どこから話そうか?

 3/21日に決まった納車日から積算して、慣らし運転の終わり頃にさらりとツーリングに逝きたいと思った。丁度その頃、先日に紅白饅頭氏と行った恒例の正月温泉行にて食べた喜多方ラーメンが話題に登り、もう一度食べに行こうと言う話も出て来た。

ところが、今年は春先も肌寒く雪も残り、当初の予定から遅れて話はGWにもつれ込んでしまった。
 幸か不幸か?桜の開花も会津若松市内以外は遅れる見通しとなった。結局、参加者の日取りも調整が付かずに、当日はMRとおぉじぃ氏の2人となった。

さあ、初春の会津路へ・・・・・。



  会津五桜とは、西暦160年代の会津風土記の時代から伝わる会津一帯の桜の古木を指している。
 この五桜、てっきり会津盆地=若松市内に在ると思いきや、1本だけ猪苗代に在ったり、会津七桜と称してさらに会津盆地の二本を加えたりしますが、今回は時間の都合で五桜巡りとした。

●極寒の猪苗代
 しかし、当日の土湯峠の天候は晴れ時々雪!粉雪の舞い踊る気温はヒトケタでスロットルを握る手もかじかむ寒さだ。
 さらに峠を越えた猪苗代の天候は霧雨と悪条件のドミノ倒し状態である。当然、視界も悪いのだが、オフ車の二台は拘らずに黙々と走り続ける。
 猪苗代市内が見渡せる所まで降りて来たものの、天候は濃霧から本格的な雨へ・・・
寒い!五桜は何処だ?
雨のためipadminiを開く暇もない。
ドミノ倒しは更に続く。

 探しているのは、唯一猪苗代町という他に比べてやや遠くに在る
「大鹿桜(おおしかさくら)である。
 県道7号線の旧道に入ると、一基の白看が出迎えてくれたので写真撮影。2台は猪苗代スキー場の入口で「土津神社(はにつじんじゃ)」に突き当たる。
Photo Album


県境をトンネル内で超える。
丁度ここで1000Km、ナラシ終了。


おお、この白看板は!



"ここは旧道なのか?" 真っ赤な支柱と白い看板、微妙に低いその高さ。
周りを見ればここは確かに商店街だ。

●大鹿桜
 最初はここかと思ったが、入口の看板で奥だと解る。実はこの豪華な土津神社は質素な磐椅神社の末社なのである。
 この桜は猪苗代町にある
「磐椅神社(いわはしじんじゃ)」の境内というか参拝道正面にある。
 そもそもこの磐椅神社の"磐椅"とは磐梯山の古名で、神功皇后摂政50(250)年に磐梯山山頂に創建され、天平元(729)年に現在の社殿に遷座したと言うのだから、相当の羅刹である。
 しかも大鹿桜も、天歴年代(947〜957)頃に京都から参拝した天皇の勅使が京都の桜を植えたとされている。
 
成る程、銘木の条件つーか、ハクが付いてるね。



立派で豪奢な土津神社の隣に、
怪しげな道が・・・。




「磐椅神社
(いわはしじんじゃ)」これだ!大鹿桜 ! !


やはり!DTMのツアーには泥が憑き物なのか!

 そして、呪われてるのか、皆様のご期待通りなのか?道は舗装路からたっぷりの水を讃えた山道になって突き進んでいた。
「っっちゃ〜?」

 道幅も狭く、車の離合は出来ないトロトロのダートが道幅と同じ位の水路と平行に神社に向かって行く。道の駅土湯から既に雨合羽を着込んでいたおぉじぃ氏が、器用に水たまりを避けて走って行く。やがて、社殿前の広場に躍り出た。
 そこには大胆な枝振りの古木が、雨に打たれて春をひたすらに待っていた。
 その雰囲気は荘厳にして、どう見てもまだ冬である。その証拠に、社殿の奥には残雪が・・・?



磐椅神社"いわはし"とは磐梯山の
古名である。
神社はかつて山頂にあったが、磐梯山の噴火後、ここに移転したという。

大鹿桜(おおしかざくら)
「咲いてない・・・」

「ていうか、つぼみも堅いんじゃない?」
「ちゅーか、真冬の様に寒い・・・(泪w」
 サトザクラ系小菊桜はソメイヨシノより濃い花びらというが、そのつぼみは相当に堅くてとてもGW中に開花も危うい感じである。 まして南の桜種なので東北の冬は堪えるだろう。実際、東北でサトザクラの古木が比較的高い標高で育成しているのは大変珍しいらしい。
 ソメイヨシノなどは花が咲いて散った後に
葉が萌えるものだが、この大鹿桜は葉の方が先に開き、花が咲く。
 その風情、白色の色合いが鹿の毛の彩りに似て変化することから付いた名前だそうだが、翁桜(おきなざくら)の別名も在る。
後日自宅でググるとシラユキと言う品種と同じらしい。
 写真を撮影していると、たまたま氏子さんが訪れたので聞いてみる。すると今年は特に開花が遅れそうで5月の中旬以降ではないか?と言う答えに、やむなく写真を撮って退散する事とした。
すいませんMRさん、この辺にホームセンター無いですかね?」



つぼみに色がない。
厚い幹色に包まれて春遠し・・・


見事な枝振りだが咲いている所見た事がない。



 早速の泥濘攻撃でおぉじぃ氏のスニーカーは完全に沈黙、彼は履き替えの決断をしたのだが、何故にホームセンター?
 答えは数分後に彼の足下で光るアグリシューズで理解した。成る程、一番シンプルな方法で防水をしたのか?

●極上の喜多方
 KLXの時計は既に10時を回っていた為、取り敢えず進路を喜多方に取り、雄国沼の南西側に在る県(嶮)道337号線から喜多方に入る。
 時間は11時を回った所、早くもお食事タイム!である。喜多方は明るい曇り空で雨の心配は無さそうだが、一応某邦銀行の閉鎖された入口の屋根下にKLXとセローを滑り込ませた。
 先月紅白饅頭氏と来た
喜多方ラーメン「上海」にお邪魔する。
 狭い仲見世的路地に在る上海は小さいながらもすでに10組み程の客待ち状態だった。メニューを見ながらアレもコレもと話していると15分程で順番が回って入店した。

 MRのお薦めは前回食した
「にごり中華そば」(酒粕と辛味曽を付け合わせた味付)だが、それは冬用のメニューで今(GW)は無い。


喜多方ラーメン「上海」
喜多方ラーメンは基本"中華そば"である。


テーブルに置いてある予約ノートは人が並ぶとまず見えないので気をつけよう。



今回食した"うま辛そば"



上海のメニュー。
「おすすめは"にごりそば"」
酒粕入り辛味噌仕上げ。普通の中華そばもうまい。


"チーズケーキ"
何故ラーメン屋でケーキなのかは、直接お聞きください。
旨いです。


これが噂の"にごりそば"。


石部(いしべざくら)

飯盛山をバックに咲き誇る"石部桜"。
散り際の美しさは白虎隊の歴史を思い起こさせる。


そこで普通?のうま辛そばとした。
 ここは何故かお手製のチーズケーキセットもあり、前回は食べてたのだが、そもそもこの食べ合わせが良いのか?なぜチーズケーキなのかは一切不明である。勇気のある方は聞いてみて下さい。

●散り始めの滝沢にて 
 美味しい食事の終わった時点で時計は1時、ルートに迷ったが、暖かい町中に行く事で意見の集約が在り、2台は一路若松市内に入る事となった。途中会津インター周辺が震源の大渋滞をライスラインから迂回し、会津卸町団地の方から市内に突入する。国道118号線千石通りから飯盛山の麓に在る滝沢本陣に向かう。
 二本目の桜は
今年から全国的に有名となった「石部桜」である。




来訪者の足下を考慮して休耕田にコンパネが敷いてある。
対応としては○だが、絵図としては×だな。



某NHK大河ドラマ「八重の桜」OPに登場する、あの桜の古木である。
 若松の桜と言えば、鶴ヶ城下の桜が有名である。城と桜のコントラストは、日本人の本能に迫る何かが在る。そんな訳で何度も訪れた鶴ヶ城に比べ石部桜は本日初めて見た訳だが、地元では勿論有名な古木である。

 厳しい交通規制の中、他のバイクに便乗して桜が見える所まで移動して駐輪する。
「これはいいね」



樹齢600年といわれるエドヒガン桜。
樹高11m、枝張19m、2.2m内にある10本の幹から構成される。
芦名氏の重臣である石部氏の屋敷庭先にあった銘木である。


 駐車した滝沢浄水場南門からみる石部桜は、住宅地から少し距離を置いた緑の田圃の中に忽然と現れた龍の様に手足を高い青空に延ばして背景の滝沢峠の在る山々にも枝を巡らせ、花を散らしていた。
え?花びらが散っているぞ、風で。
「コレ・・満開過ぎてますよね」
「散り始めのようですね」
  住宅地の路地から桜に向かう田圃道には人が溢れ、さながら聖地巡礼の様に(あ、そうなのか?大河ドラマの聖地巡礼?)列を繋げていた。凄い人出だ。写真を撮るにも人が多すぎである。
 それでもツアー客の入れ替えを狙って写真に収めてゆく。



「桜の回廊」



●偽りの桜巡り
 それにしても、この石部桜は立地がいい。
バックとなる東に滝沢峠、南に飯盛山の山並みを抱え青空を組み合わせると実に美しい情景である。
 唯一高圧鉄塔がちょっと近いのが玉にキズである。加えて若松市の観光課辺りが敷設したであろうコンパネ。12mmの合板が休耕田の緑を塞いで仕舞っているのが絵図に厳しい感じを受けた。とはいえ、観光地としては妥当な処理か?
 しばし、古木の桜の回廊を堪能する。
「しかし、二本ともまともに咲いていないとは・・」
「隣のソメイヨシノは満開なんですがねぇ・・・」
 石部桜の北側には会津若松市水道局の滝沢浄水場があり、場内の至る所に桜が咲いていたのだ。ここで帰れば時間的にはラクなのだが・・・?
「この際、残りも回ってみましょ」
「ええぇっ〜!」(話が違うぞ!MR!)

「幸い?そんなに遠くはないんですよ。ちょっと悔しいので、一本位満開の桜が見たいじゃないですか」と、言葉巧みにおぉじぃ氏の懐柔を始めるMR・・・?
「行かずに後悔するより、逝って反省という奴ですね」
ん?、妙な納得をされたが心の中では
"逝って公開"と間違った格言をさらに誇大化していた<俺。



やってきました、会津美里町。


デカイ鳥居の会津伊佐須美神社。
紋は「菊の御紋」である。

薄墨桜(うすずみさくら)
あった!でも入れない・・・(泪w。
近寄る事が出来ないが、手前の石碑が松平容保公の歌碑?
「世の中の 心や深くそめぬらん うすずみ桜あかぬ色香に」



 薄墨桜のある美里町の会津伊佐須美神社は、平成20年に不審火による火災で歴史的価値の高い指定文化財の本殿、舞殿などを焼失してしまった神社である。
 幸いにも境内に植えられた薄墨桜は火の手を逃れ、現在に至っている。
 さすが伊佐須美神社、出店も多く参拝者もいっぱいだ。紙芝居のように入れ替わる観光バスから何十GB(単位はジジババ)というご老人らが吐き出され、参拝に吸い込まれ鵜飼の鵜の様にバスに戻ってくる。
 焼失した本殿のところは、門が封鎖されて入れない、結界状態だ。
 

正門前では例え皇族と云えど、
ここから歩かなければならない。


吹き渡る春風にそよぐ風上故に香り判らず・・・?。


川向の宮川いこいの湖畔緑地公園は
ソメイヨシノが満開だよ。


 門の脇から見ると、「あれだ!薄墨桜」
 境内正面の左側に、それらしき桜を確認した!が、どうみてもまだ2分咲きである。香りの淡墨桜と云われる様だが、それほど感じられない。あちこち歩き回って本殿西門が最も桜に近いと行ってみたが、、西側はさらに咲いている花が少ない。念のため通りがかりの社務所のおばさんに聞いてみると、暫くは本殿建立の議が行われているため、本社内の公開はしないそうである。
 中心の花弁が薄墨色から花びらに向かって次第に桜色をに変化してゆく事からその名のついたこの桜は、植物学的にも貴重な"一枝に一重と八重の花が混合して、しかも時間差で咲く"という珍しい品種のようだ。
 伊佐須美神社の東側に流れる宮川の対岸には"宮川いこいの湖畔緑地公園"があり、防波堤に沿って数十本のソメイヨシノが、まさに青空に満開の桜色をしたためているというのに・・・。
「次、行きますか・・・(涙w
出店で甘酒を飲みながら、
「そうですねぇ、ここから近いんですが・・・」とiPadminiを開いて位置確認する。
 
次に向かうのは、法用寺の「虎の尾桜」だ!。
(完全に単なるお寺巡りになってるな〜)


虎の尾桜(とらのおざくら)

間違い!?そう、法用寺入り口にあるのは普通のソメイヨシノっぽい。
境内にあるのが「虎の尾桜」だ。



改めて・・・虎の尾桜(とらのおざくら)

うわ、また3分咲き!。


●雀林の部落にて
 
会津で二番目に古いとされる法用寺、養老4年(702)創建との事だが創建時のお寺は焼失、現在の寺院は大同2年(807)に徳一大師が再興した寺院で、虎の尾桜は翌年大同3年に植えられたとされる。
 その古さも手伝って、境内には重要文化財指定の物がいくつもある。
 駐車場にバイクを停めて見上げるのは、古い石段と天にも昇る勢いで花を見上げる桜の古木と、いかにも古そうな仁王門である。
「これが"虎の尾桜"か!」
と写真を撮るがよくよく見ると普通のソメイヨシノ・・??


境内にチラホラと参拝客。
春の時期は特に参拝客が多いだろう。
みんな桜目当て。

お約束の"虎の尾桜”
周りの山のせいか?本堂が近すぎるのか?
日のあたる上の方しか、咲いていない。


「奥の花じゃないですかね?」
 
成る程、境内にも桜の古木がある。
 
石段を上って入口の仁王門を覗くと「何も無い・・?」
 普通、こんな門には名前の通りの仁王像とか、彫像が置いてあるのが当たり前なのだが、さすが重文!・・・
て、すっかり色飛びした写真パネルを置くのは如何な物か?

 因に本体は本堂の観音堂に収納されている。また同じ重要文化財で三重の塔などもあり、見ごたえもある。

 肝心の虎の尾桜は三分咲き、入り口のソメイヨシノや奥のサトザクラなどはほぼ満開なのに・・・(泣w
 その名の由来はその樹木の姿が虎の横たわる姿に似てるとか、花弁の形が似てるというが、いずれも想像に域は出ていない。
 この桜もサトザクラ系の八重桜で、花弁が変形して花びらに変わってゆくそうだ。
「毎日見ていないと判りづらいな」
「ですよねぇ」
「奥も凄いぜ」

 本堂の南側、池を挟んでそそり立つのが国重要文化財の三重塔だ。
「おお、コレは凄い」
「デカイな」

 
法用寺は徳川家菩提樹の日光東照宮に縁がある。境内の子安地蔵堂は日光の大悲閣から五年がかりで運んで来た物であり、古くから交流があった様だ。
 現実にこうして見ると、三重塔も日光の宮大工がくんだのではないか?と思われる屋根構造だ。工芸品の極みのような塔が眼下に会津美里町を俯瞰で眺めていた。

●怒濤のまくり
 飯盛山から会津盆地の南側を半周した会津五桜ツーリングは、いよいよ会津坂下町の西側、七折峠の手前から路地に入る。



これもサトザクラ?。
虎の尾桜と本堂に挟まれて、別の桜の木がある。
これもまた面白い、いい形だ。


国重要文化財「法用寺三重塔」
入口に立つ一般人の対比からもその大きさと
重厚さが伺える。


 ここまで、滝沢本陣から国道118号線と県道130号線をメインに来たが、伊佐須美神社のある会津美里町を抜けてからは、ほとんど信号らしい信号も無く、広く快適な県道(バイパス?)といきなり部落の狭い路地を縫って、東に会津盆地を跨いで走ってきた。
 国道49号線の下を抜けた2台のバイクは、間もなく最後の桜
「杉の糸桜」に到着した。
 薬王寺は国道49号線旧道である県道43号線塔寺(とうでら)交差点から分岐した県道365号赤留塔寺線の部分開通区間の北側通行止めの手前にある。
すぐそばには只見線の踏切がある。
 KLXの時計は4時半を示している。ヘルメットを脱ぎ、参拝する。



今日一番の"満開"?
全体として、法用寺の参門にあるソメイヨシノが満開の一番いい感じだった。
青空に向かって大きく枝を伸ばす構図とバランスがとても春らしく感じた。



杉の糸桜(すぎのいとざくら)
薬王寺ついに会津五桜も最後、夕暮れを背にお寺に到着する。
正面には小さな参門とその中に金剛力士像がある。車道のヤクオウジヤエは満開だ。


夜には肝試し?
写真には無いが、石段左手は墓地なのだ。

 薬王寺の入口には、先ほどの法用寺同様に八脚門と呼ばれる羅漢像2体が収まる参門があり、その先は少々落差のある古い急な石の階段が続いている。八脚門を覗くと今度はちゃんとパネルではない仁王像が収まっていたが、その表情は先ほどの法用寺の重文仁王像から比べると少々滑稽な表情に見えた。
 参門の横には車道があり、その傍らに美しく咲き誇る桜と、高さは20mを超えるだろう大銀杏がそそり立っていた。これは春だけでなく、秋も中々見応えがありそうな風情だ。

 福島市のわらじまつりで担がれそうなわらじが奉納されているが、理由は不明である(爆。

 石段の左手をなにげに見るとそこはモロ墓地!うわぁ、ここに夜桜は俺来れないな、怖くて。
 正面の本堂前、右手北側の地蔵堂で咲くのは、ここだけの亜種である"ヤクオウジ ヤエ"という八重桜だ。今日はまさに満開、美しい花弁をお披露目している。



コレじゃない〜?お地蔵さんといい感じのヤクオウジ ヤエ。
少々窮屈そうだが本日2番目の美しい満開桜。八重桜は花に厚みがあって情熱的な桜に感じますね。
その名から、多分ここだけの品種と思われる。


"杉の糸桜"って、その名前の由来は・・?


「書いてない」


 それに比べて、左手南側の墓地に面したしだれ桜3本は、いづれも三分咲き程度だ。
「ダメだったか・・(泪w

 中央のいかにも古木と言うのが、本命の「杉の糸桜」。
 樹齢200年というエドヒガン系枝垂れ桜だ。細い枝が見えないから、まるで花が流れ落ちているかの様に見える事から付いた名前らしい。両隣のしだれ桜は子供という事である。
 撮影中はどんどん参拝客が入れ替わるが興味深い話を聞いた。

「え?ツグミがつぼみを食べてしまう?」
「そう、杉の糸桜だけ食べられちゃうの。
 雪解けが遅いので餌不足の時期なんでしょうが、何故か糸桜だけなの」
とジモティのおばさん。


この
枝垂は、特に花が小さい気がする。


 成る程、つぼみのうちに間引きされてしまうのでは咲き揃う訳がないわな、と妙に納得してしまった。この野鳥の食害がある限り、ガイドの写真に挙ってる様な満開の「杉の糸桜」は見れない様だ。
 ところで「杉の糸桜」の"杉の糸"って、何の意味だろう?と思ったが、現場の案内板にその由来は無く、先ほどのオバちゃんも次の桜に回遊した模様で、誰にも聞けず仕舞いだった。
「帰りますか」「そうですね」
 結局、午前中の肌寒さとは打って変わった、爽やかな夕焼けの中、2台のバイクは一般ライダーが努めて行う様な桜ツーリングを無事終了して、塩川町から延々と下道を帰路に付き、中山峠を越えて7時前に本宮で解散した。

 タマにヌルい小旅行も、まあ良かった。予定通りにKLX125のナラシも終了した。
英気を養って、
GW連休後半はいよいよ卒塔婆/大久原の"最終決戦"である。



夕暮れの"杉の糸桜"?いかにも古木という風情、
でも、今日の主役は手前のヤクオウジ ヤエ桜だった。