二本松街(Nihonmatu-Kaido)
014
会津の峠 Top
016
現在の中山峠付近。無論正面が現国道49号中山トンネルだ。
ちなみに左は旧道だが、中山峠に繋がらない。


No-015



(新中山峠)
四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。




ご使用上の注意!
このデータは、MR@管理人の走ったルートの覚書です。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
必ずしも最近の状況及び写真ではありません。
また、一部は道路の体を成していない場所も在ります。
尚、この記事は通過を奨励する物ではなく、
読者が来訪した際の
あらゆるアクシデントも、その責を負いません。




 中山峠は明治14年に楊枝峠に変わって明治政府が県道(現国道)を換線した際の新名称であり、旧来の名前を沼上峠という。

 峠の名前の由来として、峠のどちら側から道が発達したのか?という事がある。

 中山峠と言う名称は、そもそも明治に県道を制定する際に多分に三島閣下辺りが会津三方道路の入口として付けた名前なのでは?と思ったが、聖書1*によると旧中山峠は楊枝峠を指す名称であり、かつては楊枝村もあった。
 また、沼上峠は文字通り沼上山のすそ野を通ることから命名されたと思われ、江戸時代には街道は楊枝峠であり、沼上峠は里道である。

 明治の頃に会津の人間にしてみれば、徒歩で行くなら最短距離で磐梯熱海に出るのが楊枝峠、荷車など大規模な輸送は車道開削された沼上峠という事になる様だ。 つまり、中通り側から会津側に越える主要な峠を「中山峠」と中通り側の人間が呼んだ呼称に過ぎない、という事であろうか?。
では、何故換線に沼上峠が選ばれたか?

ズバリ安積疎水に近いからだろう。
 明治維新と共に江戸期の下級武士は職を失い、国はその対策を士族授産事業として安積疎水の開削と共に県道開削やその後の鉄道開通という一大事業に求めたのだ。成る程、薩摩出身の鬼県令の考えそうな事だ。

 こうして、現在の中山峠の基盤が出来上がったのである。

 明治の頃に造られた県道は国道への格付け上昇と共に経線の変更と拡幅を受け、昭和28年に二級国道115号線、昭和30年にはいわき、郡山、新潟を結ぶ列島横断国道として一級国道49号線となった。
 これ以後、中山峠は峠部分の開削拡幅、登坂車線の設置と延長、コーナーの湾曲率の緩和など、昭和42年の第一次改良工事以後、モータリゼーションの拡大とともに大きく広くなってゆく。
 一方、江戸時代まで栄えた楊枝峠やヨスケ峠は急速に廃れてゆく。

 そして平成元年、沼上山の南側を貫通する中山トンネルが完成して、明治から使われた峠の切り通しは廃道となったのだった。



旧道の大コーナーは現在の中山トンネル抗口に向かう接続に断ち切られてしまう。
路盤の高低差は実に60センチ以上在る様だ。



やむなく新道のトンネル東口から入る。旧道の道幅も実に8m近く在る。
これは下りに登坂車線が在ったためであろう。


通行止の看板が在る。スイマセン(ー人ー))一寸見せてね。


さてその旧峠だが、今かなり危険な状況にある。

 この日、MRは中山トンネルの東側坑口に居た。
 ここは新旧の路線が重なる十字路である。沼上山の経線に沿って登る旧道と、トンネルにむかって旧道に直角に入る新道の分岐点である。もっとも廃道なんだから、素直に待避所と言うべきか?
 廃道上には2スパンのガードレールがあるだけで、路肩の隙間からTTRは楽々と進入出来た。


好い感じに廃れているなぁ。


更に通行止の看板とバリケード!
用のない奴は入っちゃダメという明確な意志だ。只の旧道なのに厳重な理由は・・?



 道は、峠のヘアピンに向かって緩やかな左コーナーへアプローチするはづだが、目の前にはハミ出し禁止の黄色のセンターラインが僅かに覗くだけだ。こんな脆弱なアスファルトの上に溜まる土だけでどれ程の養分が取れるのかは不明だが、藪とはよくもあんなに育つ物だ、と感心する。
「なんだ?」
 藪のさらに奥にまたガードレールと進入禁止の看板があるぞい。
その先は吹き溜まりなのだろう。
大量の落ち葉が堆積が」路面を覆い隠して、それをベースに育つ藪、ヤブ、
背丈程の藪しかみえない。


このキロポストが国道の証!


凄まじい薮、秋で良かった。でも特に何もない・・・?。


 藪を掻き分け、ニコTは直ぐに鮮明なアスファルトに躍り出た。
なんじゃこりゃ〜
 冬場に猪苗代から吹きあがる激烈な吹雪は、上戸浜から陸に上がると奥羽山脈の山裾から徐々に幅を狭められ、沼上山の手前にある田子沼(現在風力発電施設のある所)に集約される。切り通しを抜ける突風は道路上に植生を許さず、峠前の最終コーナーはきれいなアスファルトを覗かせていた。
 そしてその路盤は崖下に向かって大きく崩れる寸前で踏みとどまっていたのだ。


なんだ?。


「なんじゃこりゃ〜!!」


陥没しとる!!。


「マジですか?」。


 
汽笛と共に眼下を磐越西線の赤べこ号が通過する。その隣は発電所だ。
 交通の要衝というより、経済の要衝と言った方が適切とも思えるここがこれだけ崩れているとは・・・。
 路上には無数の震度探知機があり、路盤の変化を逐次監視している。リード線の先には記録装置らしきものと、センサーとは明らかに異なる震度計が設置されていた。

 本来の路面位置から陥没、倒壊したガードレールのあるコーナーの端までは幅約6m、陥没長さは15m程で、両端の高低差は1m50cmほど在るだろう。
「MRが歩く振動も捕らえているかな?」
 思わず歩みが優しくなる。何をいまさら。

 3段に落ちたガードレールから磐越西線を覗き込む。まあ、東北電力沼上発電所共々いきなりヤられはしないと思うが・・・?
 峠向きの看板には保安林内作業許可標識と記されていた。


家庭用のボールの下にはセンサーが打ち込まれている。


地震計がある。
逐次記録または通信しているのだろう。



スリップ注意の標識はもうすぐ眠りに付きそうな気配だ。


中山峠。流石もと馬車道と言いたい所だが、その面影はまるで無い。


データを取るために土地の占有許可を出している。
これはガードレールの外にある地震計のもので、国道ではなく土砂流失防止保安林に設置した為
県中農林事務所にその許可を求めた様だ。


中山峠。標高530mは北側の楊枝峠より160m低い、
「町名板」「距離表記板(青看板)」が共に健在だ。道路愛好家なら泣いて喜びそうな峠の風景である。


 
そしてニコTは中山峠(標高530m)に達する。その切り通しには「猪苗代町」の町名標識が休むことなく起立している。
「青看、外されなかったんだ・・・」
 
鉛色の空に大分退色したものの、距離標識がいまだ通る人に中間点、会津の距離を掲示し続けていた。
 役目を終えても休むことのないその姿に、敬意すら感じる。が、流石に下地の青は剥脱を始めていた。

 風が強い、田子沼の風車が過電圧を防ぐため回転を止める程の風が、天鏡湖からやってくる。
 いまは木枯らししか通らない旧道、中山峠を後にした。

TouringMapple2010.3版に表記あり。現在通行止め。

調査日(09/11/3)の状況:
 通行止め区間は約3.3Km。路面状況は良。件の路盤崩壊部分のみ要注意です。


道路境界の際に立つ為に法面側に突き出した
町境の「猪苗代町」の表示板。


中間点迄の距離と、取り敢えずのランドマーク迄の距離を入れた青看板。
国道121号大峠にも同様の看板が在る。


そしてまた、次の峠へ。
藪に晒されながらも残るアスファルト、猪苗代側の通行止ガードレール。
風車は中山トンネルの電気を賄っている。
かつては田子沼だった軟弱地盤にアレを建てるとは・・・。

No-015



(新中山峠)
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