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廃道日記(Riding・Report)

「旧米沢街道来訪記」
2009.10.24 Ture

伊達家が創り、
上杉が育てた街道は、
明治維新の名の下に、
鬼県令封殺される。
その道、旧米沢街道なり。



ご使用上の注意!
このデータは、
あくまでおいらの走ったルートの
覚え書きです。
走行距離は主にバイクで測定し、
旺文社発行のツーリングマップルにて無断で補正しています。
また、掲載される内容は
大変危険です。
当サイト掲載内容によるいかなる被害も、
当方は保証致しません。



キャプこのContentsは、適当に増殖します。ョン
廃道日記(Riding・Report)016-2


参考文献一覧

刊名

著者

編纂、製作、発行、収蔵

李平宿誌/2009年発刊

佐藤 正弘

個人出版/福島県立図書館・蔵

栗子峠に見る道づくりの歴史

吉越 治雄

東北地方建設局福島工事事務所/発刊




「やっと脱出」ざっと1Kmがきつい!
写真では解りづらいが、実はT字路。


 伸び放題の枝木を越えてルートを探し、ようやく薮を突破すると、やはり路面はガレガレの沢筋状態だ。一応誤解の無い様に言えば元は道幅4mの工事用規格道路だ。
 MR以外の二人は突然の枯れ沢ルートに目が点であるが、流石強者、果敢にアタックして沢登りを達成する。
 
 上の高津森林道の終点であるT字路に出た所で、先ほどのMTBの方が一休みしていた。
写真を撮っている間に色々と峠越えの話で盛り上がる。どうやら彼もまた蟹ヶ沢渡河による旧米沢街道走破を目論んで来ていた、言わば"峠ハンター"だったのだ。
 成る程、首から下げた笛はメッセンジャーバイクの警笛ではなく、ツワモノの証と見た。
 来年中に回れるかどうか分からない
程の情報を頂き、代わりにポカリを差し入れる。彼は上機嫌で林道を戻り、すぐ先で分岐する産が沢林道を見に行った。
「さて、逝きますか」
「何か雰囲気のある奴だったね」
「昔、オバQに出て来たラーメンばっか喰ってる人に似てたな・・・小池さんだっけ?」
以後、彼のコードネームは
「小池さん」となってしまった。
(もし、読んでたら勝手にスイマセン。メール下さいm(_ _)m)
「すぐそこの横断側溝、真ん中のフタが無いので気をつけて下さいね」
 
おぉじぃ氏の的確なナビゲーションが冴えて、三度走り出す3台。
 現在の林道である高津森線の終点が不明なので、はたしてあのT字路からこの蟹ヶ沢までのルートも現行林道なのか?実に怪しい感じだ。

今来た道を振り返る。
道幅4mの工事道路の筈が?
道がない。


突然、ハイキングの老人グループ40人程とすれ違う。
昔、白神林道でタクシーの軍団に遭って以来の衝撃かな?。


 いかにも林道規格の高津森線と比べれば、今走るルートは最早伐採道の趣きである。泥濘/落石/倒木と三拍子揃った古道は、なかなかに楽しいルートだ。

 と、突然先頭のおぉじぃ氏がペースダウン!同時に何処からともなくハイキングの団体さんが現れた。ざっと40GBばかりのご老人方である。色々と声をかけられる。
「こんな所にこんなおっきいバイクでまあ・・・」 
 走行再開、木漏れ日と泥濘を越えて下り続けると、進行方向右下に砂浜と成った川岸が散見出来た。最後まで荒れ放題の街道の最後は、普通車では腹打ちする様な段差で終わりを告げ、愛機は堅く引き締まった川原に降り立つ。



落石地点の車幅は軽虎程度の間がある。
古いのに安定している。


いかにも時代劇で敵が待ち伏せそうな小さな切り通しを抜ける?。
無論、定石通りのぬかるみだ。



県境、蟹ヶ沢である。

 突 破。 6

 先ほどの老人ハイキングのインストラクターと話していたおぉじぃ氏が目線で道を探していた。
「この蟹ヶ沢降りるルートは新道で、旧米沢街道は別な旧旧街道があるんですって」
「途中に山側に
分岐が在ると聞いたんですが、無かったですよね」
え?いやいや、見当たらなかったな?」


切り通しを過ぎると急速に高度を下げてゆく。
「下に蟹ヶ沢が迫ってくる」


蟹ヶ沢に降り立つ。


上流には砂防ダムが在る?
なんか土管があるなぁ。


「でも、あのじいちゃん達はそこ通ってきたんだろうね」
「いつの間にか足跡がなくなっちゃったんですよ」
 
そういえば、この渡河ルートにも人が歩った形跡は殆どない。あの大人数で歩けばそれなりに形跡は残る筈だ。
バイクで行けるルートなのだろうか?
「いや、完全に歩道サイズで渡河部分は飛び石で渡る様です。」
 河原で休みつつその渡河ルートを探すが、上流に何かコンクリート製の暗橋の残骸が見えた。
 あれかな?などと探していると、またしてもか細いブレーキ音とともに"小池さん"が降りて来た。
念の為、彼にも途中の分岐を確認してみるが、分からなかったという。


「女ラインで逝きま〜す」
11月に通過の際はこの部分すら水がなかった。


セローに続いてXRも渡河する。
因に"小池さん"はXRの位置から写真中央辺りを
ほぼ直線に突破(水没)している。



「じゃ、すいません。お先に」と小池さんが川にMTBで突っ込んでゆく。
「あ、あれ男ライン・・・」とおぉじぃ氏。案の定深みにハマった自転車を降りて川から力づくで押し出す。
「ツワモノだなぁ・・」
「自転車だからいいけど、バイクや車じゃああはいかない」
「先逝きます、女ラインで」
「いわゆる縁側ルートですね」

 約30mはあろう川幅だが、実際に水が流れるのは幅4m程、しかし深い所は1m近く在るし、浅いと思われた先ほどの菊池さんルートも実際は川底が泥濘のため沈み込みが激しい。
 セローはまず中州に抜ける。ここは支流のため浅く簡単だ。そこから上流の対岸に向かってゆくのだ。
川の分岐部分は砂利の浅瀬で沈み込みが少ない。通常、4X4による渡河の場合は浅瀬を選んで下流方向に渡る物だ。水抵抗を逆に味方にする訳だが、このルートは逆である。
  だが、難なく対岸に渡るセロー君。続いてXRも難なく・・あ、振ら付く・・上がった。
どうやらラインは狭く外すと急に深みになるようだ。
 ニコTで渡るとS氏と同じ場所でちょっと深いが、停まる事無く突破出来た。
「なんせ水に弱いからなぁ、この心臓」万世の一コマが甦る。



2006'夏。
おぉじぃ氏の撮影記録より。
砂防ダム湖の水位が下がも、末端が泥濘の時来た様だ。土砂の堆積で相当に段差があるようだ。


ヲイヲイ!!深いんじゃね。


中州から上流に向かって渡河する。さざ波の立つ所が砂利に因る浅瀬で、沈み込みも少ない。
「米沢藩に突入!!」


上流の土管を見に行く。どうやら上の砂防ダムへの工事用道路の跡の様だ。
橋に見えるのは道路暗橋の為に組まれた、前後のコンクリート基礎である。


防波堤?の法面を乗り上げ、
道路に上陸する。
実際にはこの道は奥の砂防ダムの工事道路だが、立ち入り禁止にはなっていない。


 更に防波堤?を登り上げ、上の道路に辿り着く。板谷、米沢藩側である。試しに防波堤を上流に遡ってみると、上に2段の砂防ダムがあり、蟹が沢の濁流を管理していた。
 先ほど見えたコンクリートはその砂防ダム建設時の工事用道路の暗橋であった。辺りは崖で、とても先ほどのご老人方が歩けるルートではなかった。
 恨めしそうに砂防ダムを望遠し、呟くMR。
「きっとあの上に別ルートとしてあるんだ、旧旧米沢街道が」先行して板谷に向かったS氏らを追う様に、ニコTは蟹ヶ沢を後にした。

 エピローグ。 7

 沢はすぐ下の砂防ダムの手前で松川と合流し、福島に向かって流れてゆく。その砂防ダムへは松川に架かる橋を渡ってゆくのだが、橋にはゲートと監視カメラがついている。



蟹が沢と松川の合流点で林道も合流する。写真右下の道路は松川側の砂防ダムへの管理道路だ。
板谷へは左手直進を登る。



 途中、やはり渡河をして福島に帰るライダーと情報交換する。
「さて、板谷に出ましょう」
 
ヘアピンコーナーを介して、林道は急速に松川との標高差を広げてゆく。
地図上では五色温泉に向かうルートの途中に出る筈である。だが思った以上に距離を感じた。
 しかし、それ以上に気になったのは、板谷側のルートは本当に旧米沢街道をトレースしているのか?という疑問だった。
 それ程、この板谷側の林道はあまりに林道然としていた。確かにあれ程大規模に河川工事や治山工事をすれば、この程度の林道は当然必要なのだが。
 林道は、ある程度の標高を稼ぐと、比較的平行に西に向かい、唐突に舗装路と工場の様な建物が現れた。
その先、五色側を跨いだ県道が改めて登る最初のヘアピンに我々は出ていた。
 大きく疑問も残すが、取り敢えず旧米沢街道の県境を抜け、板谷に着いた一行であった。

調査日(09/10/4)の状況:
 路面状況は不良。(爆
基本的に部分廃道です。
 特に規制等はありませんが、石畳はその前後が泥濘なのでお勧めしません。史跡ですのでバイクで通過の際はゆっくりと路面にローインパクトでの通過をお願い致します。
 また砂防ダム管理道路は明らかにここ数年使われてない廃道ですので全くお勧めしません。
 単に
走って板谷に抜けるだけなら旧米沢街道は通らず、本道である高津森林道をお勧め致します。
 
また、
<b>蟹ヶ沢の渡河は危険です。
 渡る際は天候良く、流水の少ない時期をお勧めします。雨期など短時間で加速度的に水量があがったり、最悪土石流などが発生する場合もあります。
 
濁った水を確認した場合は渡河を断念し、速やかに両岸に待避しましょう。
 蟹ヶ沢周辺は毎年
熊などの大型野生生物が目撃されます。
通過の際は十分にお気をつけ下さい。


ヘアピンの後も林道はかなりの急坂で板谷に向かってゆく。


ある程度登ると今度は平行に移動する。


営林が行われ、モノレールが設置されていた。
道路下はかなりの急斜面だ。


「建物だ!」ついに板谷にでるか?。


ダートはここで終了。ついに林道表記等は無かった。


実際には
五色温泉への市道に合流した。この道も昭和40年に作られた新道である。

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