶治」その人である。
 前田慶治郎道中記によれば、その時の安積沼はアバウト300m程の沼と湿地だったらしい。
 ちなみに1350年頃の安積沼は7Km程も在る巨大な沼で片平の安積山から日和田までの沼だった様だ。小さくなった理由も諸説あるが、MR的には稲作の悪影響と考えている。
 前田慶治も俳句好きという事で、古の枕詞でもある"花かつみ"を見に来たのだろう。金髪美人や忍びらもセットで来たかは不明である。



碑の近くには庚申塔などもあり、
当時からの古道である事が窺える。


句碑を過ぎると傾斜角がキツくなる。


最終コーナーは浅い掘り割りとなる。
落葉の堆積は踝を越える。



貯木場側の村道に出る。冬の太陽が有り難く感じる。


「奥細道 白沢村という擬木看板が在る。こちらが正面か。
ちょっと無愛想なので、出来れば経路地図なんかも建植されると良いのでは?。



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