下野街道(Simotuke-Kaido) |
038
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この日の目的は会津鉄道「芦ノ牧温泉駅」前の「牛乳屋食堂」 しかしMRには長年放置の「会津の峠」があった。 |
No-039
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舟
子 峠 |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
上三寄の五字絽交差点。信号青の写真左がお馴染み121号線。 写真正面のバイクが駐車してる細い道が旧道(新/旧道) |
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すぐに会津鉄道を抜ける。 現在の121号バイパス。大きな「小谷橋」の 下を潜って行く。 阿賀川の支流「闇川」を渡る。 橋の名前は失念。 |
明治(三島)道は写真左を直進。ちなみに右も明治36年以降の旧道だが、峠は無い。 明治(三島)道は踏切をクランク状に渡り直進。 鉄道は後から出来てるのでこの部分は付け替えルートなのだろう。 |
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三叉路?というか、道幅がほぼ同じ伐採道が在る。 そしてこの三叉路で舗装が終了する。 |
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現在の中山峠付近。無論正面が現国道49号中山トンネルだ。 |
軽四の通行を強く印象させる 引き締まったダートが続いていた。 下小塩地区を見下ろす高台に出る。 足下には多分会津鉄道のトンネルが在る筈。 ん?何だアレ? 害獣駆除用のワナだ! さっと1m位の大形の檻だ。 |
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待避所に退避していたのは倒木。 華やかなダート区間が続く。 「MRさんの嘘つきぃ〜!」DRタイヤは丸坊主だ。 峠の手前、約100m程がもっとも路盤状況が劣悪だ。 水はけの悪い泥濘地はしかも落石多発地帯と来たもんだ。(爆 |
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明治35年に崩落したのもこの辺だろうかと、 勘ぐらせる様な険しい地形だ。 |
旧街道らしい、これは美しい旧道だ。 明治のままの風景だろうか?。 出た!「三島経線」本当は”線形”なのだが、 三島通庸謹製の強引な道路開削を敢えて「経線」とMRは呼ぶ。 |
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旧い空積みの石垣が在る。 明治のモノか? |
峠のヘアピン周辺はダブルトラックの道筋に 晩秋の落ち葉が彩りを添える。 |
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切り通しの中央から振り返って撮影。 かつて奥の林の辺りに峠に茶屋が在ったようだ。 |
峠の南側、船子地区に入る。住所の大字は大川乙となる。 鉄塔管理道も兼用されるので、路面状況はよい。 眼下には川向こうに明治36年以降に整備された明治道が見える。 今は大川ダムの発電施設に向かう道だ。 |
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地図にある神社マークはこれだな? |
神社を過ぎると間もなく舗装が復活する。 |
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神社の眼下にあるのは船子の部落ではなく、 大量の太陽光発電パネルと 会津鉄道「大川ダム公園駅」 |
ご使用上の注意!
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このデータは、MR@管理人の走ったルートの覚書です。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は必ずしも最近の状況及び写真ではありません。 また、一部は道路の体を成していない場所も在ります。 尚、この記事は通過を奨励する物ではなく、 読者が来訪した際のあらゆるアクシデントも、その責を負いません。 |
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