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8.27・28
会津・置賜 Repo&Photo/MR |
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これが!「喜多方"朝"ラーメン」の正しい朝食だ!(多分?爆) ちなみに、 さらに濃い〜ぃ「喜多方"朝"煮込みトンカツ」も存在する。 |
PhotoAlbum |
お店の人に座敷にどうぞと言われ、隣の入口から入り直す。奥まで一直線の廊下の右側に3つ部屋があり、すでに客が入っている様だ。通された一番奥の部屋は6畳間、既にお客さんが10人ほど居り、私で満杯くらいだ。 |
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いきなり車線は1/3となる喜多方側入口。 一気に標高を1000mも上げる究極のつづら折れ81が始まる。 まさに「ヘアピンの鬼!」 |
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★道路遺構の総てが緑に飲み込まれてゆく・・・?? |
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下から2番目のヘアピン全景当時も道幅を残す唯一ともいえるヘアピンである。 下の5〜6カ所のヘアピンはまだ道幅が確保されてる方だが・・・?。 |
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ここに冬に来る強者もいる「大峠隧道」全長600m・幅6.5m・全高(内寸)4.5m
竣工明治17年・現状は昭和10年改修のものだ。(山形の廃道 様「全国隧道リスト」より) |
★改修の際に巻かれたと思われる防水シートが吐き出している。恐ろしい程の山の内圧を感じる。
★漏水と共に流れ出した山砂が流砂の様なオブジェを作り出す。誰かが地底湖にガードレールの橋を作っている
★内径150mmはあろうかという塩ビパイプの様なものから、大量の雨水が流れた後がある。つーか、今も流れてる。
このマンホールは、何?。
★鉱山の接続Y字路から国道へ。なんじゃこりゃ。
★鉄塔、なつかしい。
ナガジスさんも書いてたなぁ、鉄塔。
川の様な道路をバイクでさかのぼってゆくと、やがて森林の木陰から山並みが消え、夏の名残の太陽に照り返される標識を目撃する。
県境、大峠である。
何故か?デジャブーに襲われる程、ここだけは変わっていない。初めて来た日と瓜二つである。
そして現在でも現役当時の佇まいをみせる大峠隧道に入ってゆく。幾つかのサイトにも目撃例があるトンネル巻き直し部分に破断の後が見える隧道内に、やけに高くエキゾーストがこだまする。隧道は何故かトンネル中央部が高く、バイクに乗ったままでも天井が近づくのが判る程で「ここをバスが通っていたのか・・?」と思わせる位断面が小さくなる。
崖崩れの山形側も初めての経験だ。お陰で排水出来ない雨水が山形側に深さ10センチ程度の道幅一杯に広がる地底湖を創っている。その畔に通行止めの簡易柵に囲まれた部分がある。「これは一体何だろう?」調べるものがまた一つ増えてしまった。
トンネルを抜けて米沢田沢を望む高台に出る。
振り返ると隧道の地底湖が見える気分はさながらラピュタの様だ。青空を流れる雲と隧道のコントラストがあまりにも高いため虚構の世界をバーチャルで見ているかの様であるが、紛れもない現実である。
その証拠に、吸っている煙草はやけに美味しく、飲んでいる水は必要以上に甘く感じる。煙草2本分を掛けてゆっくりと眺め、過去の記憶と照合すると大分変化が在る様だ。
サイトでも確認していた米沢側の県境部のり面崩壊はあの辺。進入を拒む鉱山フェンスも撤去され、遠く尾根沿いに進む国道と直下に進む鉱山への連絡路、今回初めての隧道から右手(東側)の尾根に連なる道が確認できる。あの日見た鉄塔もどうやら健在だ。
「通れるのかな?」
行ってみると、かつてのフェンスの代わりに土留めのコンクリートが2コ、国道を封鎖しているが、まるで計測したかのようにBAJA-Adventure轟のサイドバック幅丁度だ。だが、鉄塔の辺りで圧壊したのり面フェンスが道幅を塞ぎ、現状での国道通過は極めて困難な状況となる。幅30センチの草むらに隠れた崖を落ちれば10mからは滑空するだろう。絶対逝ける。加えてこのような部分が後どれくらいあるかが判らない為、ここは慎重に後退する。結果論から言えばこれで正解だった訳だが。
これが鉱山に抜けるルートか?国道ではない。左手の鉄パイプは実は「山形県」の標識跡。
写真7枚を無理繰り繋いでます。
これが「大峠バイクゲージ」だ。完全な車止めである。
代わりに下の鉱山へ抜ける道に降りてゆく。
先程上の国道沿いから砂防ダムが確認できたので、ダムを管理する道路に連結している可能性があるからだ。しかも昔と違って道路には簡易舗装のアスファルトがある。ま、もちろんあちこち崩れちゃいるけど。
しかしここも一つ目の砂防ダムまでしか到達出来ず、加えて次の砂防ダムへの水路に阻まれ下への移動が出来ない。またここが実際の鉱区であったことも放棄された管理事務所の様な建物から明らかだ。当然、私有地である鉱山に下の入口から入れるとも考えにくい。過去に五色林道の例があるが果たしてどうだろう?。やむなく福島県側に引き返す。
しかし通れなかったとはいえ、可能性を秘めた実に有意義で楽しい旧国道であった。
行って逝けない事もないがこの荷物でバランス崩したら・・?(荷物降ろせよ、俺)。
やむを得ず新道121号バイパスを北に向かう。「快適な事、水の如き車の流れよ」。
5)帰還
新道バイパスから道の駅田沢に後退する。帰りは行きの半分とはいえ、旧道の往復にたっぷり3時間半を費やし、道の駅田沢に辿り着いたのは1時を回った所だった。しかもバイクがリザーブとなり、昨日と同じスタンドで給油する。そして立ち寄った道の駅でこんどはあちらから声を掛けられ、BMW-R100に乗る方とラーメンの話で盛り上がってしまう。がっしりした体格と風情はどこぞのお店のご主人なのか?なかなか食のポリシーが見える口上が楽しい。そこにさらにセローに乗った方が席を共にする。彼は食べ物の話をしている事に気づくと「すいません、お●ぱいプリンってご存じありませんか?」と突然切り出した。「は?」思わず聞き返し、これが縁で名刺の遣り取りができて、お互いHPを持っている事が判る。あっというまに1時間が過ぎ、それぞれに帰り道を道草して帰る段取りを決めて別れる。ちなみにラーメンの話をしてたせいか、ふたりとも喜多方に行ったワケだが。
そして私は南蔵王を諦め、再び旧道121号線に入ってゆく。しかし米沢側は堅くゲートに閉ざされ、BAJAに進入の隙を与えてくれない。仮に右手の土手から進入出来ても時間は2時を過ぎている。夜にメガネを交換する為、遅くなる訳にはいかない。写真を撮ろうとバイクを降りると近くの標識が不自然に揺れている?猿だ!5匹ほどの小グループだ。お互い油断無く相手を見ている。その証拠にポケットに手を入れたりすると警戒して逃げる動作に入る。「人間慣れしてやがる」何枚か写真に納める。
猿の間隙をぬってエンジンを掛けないまま坂道を降りて、鉱山入口のY字まで戻る。距離にして200mほどだが猿たちは好奇心か道路の端をこちらに向かって戻ってくる。写真を撮って猿たちにアイサツし、鉱山の方へ入ってゆく。
てっきりゲートがあるかと思ったが施設にズンズン入れてしまう。しかしおいてあるものには生活感を感じられない。猿の被害を恐れて余計なものは置かない様にしてあるかも知れない。そしてさる曲がり角でその理由を知る事となる。路肩流失の補強工事に際し、標柱を立ててくれた様だが「市道八谷沢線」とある。
ここは市道(公道)なのだ。なるほど封鎖されてない訳だ。
時間は3時を回った。引き上げ時である。
6)エピローグ、そして。
帰りは素直に13号線経由で福島に戻り、フレーム交換の終了したメガネを受け取って帰った。
今回の2Day'sは総走行距離が600Kmを越えたが燃費はL=16.5Kmと大変悪かった。このツーリングでは転倒らしい事もなく(春先の七里沢・鉢森では転倒ばっかだったが)状態も良かったのに次の日からアイドリングも覚束ない。
林道の走行率は28%程度(廃道を含む)当初予定した林道の七割を通過している。
でも、そんな事はどうでもいい。
初日に町道広川原高造路林道線のスカイラインからの眺めや旧国道121号線大峠トンネルを抜けた先にある米沢田沢の眺め・・そう現実離れした風景が、私にとっての最高のごちそうだったのだ。
こうして、私の遅い夏休みが終了した。
追伸(そのネームに敬意を表して)
自宅で名刺を思い出しネットに潜って見る。ハンドルネーム「やまのん」さん。実は私、某OR紙には2度程投稿したが採用されず、雑誌自体を買うのを止めてしまった経緯がある。その頃は通信員募集などもありこれも応募したかったが、当時CLUBがやはり忙しく頓挫した経験があった。やまのんさんは復刊した某誌の通信員だったのだ。それも委託ライターと呼べる程企画化されたPageを持っていたのだ。
私は現在こうしてネット上で活動展開しているが、ある意味物書きの理想とする方にお会いできた事は嬉しい偶然であった。