温泉ツーリングスポット




   
      
(山形県)







滑川温泉 福島屋
岩 露天 風呂







「滑川大橋」板谷峠から来ると橋を渡る。
TTR269改の停車してるのが五色温泉から繋がる五色林道。

●思い出の「マスト温泉」

もう20年以上前の事だ。ジムニーで板谷周辺の四駆遊びの最後は温泉だった。
五色温泉・滑川温泉・姥湯温泉の三大マストといえる。

 このコロナ禍によって五色温泉は廃業して楽しみは減ってしまった。当ページの温泉レポで、あの野生のシカを見ながらの露天も、もはや思い出と言うべきだろう。
 そんな訳で今更ながらこの日は五色温泉から滑川温泉に林道経由のショートカットで向かった次第である。
 その五色林道が通行止めで、それでも単車なので様子見に走ってみると、
ああこりゃ通行止めにするわな、滑川大橋が見える滑川に流れ込む名もなき沢を渡る橋だ。橋台から橋桁がズレてその間に人が落ちそうな穴が開いてる。
 などと他人事のように現場の写真を収めると目の前は滑川温泉である。

 HPによれば、滑川温泉は発見が文明8年(1476)郷士 斉藤盛房が沢ぞいに転倒した際に触った川石に感じた温もりから沢に温泉が湧き出ている事を発見し、これによって「滑川温泉」と命名されたとされる。
 その後、宝暦13年(1763)に上杉藩主の裁可を得て、滑川温泉福島屋旅館一代目当主 笹木正尚氏が開湯したのだそうだ。*当館HPより抜粋。
 
以来約250年、十四代に渡りこの秘湯を守り続けてきた訳だ。



「五色林道は通行止め」
かつての名林道も通れる時が少ないよな。



「大穴あいてるよ」
滑川に流れ込む小さな支流を渡る橋が損傷。
人が落ちる大きさだった。



 いかにも登山者の為に作られた前線基地を感じさせる増築を繰り返した建物は上から見ると変形H型で、横棒に当たる部分がいわゆる玄関口となる。
 正直足のお悪い方には難しい段差の大きい石段はまるでどこぞの神社の様だ、いささか荘厳にも思える玄関を見上げながら登ると、唐突に開いた引き戸からお客さんと旅館の旦那さんとの笑い声を交えたお見送りの声が溢れてきた。
 宿泊客が玄関を出ると入浴をお願いして料金500円を払う。
 ここを真っ直ぐの外です、靴をお待ちください。
と案内され軽く土を払って靴を持つとそのまま案内された正面の通路を進む。姥湯温泉は10数年前に新館増設となったがここはまだ木造部分3階建ての、いかにも昭和の木造建築という建物で実に味わい深い。
 大体間取り四部屋分の先に非常口のような佇まいで扉が開け放たれている。



花に出迎えられて「福島屋旅館」へ。


「玄関を上がって廊下正面」
昭和戦後生まれの本館は部屋の扉がふすまだよ。


 
 初夏の若葉の香りを沢風が運んでくる。沢水流れる音が聞こえるのはすぐ隣だからだ。
 温泉は道なり左の様だ、靴を履きながら右手をみていきなり吹き出す。右が旅館の壁伝いに外から来る登山道なのだが、いきなり吊り橋が「老朽化のため通行止め」の看板とともに絶賛放置プレイ中だったのだ。
ええ?じゃ登山客の皆さんはいきなりここで川渡るんかよ?
「橋が治ったら滑川鉱山の索道を見に行くことにしよう」

 鉄道ファンには有名?な奥羽線ルート決定の二つの理由、松川沿い板谷後えと摺上川沿い羽鳥峰峠越えの検討過程に於いて、板谷越えが決まった理由の一つは開削費用が比較的安価な事。
そしてもう一つは当時良質な鉄鉱石を採掘した滑川鉱山の存在である。
 当時富国強兵を推進する日本帝国はそういった鉱山を手厚く保護したのだ。
 採掘された鉄鉱石は峠駅まで索道で運ばれ奥羽線から日本海に。その後日本海を船で南に運ばれ、下関の石川島播磨鉄工所に納入されたという。



「露天風呂出入口」
廊下正面突き当たり、外に道がある。


左折して沢づたいに更に奥へ。


おぉおおぉぉ〜〜「岩露天風呂」。


おぉおおぉぉ〜〜「スバラシイ!!」。
奥の小屋が脱衣所じゃな。


 
ただ。滑川温泉から鉱山までの道のりは完全登山道なので、既に健脚の域を離れたMRは躊躇する訳である。
「飯坂温泉もそうだった様に鉄道や鉱山が出来た頃は、ここが高級官僚の投宿地だったんだろうなぁ」
 そんな事を思いつつ、左に曲がった道をゆっくり登ってゆくと沢べりに露天風呂が見えてきた。
「うおお、こんなロケーションだったっけ?」
カンペキじゃん!
と、そういえば最後は内風呂だった事を思い出した。
 先客は3人ほどだが、既に大分長い時間入っている感じだ。まずはまったりと温泉を堪能しよう。
 上の姥湯温泉ほど絶壁の秘湯感はないが、緩やかに流れる沢の流れを楽しみながら、ゆったりと寛ぐ露天風呂は、やっぱ最高だ。
 そういや姥湯でもシカに見下ろされて気がするな。大きさは15人ぐらい入れそうな岩組みの露天風呂だ。そこに白濁の温泉が完全自噴混ぜ物なしでドボドボと勢い良く流れ込んでいる。
大まか大岩を挟んで2つのエリアに分類でき、その大きな岩の奥に脱衣所がある。驚くことに脱衣所は男女別だ、ということは・・・?
「おお、混浴露天風呂なんだ!」
何度も酷い目に遭っているのに、まだ混浴に夢見るのか>俺?
体を洗って一番沢沿いの奥から入る。
おお、いいねえ。
体の動きに合わせて沈殿した湯の花がより白く舞い上がる。これは効きそうだ。


露天風呂の外周を廻る形で脱衣所へ。


脱衣所は一応男女別なんだな。


3段の棚に脱衣篭、コインロッカーなどは無い。除菌スプレーがある。


「すげーいいじゃん!!」川縁露天風呂。



 先客が出ると入れ替わりに若い二人が入って来て同じように寛ぎ始めるが、先のおじさん方と違って熱いのは苦手そうだ。
  個人的にサイコー熱いのは飯坂の鯖湖湯だと思ってる(メーター読み44度)ので初夏とはいえ露天で42度は少し緩いと思うが思わず出身を関東圏と仮認定してしまう。
 そんな露天を堪能しつつカメラアングルを企んでいると脱衣所の裏にもう一つの岩組みを見つけた。
「え?混浴じゃなくて女性用露天か?」
 偶然誰も居なかったけど、いいのか<俺?。
「これはもしかして、旧露天風呂後では?」思わず手摺を跨いでタオル一丁で沢沿い岩場を歩き出す。
 一瞬、それは女性専用露天かとも思ったが一目見て明らかに使われなくなった湯船だ。同じ岩風呂ながら大きさは半分ほど、5〜6人入ると満杯だろうか?既に川砂が入り自然のアクアリウムに還元が始まっている感じだ。



源泉掛け流しに嘘偽り無し。
ドボドボと加減なく流れる白濁のお湯。


お客さんがいる間は取り敢えず寛ぐ。
お尻の下で湯の花が動いているのが判るぞ。


「女性用露天?旧ディア風呂?!」
外灯こそあるけどお湯が流れ込んでいないので休止してるのだろうか?。


「けっこう広い」完全に貸し切り状態、もう最高。


   緑映える初夏の沢縁は気温も低いせいかあまり虫もおらず、沢を見渡しながら帰ると後から来た仮関東圏人2人が風呂から上がり、脱衣所に向かう所だった。先に脱衣所からもう一本タオルを出しておく。
そのまま露天風呂で再び入浴前の体を洗い、湯船に浸かって寛ぐ。温泉成分が体に染み渡る様じゃ!
やがて2人が去るとおもむろにカメラを取り出した。

そして次のおじさんが来るまでの間、改めて岩風呂露天を堪能したのだった。


窓ガラスを挟んで外に大きな露天風呂がああぁああ。

  

滑川温泉 福島屋旅館 渓流沿い「岩露天風呂」
 
日帰り入浴/時間帯:11:00〜17:00
 入浴料      :大人500円/子供料金は記名無し。
温泉成分
●泉質:含硫黄ナトリウム/カルシウム炭酸水素塩/硫酸塩泉(低張性中性温泉)
●源泉温度:40.3℃〜53.6℃
●適応症:アトピー性皮膚炎、尋常性乾僻、慢性湿疹、表皮化膿症、関節リウマチ、
     変型性関節症、腰痛症、神経痛、五十肩、打撲捻挫の慢性期、運動麻痺、
     冷え性、筋肉のこわばり、末梢循環障害、胃腸機能の低下。軽症高血圧、
     糖尿病、低いコレステロール血症、軽い喘息または肺気種、痔病、
     自律神経不安定症、睡眠障害、うつ状態、疲労回復、健康増進、
     
*適応症の記載は日本飛騰を守る会HPより。
●日本秘湯を守る会 会員宿




え?滑川発電所。

滝の上から取水してモーター回してるのか。


●追伸。
 
この日、滑川温泉が自家水力発電で館内電力を賄っている事を知る。
 つまり
「滑川水力発電所」がいつの間にか設置されていた*平成11年3月と書いてある、という事である。足繁く通ったのが2005年頃なので、成る程理解したのはこのレポートを書いてる時であった。
 
●追伸その2。
 ついでに
奥羽本線「峠駅」を訪ねる事をお勧めしたい。
 鉄道マニアならずとも明治に作られた東北最大とも言えるスノーシェッド(雪覆い)が特徴の峠駅は、かつて真冬でも鉄道が運行出来るように板谷スイッチバッ B ク駅の機能も併用して作られた
※諸説あるシェッドである。
 ミニとはいえ、
ここを最新の新幹線がj駆け抜けてゆくのは圧巻である。
 ちなみにシェッド内の駐車スペースや通路が、かつてのスイッチバックホームや貨物引き込み線などの跡らしい。


シンプル過ぎて忘れられない駅名。


ここを新幹線が走るなんて。


「昭和香るノスタルジー空間」
場内には新幹線専用の変電施設も格納されている。



次の温泉へマッパGo!。