8/28Day's

 次の日、早朝にトイレに出向くと、昨夜の雨で避難したのか歩道に駐車していたカブ50が屋根下にあった。オーナーは女子大生(らしい)娘でほぼ出発準備が整った所だ。挨拶と共に話しかける。「どちらまで?」
「北海道です!」「は?もうシーズン終わりじゃん!」彼女にとっては秋の北海道がごちそうらしい。しかし北海道に行くにしてはジージャンの上下だけでは少々寒そうだと感じるのは私だけでは無い筈だ。無邪気に彼女は旅立っていった。見送る私の胸中に、自分の若い日々を重ねてしまう。いや私だってまだ若いぞ!(多分)

 一人で突っ込んでないでコーヒー片手にテントを畳んで道の駅を出て、一路喜多方市内に走る。そう、本日の目当ての一つである「喜多方"朝"ラーメン」を食する為である。
 
喜多方には、朝7時頃から開店し、食事させてくれる店が2軒ある。坂内とまことだ。
 今回は「まこと食堂」にお邪魔した。もともとは旅館だったとのことで、店と旅館の時の入口が並んである。店を覗くと20人程入れそうなテーブルとカウンターはもう満席である。


8.27・28
会津・置賜
Repo&Photo/MR


これが!「喜多方"朝"ラーメン」の正しい朝食だ!(多分?爆)
ちなみに、
さらに濃い〜ぃ
「喜多方"朝"煮込みトンカツ」も存在する。


PhotoAlbum


川沿いに起つまこと食堂。


通された和室には数々の芸能人の色紙と写真がずらりと並ぶ。全部の客部屋にあるとして・・・何人分?


店の前にはラーメンの碑?が起つ!。朝の静かな町内に今日もラーメンを啜る音が聞こえる・・・(多分?)

 お店の人に座敷にどうぞと言われ、隣の入口から入り直す。奥まで一直線の廊下の右側に3つ部屋があり、すでに客が入っている様だ。通された一番奥の部屋は6畳間、既にお客さんが10人ほど居り、私で満杯くらいだ。
 
ちょっと待て?じゃあもう50人以上店にいるのか?テーブルを挟んだお隣の家族はご近所で歩いて朝飯を食いに来ている。成る程、駐車場の空きの割に客がいるのはそのせいか。


頼んだのはチャーシュー麺(普通盛)、隣の常連ご家族が頼むのを見て追加で半ライスも注文する。注文から到着まで10分程だ。
『コ、この味は・・』4〜5年前にも食したが、全然濃い味に思えた、美味しい事は無論である。
変哲無いご飯すらスープをおかずに食べてしまえるコクは流石だ。一気に飲み干してしまう。
 コーヒー片手に店を撮影していると川縁から聞き慣れたカワサキインラインフォーのエキゾーストが団体でやってくる。あれよあれよというまに店の前四方同時にバイクが「沸いて」きた。どうもどこかのCLUBツーリングらしいがナンバーは関東圏と新潟だ?予約してあるらしく、愛想の良いSKIN HEADのサングラスオヤジが頭を取って、集団は5分かかって店に吸い上げられてゆく。おかれたバイクは川崎・本田を中心に40台は在ろうか?










いきなり車線は1/3となる喜多方側入口。
一気に標高を1000mも上げる
究極のつづら折れ81が始まる。
まさに「ヘアピンの鬼!」


道路遺構の総てが緑に飲み込まれてゆく・・・??

 突然賑やかになってしまったまこと食堂をあとに、本日のメーンイベントである旧国道121号線に向かう。 
 国道121号大峠は旧奥羽街道会津米沢区間を、綱木峠から西側で越える明治初期からの国道である。
 詳細は後日の旧道日記に譲るが現国道である121号バイパスが完成する昭和61年まで現役だった国道である。今回のツーリングはいわば事前調査で組まれ、米沢側旧道部分の未舗装区間が走破可能かどうか?また峠の下にある鉱山から道路が延伸直結して迂回路として成立するかが最大の焦点である。



下から2番目のヘアピン全景当時も道幅を残す唯一ともいえるヘアピンである。
下の5〜6カ所のヘアピンはまだ道幅が確保されてる方だが・・・?。


落石防止フェンスが尽く倒れる部分もある。。
舗装状態は今のところまあまあだが。



前言撤回!これは危ない!上から流れてきた雨水で道路が陥没してしまった。アスファルトの下の砂利が流されている。


水が川となって流れる。その長さは500m以上か?


清らかながらも「最終兵器」。


 かれこれ13年以上も前初めて大峠を通った際は、鉱山がフル稼働中で鉄柵によるゲートは進入を拒み、また国道の方も同じく鉄柵による立ち入り禁止措置が取られていた。国道沿いには鉄柱からケーブルが引かれ、おそらくは鉱物を搬出していたのであろう音と揺れが大峠隧道にも響いていたのを覚えている。最後の部落で清涼飲料水の補給をして大峠に突入、3番目のヘアピンで予定より早い枚数でデジカメが満杯になる。こんなこともあろうかと背中のデイバックからi-BookG3を取り出し、道の真ん中でdownloadを始める。
 ススキの穂と赤とんぼが揺れる様は晩夏というより初秋のようである。パソコンから曲をセレクトし、山下達郎の「さよなら夏の日」「蒼氓」、高田梢枝(こずえ)の「秘密基地」を歌う。(すいません変人で)ダウンロードが終わるとデジカメのバッテリーも終了、これも交換する。念のためSDカードも交換しておく。


 旧道の惨状は想像以上だった。
 その歴史的背景のせいか、新道が出来たと同時に見放されてしまったのだろうか?また余りの険しさ故に山林開発や電源開発などの類域からも関わる事がないせいだろうか?台風直後というこの日、その被害と被害を予想し得る現状は、他の旧道同様に道の生命線を脅かされる断末魔の叫びを私に見せてくれた。
 81あるといわれるヘアピンコーナーはそのほぼ総てを夏の緑に浸食され、直線2車線幅のアスファルトもその半分以下しか日の目を見ない。加えてあちこちに多発する漏水、勿論台風直後という事もあるが、彼女はその美しく清らかな流れとは裏腹に道路を最終的に崩壊に導く最も危険な最終兵器である。まさに「最終兵器彼女」(ちょっと違うだろう?・オイ)





13年前と全く変わらぬ佇まいの「大峠」かつて手前の広場はバスの待避所であった。




ここに冬に来る強者もいる「大峠隧道」全長600m・幅6.5m・全高(内寸)4.5m
竣工明治17年・現状は昭和10年改修のものだ。(山形の廃道 様「全国隧道リスト」より)




改修の際に巻かれたと思われる防水シートが吐き出している。恐ろしい程の山の内圧を感じる。


漏水と共に流れ出した山砂が流砂の様なオブジェを作り出す。誰かが地底湖にガードレールの橋を作っている


内径150mmはあろうかという塩ビパイプの様なものから、大量の雨水が流れた後がある。つーか、今も流れてる。
このマンホールは、何?



鉱山の接続Y字路から国道へ。なんじゃこりゃ。


鉄塔、なつかしい。
ナガジスさんも書いてたなぁ、鉄塔。

 川の様な道路をバイクでさかのぼってゆくと、やがて森林の木陰から山並みが消え、夏の名残の太陽に照り返される標識を目撃する。
 県境、大峠である。

 何故か?デジャブーに襲われる程、ここだけは変わっていない。初めて来た日と瓜二つである。
 そして現在でも現役当時の佇まいをみせる大峠隧道に入ってゆく。幾つかのサイトにも目撃例があるトンネル巻き直し部分に破断の後が見える隧道内に、やけに高くエキゾーストがこだまする。隧道は何故かトンネル中央部が高く、バイクに乗ったままでも天井が近づくのが判る程で「ここをバスが通っていたのか・・?」と思わせる位断面が小さくなる。 
 崖崩れの山形側も初めての経験だ。お陰で排水出来ない雨水が山形側に深さ10センチ程度の道幅一杯に広がる地底湖を創っている。その畔に通行止めの簡易柵に囲まれた部分がある。「これは一体何だろう?」調べるものがまた一つ増えてしまった。

 トンネルを抜けて米沢田沢を望む高台に出る。
 振り返ると隧道の地底湖が見える気分はさながらラピュタの様だ。青空を流れる雲と隧道のコントラストがあまりにも高いため虚構の世界をバーチャルで見ているかの様であるが、紛れもない現実である。
その証拠に、吸っている煙草はやけに美味しく、飲んでいる水は必要以上に甘く感じる。煙草2本分を掛けてゆっくりと眺め、過去の記憶と照合すると大分変化が在る様だ。

 サイトでも確認していた米沢側の県境部のり面崩壊はあの辺。進入を拒む鉱山フェンスも撤去され、遠く尾根沿いに進む国道と直下に進む鉱山への連絡路、今回初めての隧道から右手(東側)の尾根に連なる道が確認できる。あの日見た鉄塔もどうやら健在だ。
「通れるのかな?」
 行ってみると、かつてのフェンスの代わりに土留めのコンクリートが2コ、国道を封鎖しているが、まるで計測したかのようにBAJA-Adventure轟のサイドバック幅丁度だ。だが、鉄塔の辺りで圧壊したのり面フェンスが道幅を塞ぎ、現状での国道通過は極めて困難な状況となる。幅30センチの草むらに隠れた崖を落ちれば10mからは滑空するだろう。絶対逝ける。加えてこのような部分が後どれくらいあるかが判らない為、ここは慎重に後退する。結果論から言えばこれで正解だった訳だが。



これが鉱山に抜けるルートか?国道ではない。左手の鉄パイプは実は「山形県」の標識跡。
写真7枚を無理繰り繋いでます。





これが「大峠バイクゲージ」だ。完全な車止めである。


代わりに下の鉱山へ抜ける道に降りてゆく。
先程上の国道沿いから砂防ダムが確認できたので、ダムを管理する道路に連結している可能性があるからだ。しかも昔と違って道路には簡易舗装のアスファルトがある。ま、もちろんあちこち崩れちゃいるけど。
しかしここも一つ目の砂防ダムまでしか到達出来ず、加えて次の砂防ダムへの水路に阻まれ下への移動が出来ない。またここが実際の鉱区であったことも放棄された管理事務所の様な建物から明らかだ。当然、私有地である鉱山に下の入口から入れるとも考えにくい。過去に五色林道の例があるが果たしてどうだろう?。やむなく福島県側に引き返す。
しかし通れなかったとはいえ、可能性を秘めた実に有意義で楽しい旧国道であった。




行って逝けない事もないがこの荷物でバランス崩したら・・?(荷物降ろせよ、俺)。






やむを得ず新道121号バイパスを北に向かう。「快適な事、水の如き車の流れよ」。




田沢側から旧道に突入する。・・・??


割と綺麗に保存(?)されてる旧道だ。
勿論全面舗装路。



写真右手の通行止めバリケード。その右側に何者かが通過した跡があるが?


サル発見!うわぁ子連れもいるなぁ。


これが問題の表示、だ!。

5)帰還
 新道バイパスから道の駅田沢に後退する。帰りは行きの半分とはいえ、旧道の往復にたっぷり3時間半を費やし、道の駅田沢に辿り着いたのは1時を回った所だった。しかもバイクがリザーブとなり、昨日と同じスタンドで給油する。そして立ち寄った道の駅でこんどはあちらから声を掛けられ、BMW-R100に乗る方とラーメンの話で盛り上がってしまう。がっしりした体格と風情はどこぞのお店のご主人なのか?なかなか食のポリシーが見える口上が楽しい。そこにさらにセローに乗った方が席を共にする。彼は食べ物の話をしている事に気づくと「すいません、お●ぱいプリンってご存じありませんか?」と突然切り出した。「は?」思わず聞き返し、これが縁で名刺の遣り取りができて、お互いHPを持っている事が判る。あっというまに1時間が過ぎ、それぞれに帰り道を道草して帰る段取りを決めて別れる。ちなみにラーメンの話をしてたせいか、ふたりとも喜多方に行ったワケだが。


そして私は南蔵王を諦め、再び旧道121号線に入ってゆく。しかし米沢側は堅くゲートに閉ざされ、BAJAに進入の隙を与えてくれない。仮に右手の土手から進入出来ても時間は2時を過ぎている。夜にメガネを交換する為、遅くなる訳にはいかない。写真を撮ろうとバイクを降りると近くの標識が不自然に揺れている?猿だ!5匹ほどの小グループだ。お互い油断無く相手を見ている。その証拠にポケットに手を入れたりすると警戒して逃げる動作に入る。「人間慣れしてやがる」何枚か写真に納める。

 猿の間隙をぬってエンジンを掛けないまま坂道を降りて、鉱山入口のY字まで戻る。距離にして200mほどだが猿たちは好奇心か道路の端をこちらに向かって戻ってくる。写真を撮って猿たちにアイサツし、鉱山の方へ入ってゆく。
てっきりゲートがあるかと思ったが施設にズンズン入れてしまう。しかしおいてあるものには生活感を感じられない。猿の被害を恐れて余計なものは置かない様にしてあるかも知れない。  

 そしてさる曲がり角でその理由を知る事となる。路肩流失の補強工事に際し、標柱を立ててくれた様だが「市道八谷沢線」とある。
ここは市道(公道)なのだ。なるほど封鎖されてない訳だ。
時間は3時を回った。引き上げ時である。


6)エピローグ、そして。
帰りは素直に13号線経由で福島に戻り、フレーム交換の終了したメガネを受け取って帰った。
今回の2Day'sは総走行距離が600Kmを越えたが燃費はL=16.5Kmと大変悪かった。このツーリングでは転倒らしい事もなく(春先の七里沢・鉢森では転倒ばっかだったが)状態も良かったのに次の日からアイドリングも覚束ない。
林道の走行率は28%程度(廃道を含む)当初予定した林道の七割を通過している。
でも、そんな事はどうでもいい。
初日に町道広川原高造路林道線のスカイラインからの眺めや旧国道121号線大峠トンネルを抜けた先にある米沢田沢の眺め・・そう現実離れした風景が、私にとっての最高のごちそうだったのだ。
こうして、私の遅い夏休みが終了した。





追伸(そのネームに敬意を表して)
 自宅で名刺を思い出しネットに潜って見る。ハンドルネーム「やまのん」さん。実は私、某OR紙には2度程投稿したが採用されず、雑誌自体を買うのを止めてしまった経緯がある。その頃は通信員募集などもありこれも応募したかったが、当時CLUBがやはり忙しく頓挫した経験があった。やまのんさんは復刊した某誌の通信員だったのだ。それも委託ライターと呼べる程企画化されたPageを持っていたのだ。
 私は現在こうしてネット上で活動展開しているが、ある意味物書きの理想とする方にお会いできた事は嬉しい偶然であった。