白河街道(Shirakawa-Kaido) |
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古の参拝道。 |
No-004
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馬
入 峠 |
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四方を山に囲まれた盆地である会津には114の峠があると言われています。
ここでは、その「峠」を旧街道と共に辿ります。 |
ご使用上の注意!
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このデータは、MR@管理人の走ったルートの覚書です。
走行距離は主にバイクで測定し、旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。 また、掲載される内容は必ずしも最近の状況及び写真ではありません。 また、一部は道路の体を成していない場所も在ります。 尚、この記事は通過を奨励する物ではなく、 読者が来訪した際のあらゆるアクシデントも、その責を負いません。 |
馬入新田の村外れに残る街道の跡。今も昔も、この峠を越えてゆく。 |
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湯殿山、十三夜、馬頭観音 念佛百万遍塔、判別不能のお地蔵様方・・・。 沢沿いの直線路。幽玄な杉並木が列ぶ。 側道とおもいきや、実は旧街道?。 参道はその旨が告げられるだけで、通行止めではない。でも路面を痛めない様にゆっくり近づく。 |
デカっ!!!!。高さ約8m、総幅約7m、支柱の開口幅が約5m程ある堂々とした鳥居だ。 |
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味わい深い「隠津島神社」。 |
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夕日に身を寄せる鳥居。・・・県道から一歩入ると別世界である。 |
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雑木林の逆襲が始まると道が開ける。 「開け過ぎだから!」 県道昇格の頃に作られたバイパスはやたら広い これ程の交通量は間違っても期待出来ません。(笑 いよいよ道は登りと成る!。 丁度暗橋で沢を越えてゆく所。 2段のヘアピンがある。1段目は結構豪快。 写真の2段目は普通。 滝見台が新設されていた。妙に明るい。 |
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滝見台から見下ろす「菅滝」。 |
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「う、明るい」幽玄な佇まいが明らかに衰え、明るくなった敷地内。 写真右手の奥に見える林は 冬枯れではなく立ち枯れに近い状況。 |
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見上げるばかりの高さを誇る「御神木」 TTRと対比してもその幹の太さが窺える。 撮影位置が本来の参拝道で、手前の沢を「御手洗川」と言う。 |
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神社参道入口に掲げられる鳥居。 時代を超えた風化具合が貫禄を見せる。 御神木にご利益あれ と差し込まれたお賽銭。 |
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「伊勢神宮参拝記念植樹」と彫られた記念碑。江戸時代に再建された以降も、 氏子様方の努力で、街道の"生き証人"「御菅様」は今に続いている。 隠津島神社なくしてまた、馬入峠も在り得ない。 |
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東日本大震災の影響だろう。 境内の石灯籠の一部が倒壊していた。 最後の急な階段を登る。 建物の背景は深い緑の筈が、青空だ。 |
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狛犬と御神木を従えた入母屋作り神社本殿。右側の狛犬は子供を従える。 |
左側の狛犬は鞠を持つ。 御神木に何やら判らない物が生えている? と思ったら・・・。 祝日と言う事も在り、日の丸が掲げられる。 本殿の裏側に風穴洞が多数ある。 因みに「蛇神様」と奉られる。 |
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さて、堪能したので再び峠を目指そう。 |
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福島県で唯一"延喜式内"(905年、つまり平安時代中期)に記名された"隠津島神社"だが、建立は不明。 因みに地元東和町小幡の"隠津島神社"は神護慶雲三年(769年)建立。 |
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ヘビと女神、つまり共に水を司る神様と言う事か。 稲作が普及する程に高まる水神様への信仰というコトなのだろう。 |
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神社前の広い6mコーナー。 写真右、西側に布引山に抜ける東沢林道がある。 一般通行止め。 取り敢えず峠を目指して行く。 三度狭くなる険道、つーか最早林道状態。 アスファルトの幅は2m、無軌道な道筋が続く。 |
三段のヘアピンがある。 大型車禁止とは言え営林関係者は許可証で持ち込むので、車でかち合ったら逃げ場は無い。 |
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倒木で破損したガードレール。 処理はしてあるが、軟弱な証拠だ。 舗装もガードレールも最近の様な新しさ 伐採道の入口が幾つかあるが、無論閉鎖中。 |
残雪のため閉鎖され、通行不能な伐採道。ここに出ると言われる。 |
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馬入峠に到着、寒々とした峠だ。 |
羽鳥側はいきなり4m道路となる。戊辰戦争の時の堡塁(塹壕)跡がある。 |
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参考文献一覧
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そしてまた、次の峠へ。
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酸性雨の影響がこれ以上でない事を祈ります。 |
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馬 入 峠 |
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