工場の引き込み線と思われた線路は、夢の骸だったのか?・・・。 |
ko子供の昔、父の運転するJ53の窓から、高架橋を走る列車を見た。
阿武隈川を渡る鉄橋だと思うが、古い記憶で路線名はよくわからない。 その後、 かつて「川俣線」という鉄道が松川駅から分岐していたと地元の知人から聞いた。 しかし、 かつての阿武隈山系中継点である川俣町が「選択」したのは 「鉄道」ではなく「道路」だった。 道路は、全ての交通体系を駆逐し、唯一無二の交通手段となった。 今はない、線路の道。 すべては繋がり、時代とともに旺盛を迎え、消えてゆく交通文化。 いま、その道をTTRが走り抜ける。 |
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著者、編纂 |
製作、発行 |
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川俣町 |
川俣町教育委員会/著作・発行 |
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宮脇 俊三 著 |
JTBキャンプブックス |
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原町市 |
原町市教育委員会/著作・発行 |
廃道日記(Riding・Report)013-2 |
「松川駅前」うーん、ここだけみると林道のHPとは、とても思えないな?。(核爆 |
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な〜んかいい感じに使われなくなっている レンガ倉庫。 川俣線当時の遺構だろうか? 線路から見て1番ホームだろうなぁ。 |
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かつては某北芝の積み込み用引き込み線と東北本線の間にあったが・・・・・ |
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宮脇先生の「廃線路〜」ではこの手前の舗装路が実は川俣線の路線跡という話だが、 こうして見ると工場積み込み線が川俣線に見える。 |
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線路跡と舗装路はともに舗装私道と工業団地に当たる。川俣線は無論直進したはずだ。 手前の官地を表す土地杭は古い。 (赤矢印は川俣方面) |
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唖・・然。(赤矢印は川俣方面) |
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なんと、線路跡は工業団地中程にある団地用貯水池に接続していたのだ!これは酷い! |
これが川俣線の成れの果てと誰が想像しただろうか・・・。 |
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松川側抗口。ハッキリ言って夏場は逝きたくない。蛇の巣窟になっていそうだ。 |
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朝日が厚く積もった?霜に照らし出された明るい抗口。(爆 |
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2段に巻かれた環アーチには要石などの装飾は無い。いかにも鉄道らしい質実剛健さだ。 蒸気機関車の排煙で黒く汚れた天井が見える。 壁面にはペンキ書きの隧道諸元。 「延長108m、収容人員小3名、歩行時分2分」 隧道名も無いのかい? |
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ゆるやかに左に(北側に)折れてゆく隧道。 廃線当初は道路として使われたのか?。 ずいぶん平らな道床だよ。 |
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かつての抗口の面影は微塵も無い・・・。 |
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